「道の学問・心の学問」第五十一回(令和3年5月4日)
貝原益軒に学ぶ⑩
「聖人を以てわが身を正すべし。聖人を以て人を正すべからず。凡人を以て人を許すべし。凡人を以て我が身を許すべからず。」
(大和俗訓』巻之七)
王陽明の『伝習録』には「万街の人皆聖人」との言葉があり、聖徳太子は『十七条憲法』に「共に是れ凡夫のみ」と記した。人間は、理想の人格である聖人と、凡夫との間を往来しつつ日々の生業を行っている存在である。益軒は、「自分自身の在り方は聖人に照らして正さねばならないが、それを他者に求めてはならない、人の過ちは凡人だから仕方ないと思って許さねばらないが、自分自身の過ちを凡人だからだと言い訳して許してはならない。」と述べている。あくまでも、自らには厳しく、他者には寛容である事を求めている。
更に言う「他人の悪い行為は許さねばならないが、自分の悪い行為を人から許されてはならない。他人の悪い行いを許さないのは自分の心が狭く度量に欠けるからである。自分の悪い行いを人に許されようなどと思うのは、卑怯な心の表れである。」と。
益軒は自らのあるべき物差しは「聖人」に置き、常に自らを省み向上させ続けている。その一方で、他者をその様な厳しい眼で裁く事を戒めている。佐藤一斎の『言志後録』に言う「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛(ただ)す」と同じ精神である。
この様な君子(立派な人間)には、争いが生じないと益軒は言う。「君子は何事にあれ、もっぱら礼儀正しく振舞うので、争いが生じる事が無い。争いは小人(つまらない人間)の間の事である。小人は人に交われば、自分の才知や芸能など、自分の身に能力がある事を以て、人に誇って争う。それは、礼儀の道に適っていない。獣が角や牙を以て争う様なものである。争わない事が人と交わる道である。凡そ、節義守り、武勇を行う事は進んで人に先立つべきだが、それ以外の事は人に先立たずに、少し人に遅れ、少し人に負けたほうが、争いが無くして礼に適い、かつ禍が振りかかかる事の無い道である。」
「礼儀とは身を守る鎧である。」と言われる様に、礼儀正しい人間には相手の感情を害する過ちは少ない。勿論、礼の根本は相手を尊重する真心で無くてはならず、「虚礼」は却って相手に侮蔑を与える事となる。益軒は、節義や武勇という武士として第一義の事は他者に負けてはならないが、それ以外の事は「第二義」であり、一歩引くのが良いと言っている。確かにそうだと思う、争って相手を傷付けた結果、自らの心が傷付くのである。現代人に、ギスギスした摩擦が生じやすいのは、礼儀の嗜みが欠けているからである。虚礼は不要だが、礼の精神と形とは、日本人の美徳として是非取り戻したい。
貝原益軒に学ぶ⑩
「聖人を以てわが身を正すべし。聖人を以て人を正すべからず。凡人を以て人を許すべし。凡人を以て我が身を許すべからず。」
(大和俗訓』巻之七)
王陽明の『伝習録』には「万街の人皆聖人」との言葉があり、聖徳太子は『十七条憲法』に「共に是れ凡夫のみ」と記した。人間は、理想の人格である聖人と、凡夫との間を往来しつつ日々の生業を行っている存在である。益軒は、「自分自身の在り方は聖人に照らして正さねばならないが、それを他者に求めてはならない、人の過ちは凡人だから仕方ないと思って許さねばらないが、自分自身の過ちを凡人だからだと言い訳して許してはならない。」と述べている。あくまでも、自らには厳しく、他者には寛容である事を求めている。
更に言う「他人の悪い行為は許さねばならないが、自分の悪い行為を人から許されてはならない。他人の悪い行いを許さないのは自分の心が狭く度量に欠けるからである。自分の悪い行いを人に許されようなどと思うのは、卑怯な心の表れである。」と。
益軒は自らのあるべき物差しは「聖人」に置き、常に自らを省み向上させ続けている。その一方で、他者をその様な厳しい眼で裁く事を戒めている。佐藤一斎の『言志後録』に言う「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛(ただ)す」と同じ精神である。
この様な君子(立派な人間)には、争いが生じないと益軒は言う。「君子は何事にあれ、もっぱら礼儀正しく振舞うので、争いが生じる事が無い。争いは小人(つまらない人間)の間の事である。小人は人に交われば、自分の才知や芸能など、自分の身に能力がある事を以て、人に誇って争う。それは、礼儀の道に適っていない。獣が角や牙を以て争う様なものである。争わない事が人と交わる道である。凡そ、節義守り、武勇を行う事は進んで人に先立つべきだが、それ以外の事は人に先立たずに、少し人に遅れ、少し人に負けたほうが、争いが無くして礼に適い、かつ禍が振りかかかる事の無い道である。」
「礼儀とは身を守る鎧である。」と言われる様に、礼儀正しい人間には相手の感情を害する過ちは少ない。勿論、礼の根本は相手を尊重する真心で無くてはならず、「虚礼」は却って相手に侮蔑を与える事となる。益軒は、節義や武勇という武士として第一義の事は他者に負けてはならないが、それ以外の事は「第二義」であり、一歩引くのが良いと言っている。確かにそうだと思う、争って相手を傷付けた結果、自らの心が傷付くのである。現代人に、ギスギスした摩擦が生じやすいのは、礼儀の嗜みが欠けているからである。虚礼は不要だが、礼の精神と形とは、日本人の美徳として是非取り戻したい。
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