「道の学問・心の学問」第四十回(令和3年2月26日)
伊藤仁斎に学ぶ⑬
「我国の人の心を種とせる此道のみぞよゝにたへせじ」
(『古学先生和歌集』)
前回は、仁斎の漢詩について紹介したが、仁斎は和歌も詠んでおり、自ら選んで詠歌に良し悪しの「点」を附した和歌集(「和謌愚草」)を、亡くなる前々年の元禄十六年に纏めている。その中から幾首か紹介しよう。
元日己卯
一(ひと)とせをみなけふの日の心地して長閑(のどか)に世をも過(すご)してし哉(かな)
春の歌とてよめる
はるはまづうれしかりけり梅咲かばはなのあるじと人にいはれて
仁斎の歌には、明るい人柄がそのまま表現され、希望や喜びが素直に表現されてある。と同時に、悲しみの時には深い悲しみをそのまま表現している。
嫡妻の喪中に、山形右衛門大夫宗堅丈より歌よみてをこせける返し
みどり子を見れば泪(なみだ)の数そひてありし昔ぞいとゞ悲しき
同じ時妻のはらからのかたへよみて遣しける
人もおし我身も悲しとにかくにおもひ出(いづ)れば涙なりける
この様な仁斎は、和歌の道=敷島の道をこよなく愛した。仁斎は、かつて(天正三年四月廿二日)、宮中にて古今集御伝授竟宴が行われた際に「寄道祝」と言う事が講じられた事を聞いて、自らも「寄道祝」と題する歌を詠んでいる。
我国の人の心を種とせる此道(このみち)のみぞよゝにたへせじ
古今和歌集の仮名序の「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」を受けて、敷島の道は決して絶える事は無いと、詠じた。
又、「道に寄せる述懐」の歌。
野辺に生る百(もも)の草木をそれと見よつきせぬものは言の葉の道
野辺に咲く様々な草木のそれぞれを注視して言葉に読み込む事が、和歌の道であると言うのだ。自然界の凡ゆる生命の営みに心を向けて、その感動を言葉に詠み込む大切さを歌っている。又、教育者らしい「庭前の松を見て」と題する次の歌もある。
朝毎(ごと)に手をもて撫(なで)し庭の松今は軒端(のきば)のうへに見るかな
「松」と言う題で、今の世の人心の移ろい易い様を嘆いた歌。
露霜にもみぢぬ松も有(ある)ものを人のこゝろのうつりやすさよ
儒学者らしい題材としては、「中庸の戒慎・恐懼の心をよみ侍りける」と題した
おもひとれば此の身の外(ほか)に道もなし身を守るこそ道を知(しる)なれ
がある。人の道は、自らに体現する他は無い。それ故、自分の身を守り、律して生きる事こそが道を知り実践する事になると言うのである。「仁」を体現して生きた仁斎らしい歌である。
伊藤仁斎に学ぶ⑬
「我国の人の心を種とせる此道のみぞよゝにたへせじ」
(『古学先生和歌集』)
前回は、仁斎の漢詩について紹介したが、仁斎は和歌も詠んでおり、自ら選んで詠歌に良し悪しの「点」を附した和歌集(「和謌愚草」)を、亡くなる前々年の元禄十六年に纏めている。その中から幾首か紹介しよう。
元日己卯
一(ひと)とせをみなけふの日の心地して長閑(のどか)に世をも過(すご)してし哉(かな)
春の歌とてよめる
はるはまづうれしかりけり梅咲かばはなのあるじと人にいはれて
仁斎の歌には、明るい人柄がそのまま表現され、希望や喜びが素直に表現されてある。と同時に、悲しみの時には深い悲しみをそのまま表現している。
嫡妻の喪中に、山形右衛門大夫宗堅丈より歌よみてをこせける返し
みどり子を見れば泪(なみだ)の数そひてありし昔ぞいとゞ悲しき
同じ時妻のはらからのかたへよみて遣しける
人もおし我身も悲しとにかくにおもひ出(いづ)れば涙なりける
この様な仁斎は、和歌の道=敷島の道をこよなく愛した。仁斎は、かつて(天正三年四月廿二日)、宮中にて古今集御伝授竟宴が行われた際に「寄道祝」と言う事が講じられた事を聞いて、自らも「寄道祝」と題する歌を詠んでいる。
我国の人の心を種とせる此道(このみち)のみぞよゝにたへせじ
古今和歌集の仮名序の「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」を受けて、敷島の道は決して絶える事は無いと、詠じた。
又、「道に寄せる述懐」の歌。
野辺に生る百(もも)の草木をそれと見よつきせぬものは言の葉の道
野辺に咲く様々な草木のそれぞれを注視して言葉に読み込む事が、和歌の道であると言うのだ。自然界の凡ゆる生命の営みに心を向けて、その感動を言葉に詠み込む大切さを歌っている。又、教育者らしい「庭前の松を見て」と題する次の歌もある。
朝毎(ごと)に手をもて撫(なで)し庭の松今は軒端(のきば)のうへに見るかな
「松」と言う題で、今の世の人心の移ろい易い様を嘆いた歌。
露霜にもみぢぬ松も有(ある)ものを人のこゝろのうつりやすさよ
儒学者らしい題材としては、「中庸の戒慎・恐懼の心をよみ侍りける」と題した
おもひとれば此の身の外(ほか)に道もなし身を守るこそ道を知(しる)なれ
がある。人の道は、自らに体現する他は無い。それ故、自分の身を守り、律して生きる事こそが道を知り実践する事になると言うのである。「仁」を体現して生きた仁斎らしい歌である。
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