戦後教育を受けた学生青年に、日本の誇りと日本人としての自信を呼び覚ますには如何にしたら良いのか。吾々に背負はせられた宿命的課題である。
戦後教育は、日本近代史への憎悪を植え付け、日本人である事のアイデンティティーを断ち切つてきた。戦後世代は「根無し草」として人生を浮遊すべく培養されて来たのである。その中から「全共闘」が生まれ、既成の価値観の破壊に狂奔した。彼らの学園破壊に日本人としての正義感から立ち上がつたのが日本協議会に連なる学生運動であつた。だが、全共闘を否定しつつも、日本人としてのアイデンティティーは未確立の中での戦ひであつた。吾々自身、自らの日本人らしさを取り戻す場は、戦中・戦後を通じて日本の真実と日本人の精神の在り方を示し続けられた諸先生が主催される外部諸合宿への参加によるしかなかつた。「日本人としての根を張る営み」を青協独自の力で確立する事は大きな課題であつた。
結成十五周年前年の昭和五十九年、吾々は、青協の世代的使命として、独自の研修システムの確立に本格的に着手した。祖国再建を目指す変革者集団である吾々が鏡とすべきは、日本史上の三大維新「飛鳥維新」、「建武の中興」「明治維新」にあつた。いづれの時代も理想を掲げられた天皇さまを中心に、其の理想に殉ぜんとした青年・純忠の志士たちが活躍してゐる。高い理想と国家変革の躍動感、そして伸びやかに志を歌ひ上げた和歌や言葉が満ち満ちてゐる。直接現地に赴きその場で、先人の言葉を読み味はふ研修形態が生み出された。「歴史体験セミナー」(当初は「全国青年学生研修合宿」)である。昭和六十年秋から開始された。この合宿は今年で第二十一回を数へるが、三大維新史の繰り返しの学習は、吾々の中に日本の維新を推進していく魂を確実に磨き上げてくれてゐる。
次の課題は、学生や青年に「日本人としての目覚め」を実感させる恒常的な研修の場の確立であつた。いはば日本人としての基礎を確立する合宿、しかも何度参加してもその実感が深まつていく合宿、それを吾々は「研鑽合宿」と名づけ、内容の検討に時間をかけ青協幹部の知恵を結集した。かくて昭和六十二年八月二十四日に第一回富士河口湖学生青年研鑽合宿が開講した。爾来二十年、今年八月には第一〇〇回の研鑽合宿を終了した。
研鑽合宿の内容はこの二十年間の中で学生の抱える課題に応じて変化もして来た。だが研鑽合宿の基本形態は変はつてゐない。合宿の目的は、日本人らしい日本人―「天皇を霊的にも精神的にも深く体得し、公の為に心を尽くし、大いなる目標に向かつて、共に作業に勤しむことが出来る人」を生み出す事にある。
その為には如何なる研鑽が必要なのか。戦後といふ時代の影響を大きく受け、日本の歴史から断絶した環境の中で育てられた青年たちに「日本人としてのアイデンティティー」をいかに確立させるのか。教育は魂の触れ合ひの中に生じる。時代と戦ひかつ日本の歴史を自らのものとして日々研鑽してゐる志篤き講師との「生き方の対決」こそが研鑽合宿の特徴でなければならない。講師の生き方から発する真実の言葉のみが戦後教育を受けた大学生の魂を揺り動かす事が可能なのである。それを前提に、次の講義テーマを研修の四本の柱とした。即ち①【時代】時代を如何に捉へ、その矛盾に立ち向かつて行くのか、②【歴史】日本歴史の素晴らしさと仰ぐべき人物の生き方に学ぶ、③【天皇】天皇を戴く日本の素晴らしさに対する実感・理解を深める、④【信仰】日本人が抱いてきた世界観・信仰心について学び自らも取り戻していく、である。
だが、受講形式の研修だけではまだ真の実感迄は至らない。そこで、「行」的な体験学習を合宿の随所に織り込んだ。日本は「言霊の国」と言はれる如く、日本的な情緒の世界が和歌を通じて連綿と受け継がれて来てゐる。それは「しきしまの道」と称されてきた。吾々も富士の麓の美しい自然との触れ合ひの中で体験した感動を短歌に表して行く「和歌創作」、互ひの和歌に込めた思ひを憶念し合ふ「和歌相互批評」を通じて、真心を言葉に表す訓練を行つていく。更に、しきしまの道を行じ守り伝へて来られた歴代天皇の御製を拝誦する事によつて日本の国柄が魂の底に染透つて来る。近年は特に和歌の相互批評に力を入れてゐる。言霊の世界は戦後の中で閉ざされた個々の心の固い殻を打ち破る力を持つてゐる。
日本人は八百万の神々を祭り、森羅万象に畏敬の心を抱き、清き明かき直き心を養つて来た。富士宮研修所の大研修室の正面には神棚が祭られてをり、合宿生活は朝の拝礼に始まり、就寝前の拝礼に終はる。生活の節目節目に神々に心を寄せていく中で日本人の自然な信仰心が呼び覚まされていく。更に、合宿の中では古来から行はれ受け継がれて来てゐる「大祓」と「祭儀」を体験する。参加者は新鮮な驚きと自らの清まりを感動を持つて実感してゐる。やはり日本人である。
「志の教育」こそが松下村塾の教育であったとするならば、現代の松下村塾ともいふべき役割を日本協議会が果たし、その中で、最も基礎の部分を研修所が担つてゐると言へやう。
研修所の建物は当初の富士河口湖研修所(㈱朝日写真ニュース社の故志摩昭之輔社長のご好意で借用)から平成十二年には全国の会員の寄付で富士宮に独自の研修所が建築された。研修所の備品を始め運営にも多くの方々が無償でご協力戴いてゐる。正に「祖国を担ふ青年出でよ」との願ひと真心が込められた手作りの研修所である。
私は、第一回研鑽合宿の閉会式で次の和歌を参加者に贈つた。
巣立ち行く学びの友よ仰ぎ見し富士の如くに立てよ御國(みくに)に
第百回合宿では、「わが人生の師吉田松陰」と題して講義をさせて戴いた。平成の松下村塾として、研修所の果たすべき役割は愈々大きく成つて来てゐる。
百度(ももたび)の研鑽の業(わざ)たふとけれ御國(みくに)起こすはこの地からこそ
戦後教育は、日本近代史への憎悪を植え付け、日本人である事のアイデンティティーを断ち切つてきた。戦後世代は「根無し草」として人生を浮遊すべく培養されて来たのである。その中から「全共闘」が生まれ、既成の価値観の破壊に狂奔した。彼らの学園破壊に日本人としての正義感から立ち上がつたのが日本協議会に連なる学生運動であつた。だが、全共闘を否定しつつも、日本人としてのアイデンティティーは未確立の中での戦ひであつた。吾々自身、自らの日本人らしさを取り戻す場は、戦中・戦後を通じて日本の真実と日本人の精神の在り方を示し続けられた諸先生が主催される外部諸合宿への参加によるしかなかつた。「日本人としての根を張る営み」を青協独自の力で確立する事は大きな課題であつた。
結成十五周年前年の昭和五十九年、吾々は、青協の世代的使命として、独自の研修システムの確立に本格的に着手した。祖国再建を目指す変革者集団である吾々が鏡とすべきは、日本史上の三大維新「飛鳥維新」、「建武の中興」「明治維新」にあつた。いづれの時代も理想を掲げられた天皇さまを中心に、其の理想に殉ぜんとした青年・純忠の志士たちが活躍してゐる。高い理想と国家変革の躍動感、そして伸びやかに志を歌ひ上げた和歌や言葉が満ち満ちてゐる。直接現地に赴きその場で、先人の言葉を読み味はふ研修形態が生み出された。「歴史体験セミナー」(当初は「全国青年学生研修合宿」)である。昭和六十年秋から開始された。この合宿は今年で第二十一回を数へるが、三大維新史の繰り返しの学習は、吾々の中に日本の維新を推進していく魂を確実に磨き上げてくれてゐる。
次の課題は、学生や青年に「日本人としての目覚め」を実感させる恒常的な研修の場の確立であつた。いはば日本人としての基礎を確立する合宿、しかも何度参加してもその実感が深まつていく合宿、それを吾々は「研鑽合宿」と名づけ、内容の検討に時間をかけ青協幹部の知恵を結集した。かくて昭和六十二年八月二十四日に第一回富士河口湖学生青年研鑽合宿が開講した。爾来二十年、今年八月には第一〇〇回の研鑽合宿を終了した。
研鑽合宿の内容はこの二十年間の中で学生の抱える課題に応じて変化もして来た。だが研鑽合宿の基本形態は変はつてゐない。合宿の目的は、日本人らしい日本人―「天皇を霊的にも精神的にも深く体得し、公の為に心を尽くし、大いなる目標に向かつて、共に作業に勤しむことが出来る人」を生み出す事にある。
その為には如何なる研鑽が必要なのか。戦後といふ時代の影響を大きく受け、日本の歴史から断絶した環境の中で育てられた青年たちに「日本人としてのアイデンティティー」をいかに確立させるのか。教育は魂の触れ合ひの中に生じる。時代と戦ひかつ日本の歴史を自らのものとして日々研鑽してゐる志篤き講師との「生き方の対決」こそが研鑽合宿の特徴でなければならない。講師の生き方から発する真実の言葉のみが戦後教育を受けた大学生の魂を揺り動かす事が可能なのである。それを前提に、次の講義テーマを研修の四本の柱とした。即ち①【時代】時代を如何に捉へ、その矛盾に立ち向かつて行くのか、②【歴史】日本歴史の素晴らしさと仰ぐべき人物の生き方に学ぶ、③【天皇】天皇を戴く日本の素晴らしさに対する実感・理解を深める、④【信仰】日本人が抱いてきた世界観・信仰心について学び自らも取り戻していく、である。
だが、受講形式の研修だけではまだ真の実感迄は至らない。そこで、「行」的な体験学習を合宿の随所に織り込んだ。日本は「言霊の国」と言はれる如く、日本的な情緒の世界が和歌を通じて連綿と受け継がれて来てゐる。それは「しきしまの道」と称されてきた。吾々も富士の麓の美しい自然との触れ合ひの中で体験した感動を短歌に表して行く「和歌創作」、互ひの和歌に込めた思ひを憶念し合ふ「和歌相互批評」を通じて、真心を言葉に表す訓練を行つていく。更に、しきしまの道を行じ守り伝へて来られた歴代天皇の御製を拝誦する事によつて日本の国柄が魂の底に染透つて来る。近年は特に和歌の相互批評に力を入れてゐる。言霊の世界は戦後の中で閉ざされた個々の心の固い殻を打ち破る力を持つてゐる。
日本人は八百万の神々を祭り、森羅万象に畏敬の心を抱き、清き明かき直き心を養つて来た。富士宮研修所の大研修室の正面には神棚が祭られてをり、合宿生活は朝の拝礼に始まり、就寝前の拝礼に終はる。生活の節目節目に神々に心を寄せていく中で日本人の自然な信仰心が呼び覚まされていく。更に、合宿の中では古来から行はれ受け継がれて来てゐる「大祓」と「祭儀」を体験する。参加者は新鮮な驚きと自らの清まりを感動を持つて実感してゐる。やはり日本人である。
「志の教育」こそが松下村塾の教育であったとするならば、現代の松下村塾ともいふべき役割を日本協議会が果たし、その中で、最も基礎の部分を研修所が担つてゐると言へやう。
研修所の建物は当初の富士河口湖研修所(㈱朝日写真ニュース社の故志摩昭之輔社長のご好意で借用)から平成十二年には全国の会員の寄付で富士宮に独自の研修所が建築された。研修所の備品を始め運営にも多くの方々が無償でご協力戴いてゐる。正に「祖国を担ふ青年出でよ」との願ひと真心が込められた手作りの研修所である。
私は、第一回研鑽合宿の閉会式で次の和歌を参加者に贈つた。
巣立ち行く学びの友よ仰ぎ見し富士の如くに立てよ御國(みくに)に
第百回合宿では、「わが人生の師吉田松陰」と題して講義をさせて戴いた。平成の松下村塾として、研修所の果たすべき役割は愈々大きく成つて来てゐる。
百度(ももたび)の研鑽の業(わざ)たふとけれ御國(みくに)起こすはこの地からこそ
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