「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

中江藤樹⑩「視聴言動思の道にたがふ処を正して良知の本体に至り随ふを格物致知と申候」

2020-08-14 14:41:35 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第十三回(令和2年8月14日)

中江藤樹に学ぶ⑩

視聴言動思の道にたがふ処を正して良知の本体に至り随ふを格物致知と申候
(中江藤樹「谷川氏に与ふ」)

 藤樹の訓えに有名な「五事を正す」というのがある。五事とは、視・聴・言・動・思の五つの事である。

この「谷川氏に与ふ」の書簡では、谷川氏が藤樹に「心術の要」を掛け軸に記してくれる様に依頼したのに対して、病気がちで書を記す気が進まないので、工夫の要点を述べようと、前書きして次の様に記している。「日常実践の主眼は「格物致知」である。その要点は慎独にある。「格」は「正」であり、「物」は「事」である。則ち、視・聴・言・動・思の五つの事を言うのである。「致」は「至」であり、「知」は「良知」である。視・聴・言・動・思それぞれの「道」に違えている所を正して、良知の本体に至り随うのを格物致知と言うのである。ところで、物をただすのは「致知」である。知に至るのが格物である。畢竟、視・聴・言・動・思の五事が良知を離れずに、良知が常に明らかなるようにする工夫である。」

 藤樹が述べる「五事」の元となったのは、『書経』「洪範」第三節「五事」である。この中では、五事を「敬用す。」とある。「五事」は貌(顔つき・態度)・言(意見・命令を述べる)・視(物事や人物を観察)・聴(他人の意見を聞く)・思(考え謀る事)、となっている。そして夫々に、貌→恭(うやうやしさ)→「粛(慎ましさ)」、言→従(従順さ)→「乂(がい・道理をおさめる)」、視→明(明るさ)→「哲(優れた知)」、聴→聰(聡さ・聞き落としが無い)→「謀(明敏さ)」、思→睿(えい・深さ)→「聖(知らぬことが無い)」へと進む事を示し、貌・言・視・聴・思の五事を敬い用いれば、粛・乂・哲・謀・聖の域に達する、とある。

 『書経』の場合は、天が古代の聖人・禹に与えた天下を治める為の洪範(大原則)を記しており、藤樹の場合は日常の自反慎独の主眼としての五事=視・聴・言・動・思を述べているので、次元をもっと生活レベルに惹き付けて考えた方が良いであろう。物事を視るに当たって虚心坦懐に先入観無く鏡の様に澄み切った境地で視る事、聴くに当たっても聞き落としや聞き違いが無い様に正確かつ公平にしっかり聞く事、言葉を述べるに当たっては、真心を込めて解り易くかつ論理的に正しい言葉を伝える事が出来ているか、顔や身体の様々な態度や動きが妄りで適当では無く、軽薄に陥らず、適正な所作が身についているか、心の奥の思いが清らかで私心の無い真心で満たされているか。

五事を正すとは、視・聴・言・動・思、夫々に於いて、良知が顕現されている状態を実現する事である。


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