「続『永遠の武士道』」第十二回(令和2年8月11日)
強からん所をば能(よく)つようし給ひ、弱からん所をば能弱く、こはからん所をば能こはく、やはらかならん所をば能やはらかに
(『甲陽軍鑑』命期巻 品第十四巻第六)
『甲陽軍鑑』の中で高坂弾正が最も思いを込めて語っているのが、「命期(みょうご)の巻」四巻と言われている。この巻では、国や家を滅ぼす四種類の大将について論じられている。「鈍(どん)過たる大将の事」「利根(りこん)過たる大将の事」「弱過たる大将の事」「強過たる大将の事」である。馬鹿でもなく利口でもなく、弱くもなく強くもない、と言われると、どうあったら良いのか、困ってしまうのだが、ポイントは「過(すぎ)たる」の文字にある。過ぎると何でも悪くなってしまうのである。特に、大将=中心者の場合は。
鈍過ぎる大将と言っても、才能が劣っている訳では無い、「うぬぼれ」が過ぎる為に心の底を下の者に見透かされ、その結果家臣の多数が軽薄なへつらい者ばかりになってしまった大将である。利根過ぎる大将とは利害打算に鋭敏な大将の事で、がさつで驕り易く挫け易い人間で、自慢心が強く他者への対抗心ばかりが強い大将である。この大将の下では、奉公人も利害打算に鋭敏で商人化してしまうのである。弱過ぎたる大将とは臆病な大将で、心には愚痴が多く女性の様で、人を嫉(ねた)み貶(おとし)め、富める者を好み、諂(へつら)う者を愛し、分別なく無慈悲で人を見る目が無い。道義心の弱い大将である。『甲陽軍鑑』では、これらの大将の夫々について詳しく論じてあり、とても反省させられる。
一方、「強過たる大将」はそれで又問題なのである。実は、この命期の巻は、武田家が勝頼の代に滅んだ痛苦な体験が基となって語られている。勝頼は「強過たる大将」だった。勝頼は信玄に劣ると言われる事を忌避するあまり、弱気の策に出る事を嫌った。そうなると家老達は弱気の事や諫言等も言えなくなり、大将の強気を称賛する佞臣のみがはびこり、大将は「わがままな思案」を持つ様になる。遂には、計策武略を軽んじて無謀な戦いを強行し、その結果、武勇に勝れ忠義に篤い良い人材を死に追い遣り、人材難により滅亡の危機に瀕するのである。長篠の敗戦後の武田家はその様な状態になってしまっていたのだ。
弾正は言う「一方に偏っているのは、欠陥のある大将に他ならない。強くあるべき時には能く強くあり、弱くあたるべき時には能く弱くある。威厳が必要な時には能く威厳を示し、柔らかくあるべき時には能く柔らかである。この様にあるのを良い大将と言う。」と。強・弱・威・柔、時に応じてそれを示せるだけの明識と判断力を有する者こそが名将なのである。人間の幅と奥行きが広いのだ。それを武田信玄は兼ね備えていたのである。
強からん所をば能(よく)つようし給ひ、弱からん所をば能弱く、こはからん所をば能こはく、やはらかならん所をば能やはらかに
(『甲陽軍鑑』命期巻 品第十四巻第六)
『甲陽軍鑑』の中で高坂弾正が最も思いを込めて語っているのが、「命期(みょうご)の巻」四巻と言われている。この巻では、国や家を滅ぼす四種類の大将について論じられている。「鈍(どん)過たる大将の事」「利根(りこん)過たる大将の事」「弱過たる大将の事」「強過たる大将の事」である。馬鹿でもなく利口でもなく、弱くもなく強くもない、と言われると、どうあったら良いのか、困ってしまうのだが、ポイントは「過(すぎ)たる」の文字にある。過ぎると何でも悪くなってしまうのである。特に、大将=中心者の場合は。
鈍過ぎる大将と言っても、才能が劣っている訳では無い、「うぬぼれ」が過ぎる為に心の底を下の者に見透かされ、その結果家臣の多数が軽薄なへつらい者ばかりになってしまった大将である。利根過ぎる大将とは利害打算に鋭敏な大将の事で、がさつで驕り易く挫け易い人間で、自慢心が強く他者への対抗心ばかりが強い大将である。この大将の下では、奉公人も利害打算に鋭敏で商人化してしまうのである。弱過ぎたる大将とは臆病な大将で、心には愚痴が多く女性の様で、人を嫉(ねた)み貶(おとし)め、富める者を好み、諂(へつら)う者を愛し、分別なく無慈悲で人を見る目が無い。道義心の弱い大将である。『甲陽軍鑑』では、これらの大将の夫々について詳しく論じてあり、とても反省させられる。
一方、「強過たる大将」はそれで又問題なのである。実は、この命期の巻は、武田家が勝頼の代に滅んだ痛苦な体験が基となって語られている。勝頼は「強過たる大将」だった。勝頼は信玄に劣ると言われる事を忌避するあまり、弱気の策に出る事を嫌った。そうなると家老達は弱気の事や諫言等も言えなくなり、大将の強気を称賛する佞臣のみがはびこり、大将は「わがままな思案」を持つ様になる。遂には、計策武略を軽んじて無謀な戦いを強行し、その結果、武勇に勝れ忠義に篤い良い人材を死に追い遣り、人材難により滅亡の危機に瀕するのである。長篠の敗戦後の武田家はその様な状態になってしまっていたのだ。
弾正は言う「一方に偏っているのは、欠陥のある大将に他ならない。強くあるべき時には能く強くあり、弱くあたるべき時には能く弱くある。威厳が必要な時には能く威厳を示し、柔らかくあるべき時には能く柔らかである。この様にあるのを良い大将と言う。」と。強・弱・威・柔、時に応じてそれを示せるだけの明識と判断力を有する者こそが名将なのである。人間の幅と奥行きが広いのだ。それを武田信玄は兼ね備えていたのである。
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