「道の学問・心の学問」第三回(令和2年6月5日)
現代とは違う江戸時代の学問観 ― 高い「徳」=「人間力」を磨く為に学問が求められた
江戸時代の人々の言葉に入る前に、現代と江戸時代の「学問観」が全く違っている事に留意が必要である。現代では、学問の目的は高い知性と理性の涵養にあり、特に知識を身に付ける事が学問の中心となっている。しかし、江戸時代の学問は「より良い生き方」の為に、自らの「徳」を高め「心」を磨く事を第一の目的としていた。知識が豊富であっても人間性が伴わなければ「俗儒」「口舌の徒」等と軽蔑された。
西郷南洲の詩に「偶成」と題する次のものがある。
厳寒勉学坐深宵 厳寒勉学深宵(しんしょう)に坐し
冷面饑腸灯数挑 冷面饑腸(きちょう)灯(ともしび)数(しばしば)挑(かか)ぐ
私意看来炉上雪 私意看(み)来たれば炉上の雪
胸中三省愧人饒 胸中三省して人に愧(は)ずること饒(おお)し
極めて寒さの厳しい中、西郷は夜遅くまで坐って勉学に励んでいる。顔面は冷たくなり、空腹も襲ってくる中で、灯火の芯をしばしばかきたてて書物に向きあっている。そのようにしながらわがまま勝手な自分の心(私意)を見つめていると、いろりに落ちる雪がたちまち溶けてしまう様に、心の迷いが消えて行き、これまでの事を自らの胸に問うて深く省みれば、あまりにも人に恥じる事が多い事に、猛省させられるのである。
西郷は、知識を増やす為に深夜まで勉学に励んでいるのでは無い。自らを磨く為に書と向き合っているのだ。今日でも「自反の学」(全ての事がらについて自らを省みる学問)、「慎独」(一人で居る時にも慎みの心を忘れない)、「人間学」(自らの人格や徳を磨いていく学問)など、心ある人は自分を磨き続けているが、それは一部の人に限られている。
西郷が生きた江戸時代の学問とは、基本的に「人間学」であり、自らの心を磨いて行く為に必要不可欠の素養だった。心を磨いてゆけば自ずと自らが歩むべき、正しい「道」が見えてくるのである。『西郷南洲遺訓』には「道」を語る西郷の言葉が多数出て来る。「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人もわれ我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。」「道を行ふ者は、天下挙て毀るも足らざるとせず、天下挙て誉むるも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。」等々。この様に正道を歩む西郷の確固たる生き方、その基礎を形作ったのが江戸の学問だったのである。
現代とは違う江戸時代の学問観 ― 高い「徳」=「人間力」を磨く為に学問が求められた
江戸時代の人々の言葉に入る前に、現代と江戸時代の「学問観」が全く違っている事に留意が必要である。現代では、学問の目的は高い知性と理性の涵養にあり、特に知識を身に付ける事が学問の中心となっている。しかし、江戸時代の学問は「より良い生き方」の為に、自らの「徳」を高め「心」を磨く事を第一の目的としていた。知識が豊富であっても人間性が伴わなければ「俗儒」「口舌の徒」等と軽蔑された。
西郷南洲の詩に「偶成」と題する次のものがある。
厳寒勉学坐深宵 厳寒勉学深宵(しんしょう)に坐し
冷面饑腸灯数挑 冷面饑腸(きちょう)灯(ともしび)数(しばしば)挑(かか)ぐ
私意看来炉上雪 私意看(み)来たれば炉上の雪
胸中三省愧人饒 胸中三省して人に愧(は)ずること饒(おお)し
極めて寒さの厳しい中、西郷は夜遅くまで坐って勉学に励んでいる。顔面は冷たくなり、空腹も襲ってくる中で、灯火の芯をしばしばかきたてて書物に向きあっている。そのようにしながらわがまま勝手な自分の心(私意)を見つめていると、いろりに落ちる雪がたちまち溶けてしまう様に、心の迷いが消えて行き、これまでの事を自らの胸に問うて深く省みれば、あまりにも人に恥じる事が多い事に、猛省させられるのである。
西郷は、知識を増やす為に深夜まで勉学に励んでいるのでは無い。自らを磨く為に書と向き合っているのだ。今日でも「自反の学」(全ての事がらについて自らを省みる学問)、「慎独」(一人で居る時にも慎みの心を忘れない)、「人間学」(自らの人格や徳を磨いていく学問)など、心ある人は自分を磨き続けているが、それは一部の人に限られている。
西郷が生きた江戸時代の学問とは、基本的に「人間学」であり、自らの心を磨いて行く為に必要不可欠の素養だった。心を磨いてゆけば自ずと自らが歩むべき、正しい「道」が見えてくるのである。『西郷南洲遺訓』には「道」を語る西郷の言葉が多数出て来る。「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人もわれ我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。」「道を行ふ者は、天下挙て毀るも足らざるとせず、天下挙て誉むるも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。」等々。この様に正道を歩む西郷の確固たる生き方、その基礎を形作ったのが江戸の学問だったのである。
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