「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

熊澤蕃山⑥「眼前の名を求むる者は利也。名利の人これを小人といふ。」

2020-10-09 10:37:40 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第二十一回(令和2年10月9日)

熊澤蕃山に学ぶ⑥「小人」二

「眼前の名を求むる者は利也。名利の人これを小人といふ。」
                           (『集義和書』巻第四)

今回は「小人」の戒めの第5条から7条を紹介する。

一、名聞(みょうもん)深ければ誠すくなし。利欲厚ければ義を不知(知らず)。

 名聞とは、世間の評判を求める心、名誉欲と言っても良いであろう。利欲とは自分の利益をむさぼる心の事である。名聞、利益、共に自分の外見を飾る欲望の手段である。名聞や利欲に惑わされる者を「小人」と言う。心が外にだけ向いているので、「誠」や「義」という心の輝きの価値には無頓着で、それを平気で踏みにじるのである。

一、己より富貴なるをうらやみ、或はそねみ、己より貧賤なるをあなどり、或はしのぎ、才知芸能の己にまされる者ありても、益をとる事なく、己にしたがふ者を親む。人に問(とう)ことを恥(はじ)て一生無知なり。

 目が外にのみ向かう者は、物質世界のみに生きている。それ故、自分より贅沢な生活を送る者を羨み嫉妬する、その反面、自分より質素な生活を送る者を侮蔑して安心するのである。自分中心だから、自分の意見に同意する者だけでの閉ざされた関係の中で安住し、優れた才能や知識の人に会っても学ぼうとはしない。自分の外聞ばかり気にしているから人に「問う」事をやらない。その結果、進歩は止まり一生無知のままで終ってしまうのである。若い時は人間誰しも向上心がある。だが、ある程度歳を重ねると自分に対する変な自信がついて、現状に満足する「驕り」が生じて来る。幕末の儒者・佐藤一斎は、その危うい年齢が男では五十歳、女では四十歳の頃だと警鐘を鳴らしている。心の深化・生長は一生のものである。文豪の吉川英治が「生涯一書生」と述べた如く、謙虚な求道心を生涯持ち続けたい。

一、物ごとに、実義には叶はざれども、当世の人のほむる事なれば、これをなし、実義に叶(かない)ぬる事も、人そしれば、これをやむ。眼前の名を求むるは利也。名利(みょうり)の人これを小人(しょうじん)といふ。形の欲にしたがひて道をしらざればなり。

 実義とは、真実の義理、道理の事。自らの行為が「人の称賛」「人の誹り」のみに基準を置いて為され、実義に適うか否かを問わない人は、名利を求めて生きているのであり、その様な人を「小人」と言う。物欲利欲のみに従い、人としての真実の道を知らないのだ。

 小人の心は外に向かい、君子の心は内に向かう、内面の充実、生長を日々目指したい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿