「道の学問・心の学問」第十六回(令和2年9月4日)
熊澤蕃山に学ぶ①
「先師存在の時変ぜざるものは、志ばかりにて、学術は日々月々に進んで一所に固滞せざりき。其至善を期するの志を継ぎて日々に新にするの徳業を受けたる人あらば、真の門人なるべし。」 (集義和書巻十三)
熊澤蕃山が中江藤樹の門を敲いたのは、寛永十八年(1641)の事だった。藤樹は固辞するが、蕃山の熱意によって漸く入門が許される。藤樹三十四歳、蕃山二十三歳の時だった。後に蕃山は藤樹門下の俊傑と世に評されるが、蕃山が藤樹の下で学んだのは僅か八ケ月に過ぎない。だが蕃山は、藤樹の求め続けていた学問への志と本質を確と心に刻み付けた。
藤樹亡き後、藤樹の学問を忠実に受け継いでいる門下生達から、独自の発展を為す蕃山の学問に対して批判の声が上がる様になる。それに対して蕃山は、「諸子は極りある所を学び、愚は極りなき所を学び候。」と、学ぶべき本質の違いを指摘している。「その時々の議論や意味の究明にこだわる(極りある所)のでは無く、藤樹先生はご自身の徳と日々に行われる業が日々高まって行かれていた(極りなき所)のであり、それこそが先生の志だったのである。私は先生の志と徳業だけを見て来たのであり、その時々の学問内容にはこだわっていない。」(集義外書巻二)と指摘している。
又、「私が藤樹先生に受けて違わないのは『実義』である。学術や言行が未熟だったり、時や所や位に応じる事は、日を重ね熟成し時に応じて変通すれば良いのである。大道の実義に於てだけは先生と私とは一毛も違う所はない。」「先生がご存命の時に変わらなかったものは、志だけである。学術は日々月々に進んで一か所に固まり滞るという事は無かった。至善(最高善)の境地に居続ける事を求める志を継いで、日々自らを新たにするという徳業を受け継ぐ人が居るなら、真の門人と言える。」(集義和書巻十三)とも述べている。
藤樹は「聖人たらん」と死ぬまで努力し続けた。その為に如何にして自らの心を磨き続ければ良いか苦闘し、掴んだものを時々に応じて弟子達に指し示した。それ故藤樹は自分の言葉を書き残す事を喜ばす、主著『翁問答』は幾度も書き加えている。日々に境地が進んで行くならば過去の言葉は「死語」化してしまうのだ。この学問姿勢は藤樹が師と仰いだ王陽明も同じだった。王陽明も弟子達が語録『伝習録』を編纂する事を中々許さなかった。
私は、藤樹と蕃山とのこの関係こそが「道を求める(志)」交友に於て最も大切だと思っている。素晴らしき先人が残した数多くの言葉に啓発されながらかつ泥む事無く、自らの心境を日々高め上げて行きたい。
熊澤蕃山に学ぶ①
「先師存在の時変ぜざるものは、志ばかりにて、学術は日々月々に進んで一所に固滞せざりき。其至善を期するの志を継ぎて日々に新にするの徳業を受けたる人あらば、真の門人なるべし。」 (集義和書巻十三)
熊澤蕃山が中江藤樹の門を敲いたのは、寛永十八年(1641)の事だった。藤樹は固辞するが、蕃山の熱意によって漸く入門が許される。藤樹三十四歳、蕃山二十三歳の時だった。後に蕃山は藤樹門下の俊傑と世に評されるが、蕃山が藤樹の下で学んだのは僅か八ケ月に過ぎない。だが蕃山は、藤樹の求め続けていた学問への志と本質を確と心に刻み付けた。
藤樹亡き後、藤樹の学問を忠実に受け継いでいる門下生達から、独自の発展を為す蕃山の学問に対して批判の声が上がる様になる。それに対して蕃山は、「諸子は極りある所を学び、愚は極りなき所を学び候。」と、学ぶべき本質の違いを指摘している。「その時々の議論や意味の究明にこだわる(極りある所)のでは無く、藤樹先生はご自身の徳と日々に行われる業が日々高まって行かれていた(極りなき所)のであり、それこそが先生の志だったのである。私は先生の志と徳業だけを見て来たのであり、その時々の学問内容にはこだわっていない。」(集義外書巻二)と指摘している。
又、「私が藤樹先生に受けて違わないのは『実義』である。学術や言行が未熟だったり、時や所や位に応じる事は、日を重ね熟成し時に応じて変通すれば良いのである。大道の実義に於てだけは先生と私とは一毛も違う所はない。」「先生がご存命の時に変わらなかったものは、志だけである。学術は日々月々に進んで一か所に固まり滞るという事は無かった。至善(最高善)の境地に居続ける事を求める志を継いで、日々自らを新たにするという徳業を受け継ぐ人が居るなら、真の門人と言える。」(集義和書巻十三)とも述べている。
藤樹は「聖人たらん」と死ぬまで努力し続けた。その為に如何にして自らの心を磨き続ければ良いか苦闘し、掴んだものを時々に応じて弟子達に指し示した。それ故藤樹は自分の言葉を書き残す事を喜ばす、主著『翁問答』は幾度も書き加えている。日々に境地が進んで行くならば過去の言葉は「死語」化してしまうのだ。この学問姿勢は藤樹が師と仰いだ王陽明も同じだった。王陽明も弟子達が語録『伝習録』を編纂する事を中々許さなかった。
私は、藤樹と蕃山とのこの関係こそが「道を求める(志)」交友に於て最も大切だと思っている。素晴らしき先人が残した数多くの言葉に啓発されながらかつ泥む事無く、自らの心境を日々高め上げて行きたい。
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