お盆が来た。
いつものように、
80代半ばの鋼の錬金ばあちゃんは、
親戚の家の法事へと出かけた。
お坊さんが読経してる間、
鋼の錬金ばあちゃんは、
生きることと死ぬことの思いが、
心の内に舞った。
あまりにも、
多くの知り合いが亡くなった。
あの彼らの言葉や笑顔は、
心には浮かんでも、
目に見ることは無い。
この寂しさに加え、
猛暑とゲリラ豪雨、
コロナ、
ウクライナ、
統一教会------
ナニか、
生きてることそのものが、
苦痛を伴侶にしてるんやないかと錯覚してしまう。
そしたら、
ハス🪷の咲いているところに旅立つ方が幸せなのか❓
違う!
生きて陽の光を浴びそよ風を感じる喜びこそが、
幸せという言葉を映えさせる。
やから、
生きよう!
生きれるまで!!
この鋼の錬金ばあちゃんの生への決意は、
日頃、
弱気になってた自分の心の迎え火を消した。
読経が終わり、
ひと段落ついた。
みんなで食事しようということになり、
長テーブルが出され、
手作りの精進料理が出された。
その時、
鋼の錬金ばあちゃんのところに箸🥢が無かったので、
家の小さな子供に箸🥢を持って来るように言いつけた。
子供は元気に頷いて、
台所から箸🥢を持ってきて、
上画像みたいに、
鋼の錬金ばあちゃんの茶碗に盛られた飯の真ん中に突き立てた🙀
鋼の錬金ばあちゃんは、
悲鳴を上げた😱❗️