タマリの 希望・日常・幸せブログ あ~今日も一日おもろかったい

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友人の死にあたって考えた事

2011-10-10 19:28:13 | おもろかったい
こんばんは
陶話作家のクメタマリです。


 8月の23日に友人が48歳で亡くなりました。あまりに早い訃報。私は、それを知る事無く、9月も半ばを過ぎて、カトマンズの友人からフェイスブックを通じて知る事となりました。
 スイスの方と結婚し、スイスで生活していました。私も必死な時代でもあり、最後にあったのは、夫君とともにうちで鍋を囲んだのが20年近く前。
 信じられませんでしたが、子どもたちの成長がその月日を物語っています。

 
 今日、日本での告別式でした。この頃は、葬儀場には、映像が流れるのが当たり前になっていますね。末期がんでもう自分の逝く先を知っていたには、あまりにも美しい笑顔でした。

 遅れていった私は、階段を上った先のご焼香場で、涙が止まらず困りました。

 お母様のご挨拶には、「娘の代わりに、私の告別式であって欲しかった」とありました。お気持ちは痛い程わかります。


 100名もの方々が集まった告別式に、名残惜しく、多くの人がいつまでも残っていました。たくさんの思い出話が話されました。

 お母様から病気が見つかってからの本人の様子をうかがいました。

「私ね、もう末期みたいなのよね。先生が、体が動くうちに、やるべき事をやっておきなさいって言っていたから、そのうち動けなくなるのかしら?」
「お母さん、そんな事言ったって、いつかみんな死ぬんだから。違います?」

お母様は、「そんな事言うものだから、私も、『あら、そうだわねえ』なんて、いっちゃって」と苦笑い。

 人は、どこまで強くなれるんだろうと思いました。

 友人夫妻には、子どもがいなかったために、彼女の弟の娘を引き取り、また、里子をもらって、幸せに暮らしていました。その子どもたちも告別式に出席し、かわいらしいご挨拶をしていました。いただいたお土産の中には、家族4人の写真が一葉入っており、白人、黄色人種、黒人の家族の、「家族の笑顔」が載っていました。


 「こうやって、たくさんの人と人を繋ぎ合わせる。彼女は、ここで最後の仕事をしているのね。」と誰かが英語で話していました。


 「この御縁を大切に」彼女のたくさんの友人たちは、このことを心に刻んだ一日であったと思います。

 人は、生まれ落ちた瞬間から、「死」に向かって生きて行きます。だから、「死」は、生きる事そのものなのです。彼女のように、「死」を生きられたらと思います。


 彼女が私の人生のとても大切な時期に現れ、共に生き、そして深い感銘を与えてくれた事に感謝します。

        ありがとう





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