おはようございます。
昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。
相変わらずせきが止まりませんが、少しましになってきたように思います。
昨日いらしたお客様が、結構みなさん咳っぽくて、みいんな同じような風邪というか、花粉のアレルギー反応というか、しているのかしらと思ったりします。
ただの花粉じゃあないような気もしますね。
さてと、昔話です。
5月ころの楽しみの一つといえば、野いちごでした。
それこそ、山野に山ほどトゲトゲの野いちごの木があり、幼い子どもたちは手篭を持って摘みに入ります。
籠がいっぱいになると、持ち帰り、少しの砂糖を加えてジャムにしてもらいます。
バス停まで歩いて30分、そのバスに乗って1時間下ったところに町があり、そこでやっと買い物ができるような地域でしたから、今のようにパンなど常時うちにはありません。
ジャムをつけるのは、「べったら焼き」と呼んだ小麦粉を平たく焼いたものでした。
饅頭のようにふくらし粉も入らず、ほんとうにべたっとした小麦粉のもちのようなものに、件のジャムをかけて、それでも、その頃は天にも昇るおいしさでした。
また、今でも信じているのですが、この世で一番おいしい果物は、「桑の実」。
これは、夏から秋の果物です。
黒みがちの紫の小さな実は、甘く、やわらかく、木の枝に腰掛けて夢中になって食べたものでした。どうしてこの桑の実を今、あまりというか、まったく目にしないのか、不思議でなりません。輸入物のブラックベリーなどとは比べ物にならないおいしさ。
あと、やまももの実も、おいしいものでした。これは、今、あちこちの垣根になっていますね。でも、誰も取る人がいないので、鳥のえさになるか、地に落ちて、ごみになっています。
とにかく、私の幼いころ、天地は、「身の回りには食べられるものであふれている。」ということを確かに、しっかりと私の小さな身の内に叩き込んでくれたのでした。
昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。
相変わらずせきが止まりませんが、少しましになってきたように思います。
昨日いらしたお客様が、結構みなさん咳っぽくて、みいんな同じような風邪というか、花粉のアレルギー反応というか、しているのかしらと思ったりします。
ただの花粉じゃあないような気もしますね。
さてと、昔話です。
5月ころの楽しみの一つといえば、野いちごでした。
それこそ、山野に山ほどトゲトゲの野いちごの木があり、幼い子どもたちは手篭を持って摘みに入ります。
籠がいっぱいになると、持ち帰り、少しの砂糖を加えてジャムにしてもらいます。
バス停まで歩いて30分、そのバスに乗って1時間下ったところに町があり、そこでやっと買い物ができるような地域でしたから、今のようにパンなど常時うちにはありません。
ジャムをつけるのは、「べったら焼き」と呼んだ小麦粉を平たく焼いたものでした。
饅頭のようにふくらし粉も入らず、ほんとうにべたっとした小麦粉のもちのようなものに、件のジャムをかけて、それでも、その頃は天にも昇るおいしさでした。
また、今でも信じているのですが、この世で一番おいしい果物は、「桑の実」。
これは、夏から秋の果物です。
黒みがちの紫の小さな実は、甘く、やわらかく、木の枝に腰掛けて夢中になって食べたものでした。どうしてこの桑の実を今、あまりというか、まったく目にしないのか、不思議でなりません。輸入物のブラックベリーなどとは比べ物にならないおいしさ。
あと、やまももの実も、おいしいものでした。これは、今、あちこちの垣根になっていますね。でも、誰も取る人がいないので、鳥のえさになるか、地に落ちて、ごみになっています。
とにかく、私の幼いころ、天地は、「身の回りには食べられるものであふれている。」ということを確かに、しっかりと私の小さな身の内に叩き込んでくれたのでした。