小学校4年~6年の3年間はクラス替えがなかったので、小学校高学年の密なる3年間を同じメンバーで過ごしたことになる。だからひときわ印象も強い。
特に親しいわけではなかったがFK君。良家の子どもという雰囲気で当時としては珍しいヴァイオリンを習っていた。クラス会で演奏もしたがそんなに上手でもなかったが、小学生なら仕方がないかも。勉強もできていまいち好きにはなれなかったが、私立中学に進学したので小学校でおさらば。
後に再会する。場所は高校入試の会場。たまたま同じ高校を受験して同じ試験会場の教室にいた。彼は同じ中学の友だちと一緒で、特に親しくもなかったから知っている顔があるくらいの印象か。忘れもしないのが、国語だったかの教科の試験が終わった後の休憩時間、少し難しかったと思っていたら彼が友人達との会話で、易しい問題だったと話していたこと。ちょっとカチンときた。
で、結果は合格者名簿に彼の名前はなかった。
女の子達とは特別に親しい人はいなかった。川西はけっこう田舎の雰囲気があって男女が仲良くするとすぐに悪口を言われたりする物だからちょっと敬遠しないといけなかった。数名たまに遊んだ子もいたりはしたが。
男子の友人はけっこういた。
一番遊んだのがI君。顔が五角形で野球のホームベースに似ていた。家も近かったのでよく彼の家に他の友人達と一緒に遊びに行った。今でも覚えているのが、彼の家で初めてテープレコーダーで録音をしたこと。誰でも最初に思うことだが、自分の声を初めて聞いたときの違和感。けっこうショックだった。歌を吹き込んだのだが、みんなでいろんな歌を歌った。その当時流行っていた「北京の55日」「自動車ショー歌」とか。
FJ君は猿顔の小柄な少年。沖縄生まれの奄美大島育ちとか。たしか父親が米兵だったとかなかったとか、ハーフなんだろうと言っていた。もっとも父親の苗が日本名なんだから、もし米兵としてもハーフだったりして。だったらクオーターか。名前の方がちょっともじれば外国名に聞こえなくもないので、時々そういう呼び方もしていた。彼もI君の家で一緒に遊んでいたときの写真がアルバムにある。
中学は校区が違うので(北側はK中学校、南側はK南中学校に分かれる)小学校卒業後は会うこともなかったのだが、思いも寄らない場所で再会することになる。
成人して教会に通い出した大学生の頃、先年若くして亡くなった牧師がまだ神学生の時、祈祷会で学校の友人を連れてきたことがあった。顔を合わせてお互いびっくり。なんとFJ君だった。親の事情で苗字が替わっていたけれど、それにしてもこんな場所で再会するとは夢にも思わなかった。まあその一度だけでその後会うこともなくなったが。
鹿児島からの転校生U君とも親しかった。彼が児童会に立候補することになったときは、応援団に回って作戦会議をすることになったのだが、演説原稿を僕が書いて持って行ったらそれですっかり安心してしまって後は遊んでしまった。結果は落選。
同じく転校生のN君はやけに顔が長い馬面の少年。近い時期に転校してきたM君はゴジラによく似ていた。IN君はイナゴによく似た逆三角形の顔をしていていろいろ笑わされた。
小学4年生は遊び道具がなくてもすぐに遊びを思いついて、よく遊んだ。正月休みに集まって遠くに遊びに行く計画も立てたのだが、親に知られて猛反対されて断念。ちょっと残念だった。
特に親しいわけではなかったがFK君。良家の子どもという雰囲気で当時としては珍しいヴァイオリンを習っていた。クラス会で演奏もしたがそんなに上手でもなかったが、小学生なら仕方がないかも。勉強もできていまいち好きにはなれなかったが、私立中学に進学したので小学校でおさらば。
後に再会する。場所は高校入試の会場。たまたま同じ高校を受験して同じ試験会場の教室にいた。彼は同じ中学の友だちと一緒で、特に親しくもなかったから知っている顔があるくらいの印象か。忘れもしないのが、国語だったかの教科の試験が終わった後の休憩時間、少し難しかったと思っていたら彼が友人達との会話で、易しい問題だったと話していたこと。ちょっとカチンときた。
で、結果は合格者名簿に彼の名前はなかった。
女の子達とは特別に親しい人はいなかった。川西はけっこう田舎の雰囲気があって男女が仲良くするとすぐに悪口を言われたりする物だからちょっと敬遠しないといけなかった。数名たまに遊んだ子もいたりはしたが。
男子の友人はけっこういた。
一番遊んだのがI君。顔が五角形で野球のホームベースに似ていた。家も近かったのでよく彼の家に他の友人達と一緒に遊びに行った。今でも覚えているのが、彼の家で初めてテープレコーダーで録音をしたこと。誰でも最初に思うことだが、自分の声を初めて聞いたときの違和感。けっこうショックだった。歌を吹き込んだのだが、みんなでいろんな歌を歌った。その当時流行っていた「北京の55日」「自動車ショー歌」とか。
FJ君は猿顔の小柄な少年。沖縄生まれの奄美大島育ちとか。たしか父親が米兵だったとかなかったとか、ハーフなんだろうと言っていた。もっとも父親の苗が日本名なんだから、もし米兵としてもハーフだったりして。だったらクオーターか。名前の方がちょっともじれば外国名に聞こえなくもないので、時々そういう呼び方もしていた。彼もI君の家で一緒に遊んでいたときの写真がアルバムにある。
中学は校区が違うので(北側はK中学校、南側はK南中学校に分かれる)小学校卒業後は会うこともなかったのだが、思いも寄らない場所で再会することになる。
成人して教会に通い出した大学生の頃、先年若くして亡くなった牧師がまだ神学生の時、祈祷会で学校の友人を連れてきたことがあった。顔を合わせてお互いびっくり。なんとFJ君だった。親の事情で苗字が替わっていたけれど、それにしてもこんな場所で再会するとは夢にも思わなかった。まあその一度だけでその後会うこともなくなったが。
鹿児島からの転校生U君とも親しかった。彼が児童会に立候補することになったときは、応援団に回って作戦会議をすることになったのだが、演説原稿を僕が書いて持って行ったらそれですっかり安心してしまって後は遊んでしまった。結果は落選。
同じく転校生のN君はやけに顔が長い馬面の少年。近い時期に転校してきたM君はゴジラによく似ていた。IN君はイナゴによく似た逆三角形の顔をしていていろいろ笑わされた。
小学4年生は遊び道具がなくてもすぐに遊びを思いついて、よく遊んだ。正月休みに集まって遠くに遊びに行く計画も立てたのだが、親に知られて猛反対されて断念。ちょっと残念だった。