丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

三度目の手術

2009年06月15日 | 個人史
東京オリンピックの開会式を三日後に控えた昭和39年10月7日のことだった。

その日は朝から体調が思わしくなかったことを記憶している。なんとなくだるいような。夕食を食べた後も具合が悪く、下腹が痛い。

昔から今もなお胃腸は弱く、しょっちゅう腹痛を起こしている。ほとんど持病。だから今でも腹痛の薬は携行している。以前には薬剤師の叔母が調合した薬を持ち歩いていた。この薬はよく効いた。

医者にはしょっちゅう通っていたから、検査方法も判っている。お腹を押してみて、左側が痛ければ大腸関係の病気。大腸カタルとか。中央が痛ければ小腸関係の病気。そして右側が痛ければ盲腸の疑いが高い。自分で触診してみて今度はどうやら右側のようだ。ほとんど間違いない。
夜、どうしようもなくなって、かかりつけの駅前の町医者に行く。歩いてはいけないくらいだったので兄におんぶしてもらって出かけた。医者についても診察は同じ。お腹を押してみてやはり右側が痛い。どうやら本当に盲腸らしい。ここでは手術もできないから、隣の池田市の市民病院に紹介状を書いてもらって行くことに。

駅前からタクシーに乗って市民病院に向かう。途中池田の駅前にある銀行の電光時計が11時58分を告げているのが見えた。
病院について血液検査。白血球の様子とかを調べる。手術をするのに間違えていては大変だから。結果、盲腸(正式には虫垂炎)であるのは間違いない、ということで緊急手術になる。

服をすべて脱がされてベッドに寝かされたまま手術室に運び込まれた。横では手術道具、メスやピンセットなどを煮沸消毒している。そのままの時間が長く感じられた。そして一つの疑問符がたえず頭の中をよぎっていた。……何か忘れてはいませんか?????……
専門家相手の声をあげることはできない。ただまかせるだけ。しかし何もないまま時間だけがすぎていく。……何か忘れてはいませんか?????……
そのうちにドラマなどでよく見る緑色の布がかけられる。直接体にふれないように枠をはめて、手足が勝手に動かないようにひもでゆわえられて。でも……何か忘れてはいませんか?????……
緑の布には手術をするお腹の部分だけが開かれている。そしておもむろに手術が始まった!
当然お腹を切る物質。ぎゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!!

ここは普通麻酔をかけるところでしょう!なのに、いきなりお腹にグサッとやられた!!!!ぎゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!!

あの痛みは一生忘れられない。昔々に舌を噛み切ったこともあったが、今度はいきなり切腹と来た。どういうめぐりあわせなのか。
そして感覚的にはお腹を横に切り開かれていく感覚。

後から思えば、あの痛みはその時にやっと局部麻酔を打った注射針の痛さなのかとも思う。麻酔薬を入れられた感覚が横に広がる感覚だったのかも。でも真相はわからない。何しろ布で覆われて何も見えなかったのだから。
意識がおかしくなって、途中一回起きかけて無理矢理押さえつけられた。後はどうにでもなれという心境。天井の穴だけをしきりに数えていた。

とにかくにも手術は無事に終了して、足の太ももにリンゲル液の太い注射針が差し込まれたままで手術室を出る。

病室は大部屋。本当は大部屋というのはあまり好きではないのだが。
つい最近母が亡くなる少し前に聞いた話では、この頃父はちょうど転職したばかりだったのでまだ保険の切り替えができていないときだったとか。手術費用などの工面が大変だったようで、ぎりぎり保険の手続きが間に合ったとか。

当時はまだ病室にTVなどはなく、病院には待合室に1台あるだけだったとか。そんなわけで東京オリンピックの開会式は見られなかった。兄たちは待合室まで行って見たという。

翌日、最初のガーゼ交換は痛かった。何しろガーゼが血で固まり着いているのをはがすのだから。痛いのはその1回だけだったのだが、毎回ガーゼ交換の時は体が固まった。未だに自分以外でも他人の傷口等を見るのは怖い。うっかり触って猛烈に痛い思いをさせてしまうのではないかという恐怖がある。

傷口は珍しく横に切られている。盲腸の手術跡は縦に切るのが普通のようなのだが。だから糸の後も含めるとカタカナの「サ」という形に傷跡が残っている。この傷口を触るのも怖かった。うっかり触って傷口が開いてしまうとどうなるのかなどと思ってしまう。

病院には一週間入院して、退院してからもう一週間家で静養した。歩き方を忘れたみたいで普通の歩行がなかなかできなかった。せっかく乗れるようになった自転車に乗れなくなっていたらどうしようかと思ったがこれは大丈夫だった。

学校に2週間行かなかったわけだが、その間の学習内容は抜けている。そういうわけでもないのだろうが、岩石についての話は苦手だ。家庭科は裁縫で雑巾を縫っていたのだが、雑巾を縫うのも苦手だ。関係ないとは思うが、ミシンを扱うのも実に苦手。昔は足こぎでミシンを動かすのだが、僕が使うと必ずミシンは逆方向に動いてしまう。
国語で漢字は「飛」という漢字を習っていた。なにか印象深い。