花火大会もあってそのついでに同窓会があったわけなのだが、実を言えば花火は苦手だ。
遠くから眺めているのはまだ良いのだが、河原等で間近に見るのは怖い。
昔祖父の家が宝塚にあった頃、宝塚の花火大会をよく見に連れて行かれた。河原で間近に見るのだが、花火というのは距離の関係で音と実際の花火がずれこむ。つまり大輪が開いてその後にドカーンという音が聞こえてくるのだが、そのタイムラグが怖かった。音もしないのに大輪が開いて、そして消えるか消えないかの瞬間に大きな音がする。音の恐怖というか、映像と同時でない音が恐怖だったのかもしれない。だからその大輪自体が恐怖の象徴だった。
大輪が開く前に打ち上げるシュルシュルという音が聞こえたらもうだめ。耳と目を同時に塞いだ。お化け屋敷に入るのとたいして変わらない感覚だった。
かなり離れた距離での花火はしっかり見られる。花火が襲ってくることもない。真下だと火花が落ちてくる危険性なども感じていたのかも知れない。
ついでながら、遊びでやる花火も、打ち上げ系は嫌いだ。怖いといった方が適切かも知れない。
遠くから眺めているのはまだ良いのだが、河原等で間近に見るのは怖い。
昔祖父の家が宝塚にあった頃、宝塚の花火大会をよく見に連れて行かれた。河原で間近に見るのだが、花火というのは距離の関係で音と実際の花火がずれこむ。つまり大輪が開いてその後にドカーンという音が聞こえてくるのだが、そのタイムラグが怖かった。音もしないのに大輪が開いて、そして消えるか消えないかの瞬間に大きな音がする。音の恐怖というか、映像と同時でない音が恐怖だったのかもしれない。だからその大輪自体が恐怖の象徴だった。
大輪が開く前に打ち上げるシュルシュルという音が聞こえたらもうだめ。耳と目を同時に塞いだ。お化け屋敷に入るのとたいして変わらない感覚だった。
かなり離れた距離での花火はしっかり見られる。花火が襲ってくることもない。真下だと火花が落ちてくる危険性なども感じていたのかも知れない。
ついでながら、遊びでやる花火も、打ち上げ系は嫌いだ。怖いといった方が適切かも知れない。