§14
こんな暗いバカンスになるなんて思いもしなかった。
せめて海水浴に来ている間だけは嫌なことを忘れて楽しもうと思いたかった。絶好の海水浴日和である。海はまだ青く俺の心など知らぬげに済みきっていた。俗世間のことを忘れるには雰囲気的には申し分はない。しかし何となく欠けている物が一つだけあった。それはマリ子の明るさだった。マリ子とはしばらくまともに話をしていなかった。京子さんが言った言葉が気にかかって、マリ子と会う約束をしていたのにも関わらずすっぽかして以来、どうにも話しづらくなってしまった。なまじ話をしないと、ますますあの言葉が心に引っかかってくる。気にすまいと思えば思うほど、なおさら気になるのだった。
ふと見ると、 なんとなく淋しそうな表情のマリ子がいた。一体あいつ、何を考えているんだろう。とにかくわからないことだらけだった。いや、そんあこと考えるのはよそう。今日は楽しむために来たのだ。嫌なことみんな忘れに来たんだ。そう思ってわざとマリ子を無視するようにした。
気がつくといつの間にかマリ子はいなくなっていた。気にすることなんかない。そうは思ったが、かなり時間が経ってもまだ姿を現さなかった。誰に聞いても知らないという。
さすがに俺は気になってきた。手分けをしてみんなで捜すことにした。そんな時、すぐ近くの浜辺で人の騒ぐ声が聞こえてきた。俺は一瞬悪い予感が頭の中を駆け巡り、あわてて声のする方向に走っていった。誰かが溺れてたった今引き上げられたばかりだった。何卯も考えず俺は急いで人混みをかき分けて中に押し入った。
俺の予感は悪い方に的中した。はたして溺れていたのはマリ子だった。ぐったりとして青みがかった表情をしている。落ち着け、俺。落ち着くんだ。今俺は何をなすべきなのかじっくり考えるんだ。俺は自分自身にまず言い聞かせた。
落ち着くと思い出せることが出てきた。夏休みに入る前、学校の体育館で救急救命の講習会があった。こういう場面での処置の仕方を教えてもらい、人形を使っての実習も行ったはずだ。まさか現実に遭遇することなどあり得ないだろうと、割といい加減な気持ちで受けてはいたが、それでもしっかり実習をしたはずだ。
まず腕を取って脈を測った。しかし見つからない。俺はちょっとあせった。首元で脈を診る。感じない。心音はどうだ。あいつとは言え女の子だ。ちょっと胸に触れることにためらいはあったが、そんなことは言ってられない。乳房の間やや左下あたりを、気をつけながら押さえてみた。停止している。
「早く救急車を呼んでください!」
一番大事なことを忘れていて大声で叫んだ。回りでうろうろしているだけの人たちの数人があわてて駆けだしていった。
次にするのは、気道の確保。そして人口呼吸と心臓マッサージ。まわりを見回したが、そういうことのできそうな人は見つからなかった。何となく誰もが腰が引けているような漢字を覚えた。俺しかいないのか。俺は必死で講習内容を思い返していた。
首を持ち上げ気道の確保。四角い浮き袋があったのであおれを当てて位置を固定する。人形の時は脱脂綿とかも用意があったが、そんなことは考えている時間もなかった。意を決して、マリ子の鼻を押さえて唇に俺の唇を押し当てて息を吹き込んだ。数回吹き込んだ後、心臓を一定間隔でマッサージする。そしてまた息を吹き込む。単調な作業の繰り返し。
「一人で沖の方に向かっていたようですよ……」
「何でまたそんなことをね」
「自殺でもする気じゃなかったのかな」
「まだ若いのにね」
周囲でされる勝手なおしゃべりに俺は怒鳴り出しそうになった。お前ら今のこの事態を何て思ってるんだ。しかし喧嘩している場合ではない。いいか、マリ子の息が戻ったらこいつらとじっくり喧嘩してやるからな。今はマリ子の命の方が大事だ。死ぬなよ、死ぬなよ、頑張れ、頑張れ。俺が着いてるからな。俺は心の中で叫び続けた。遠くで救急車のサイレンが聞こえてきたような気がした。
こんな暗いバカンスになるなんて思いもしなかった。
せめて海水浴に来ている間だけは嫌なことを忘れて楽しもうと思いたかった。絶好の海水浴日和である。海はまだ青く俺の心など知らぬげに済みきっていた。俗世間のことを忘れるには雰囲気的には申し分はない。しかし何となく欠けている物が一つだけあった。それはマリ子の明るさだった。マリ子とはしばらくまともに話をしていなかった。京子さんが言った言葉が気にかかって、マリ子と会う約束をしていたのにも関わらずすっぽかして以来、どうにも話しづらくなってしまった。なまじ話をしないと、ますますあの言葉が心に引っかかってくる。気にすまいと思えば思うほど、なおさら気になるのだった。
ふと見ると、 なんとなく淋しそうな表情のマリ子がいた。一体あいつ、何を考えているんだろう。とにかくわからないことだらけだった。いや、そんあこと考えるのはよそう。今日は楽しむために来たのだ。嫌なことみんな忘れに来たんだ。そう思ってわざとマリ子を無視するようにした。
気がつくといつの間にかマリ子はいなくなっていた。気にすることなんかない。そうは思ったが、かなり時間が経ってもまだ姿を現さなかった。誰に聞いても知らないという。
さすがに俺は気になってきた。手分けをしてみんなで捜すことにした。そんな時、すぐ近くの浜辺で人の騒ぐ声が聞こえてきた。俺は一瞬悪い予感が頭の中を駆け巡り、あわてて声のする方向に走っていった。誰かが溺れてたった今引き上げられたばかりだった。何卯も考えず俺は急いで人混みをかき分けて中に押し入った。
俺の予感は悪い方に的中した。はたして溺れていたのはマリ子だった。ぐったりとして青みがかった表情をしている。落ち着け、俺。落ち着くんだ。今俺は何をなすべきなのかじっくり考えるんだ。俺は自分自身にまず言い聞かせた。
落ち着くと思い出せることが出てきた。夏休みに入る前、学校の体育館で救急救命の講習会があった。こういう場面での処置の仕方を教えてもらい、人形を使っての実習も行ったはずだ。まさか現実に遭遇することなどあり得ないだろうと、割といい加減な気持ちで受けてはいたが、それでもしっかり実習をしたはずだ。
まず腕を取って脈を測った。しかし見つからない。俺はちょっとあせった。首元で脈を診る。感じない。心音はどうだ。あいつとは言え女の子だ。ちょっと胸に触れることにためらいはあったが、そんなことは言ってられない。乳房の間やや左下あたりを、気をつけながら押さえてみた。停止している。
「早く救急車を呼んでください!」
一番大事なことを忘れていて大声で叫んだ。回りでうろうろしているだけの人たちの数人があわてて駆けだしていった。
次にするのは、気道の確保。そして人口呼吸と心臓マッサージ。まわりを見回したが、そういうことのできそうな人は見つからなかった。何となく誰もが腰が引けているような漢字を覚えた。俺しかいないのか。俺は必死で講習内容を思い返していた。
首を持ち上げ気道の確保。四角い浮き袋があったのであおれを当てて位置を固定する。人形の時は脱脂綿とかも用意があったが、そんなことは考えている時間もなかった。意を決して、マリ子の鼻を押さえて唇に俺の唇を押し当てて息を吹き込んだ。数回吹き込んだ後、心臓を一定間隔でマッサージする。そしてまた息を吹き込む。単調な作業の繰り返し。
「一人で沖の方に向かっていたようですよ……」
「何でまたそんなことをね」
「自殺でもする気じゃなかったのかな」
「まだ若いのにね」
周囲でされる勝手なおしゃべりに俺は怒鳴り出しそうになった。お前ら今のこの事態を何て思ってるんだ。しかし喧嘩している場合ではない。いいか、マリ子の息が戻ったらこいつらとじっくり喧嘩してやるからな。今はマリ子の命の方が大事だ。死ぬなよ、死ぬなよ、頑張れ、頑張れ。俺が着いてるからな。俺は心の中で叫び続けた。遠くで救急車のサイレンが聞こえてきたような気がした。