なんども会ってるけど、二人で会ったことはなかった方とランチすることになって、きっとそうなるだろうとは思ってたけど、やっぱりものすごく喋った。
そもそも私はマシンガントークだけど、相手も相当なマシンガンで、二挺で撃ち合えば、そりゃ、エスカレートしていくってもんだろう。
でもなんというか、撃ちつくした感があって、
「じゃ、またね!」
とお別れした時には、一種爽快な気分だった(笑)
その後、顔真卿展へ。
うーん、書は、わからないなあ^^;;
母はちょっと書道にはうるさいから、絵よりは馴染みがあるはずなんだけど。
「どうだった?」
と母に聞かれて、思わず、
「うーん、白と黒だった(拓本も白黒だしね)」
中国文化にとっての書って、生き方とか、思想そのものなのなんだなっていうのは、ちょっとわかった。
日本への影響ということで、並べて展示されていた藤原行成の書の繊細さに、ちょっとホッとした。物言う中国語と秘めたい日本語は、同じ字を使っても纏うモノが違うのだろう。

山の岩肌に掘られた碑の拓本は、国立博物館の天井から吊り下げてもまだ余る。スケールが違う。
そもそも私はマシンガントークだけど、相手も相当なマシンガンで、二挺で撃ち合えば、そりゃ、エスカレートしていくってもんだろう。
でもなんというか、撃ちつくした感があって、
「じゃ、またね!」
とお別れした時には、一種爽快な気分だった(笑)
その後、顔真卿展へ。
うーん、書は、わからないなあ^^;;
母はちょっと書道にはうるさいから、絵よりは馴染みがあるはずなんだけど。
「どうだった?」
と母に聞かれて、思わず、
「うーん、白と黒だった(拓本も白黒だしね)」
中国文化にとっての書って、生き方とか、思想そのものなのなんだなっていうのは、ちょっとわかった。
日本への影響ということで、並べて展示されていた藤原行成の書の繊細さに、ちょっとホッとした。物言う中国語と秘めたい日本語は、同じ字を使っても纏うモノが違うのだろう。

山の岩肌に掘られた碑の拓本は、国立博物館の天井から吊り下げてもまだ余る。スケールが違う。