いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

ミミとチャッピー

2005-03-30 18:37:57 | Weblog
小春日和が続き、ミミ(左)とチャッピーも機嫌がいい。
紅梅は、チャッピーと散歩した時にデジカメで撮った写真。
ミミは8歳を迎え、元気度合いが少し気になる。チャッピーは、1歳と6ヶ月。娘が2人。
チャッピーは遊び盛りで、ミミを相手にじゃれ付いているが、体格・体力が違い過ぎて
何時も負かされて、きゃっきゃ騒いでいる。

わしの住んでいる町内には、昔盛んだった”講”が残っている。
土地の老人から聴いた話がキッカケで、自分が住んでいる周辺にある遺跡などを探索
する羽目になった。

家康が鷹狩りに往来した”御成街道(おなりかいどう)”は、徒歩4~5分で行ける。
お茶屋御殿跡は、鷹狩り一行の宿泊屋敷などがあった所。空堀(からぼり)跡から規模
の大きが推測でき、正門前の広場には栗の木が沢山繁っている。
自転車で10分位だ。拙宅と屋敷跡の中間辺りにある寺院が金光院(こんこういん)で、
家康ゆかりの桜、お茶屋御殿から移設した「山門」などが残されている。

出羽三山(羽黒山、湯殿山、月山:がっさん)は男性が丑(うし)年に、秩父三四番には
女性が未(ひつじ)年に参拝する慣習が今に継承されてる。
ミミとチャッピーの横には、出羽三山詣でをした記念の石碑が十基建てられ、大きい
ものが7基あり明治41年9月と読めるのが最古。それ以前の小さな石碑2基は、文政
2年(1819年)2月吉日と安政2年(1855年)2月、もう一基は表面の風蝕が激しく
建立年月が判読できない。
平成9年7月建立が最も新しい石碑で、186年に亘り伝統が綿々と尽きなく伝承されている。

女性の石碑は、ここから直ぐの大宮神社境内に建立され、御成街道沿いにある。
町内の人達でないと見逃してしまう、古びた小さな神社。
男性の記念碑は、整然と配置されていても、ここのそれは、三々五々と境内に配置されている。
大正8年5月参拝、杉苗100本寄贈と彫られた、石柱に近い記念碑が最古参のようだ。
金光院の住職が江戸時代に寄贈した道祖神を祭る祠(ほこら)が境内にあり、苔に覆
われた風体(ふうてい)に歴史を感じる。

元気印のように、宅地開発をして造成されてから移転してきた住民は、町内が違うので
”講”には入れない。土地の老人が教えてくれた。
鎮守の森があった時代から住んでいる人達は、宅地開発の時に土地を手放している。
宅地造成範囲の外、中心街から離れたところで、残された土地を守って暮らしている。
住宅地周辺に小さい森が数箇所あり小鳥達の餌場になっている。その風景に鎮守の森
の面影を想像するしかない。

手押し車を押しながら家庭菜園の傍を通って、畑仕事に出かける、腰を曲げた老婆に、
当時の香りが残っていた。

「何を植えているんだネ」
「きゅうりを・・・」
「そうかい、下に向かって根が張るように、元肥を深くやることだネ」

畝溝を深く掘り、元肥をたっぷり入れ土をかぶせ、10日ほど寝せてから苗を植える。
地面を這うように張るきゅうりの根は、乾燥に弱いが、梅雨明けの暑さに耐え抜き、
昨年は大豊作だった。
収穫した後、土作りで畑を耕していると、太くシッカリしたきゅうりの根が、沢山出てきた。

家庭菜園の横道をお婆さんが通ったら、お礼の声をかけようと待機する日が続いている。
手押し車を押す足をとめ、タオルを頭に巻いた日焼け顔で、きゅうり栽培の秘伝を授けてくれた
お婆さんは、1昨年来姿を見せない。

そろそろ畑の土作りにかからないと、時期外れになる。
今年のきゅうりも、大収穫にしなくっちゃ。
「元気印のきゅうりは、あまくて、美味しい」
孫達の期待に応える。元気印シニアの元気のモトは、これに限るョ。

それにしても、チャッピーは、ミミをよく観察している。
お座り、待て、お手などは、ミミの仕草をみて、躾ける前に憶えてしまった。
散歩をしていても、ミミのすることを、直ぐに真似て、同じ行動をする。
でもネ、得意技がある。たっち(チン)とジャンプ。ミミにはできないチャッピーの十八番だ。

ふたつ違いの孫達は、ミミとチャッピーのようにはいかない。
姉さん気取りと男勝りがぶつかり合い、何時も喧嘩ばっか。期待は・・時期尚早かなァ。

観音さまは音無しの構えで、元気印の独り言に耳を傾けている。
いきけんこう談義に仲間入りしようと、荒ぶる神様は、観音さまに秋波を送り始めた。
名なし羅漢は、そわそわして、落ちつきがない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする