いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

ピンクなバラの咲き比べ

2011-10-24 21:14:51 | 四季折々の風景
22日に書いた「ピンクなバラが咲いた」の続きです。

武士の情けでシャッターを切らないことに決めた手前のバラ。後方に咲いているバラとの開化状態を対比する誘惑に駆られ、写真を撮ることにしました。それにしても、昨夜来降っていた雨の水滴を溜めたバラは艶っぽいものです。



ところで、このバラの品種は判然としていませんが、
「わが国には、ノイバラ、テリハノウバラ、ヤマイバラ、タカネイバラ、サンショウバラ、ハマナスなど数十種類の野生種が知られる。山野で最も普通に見られるのがノイバラで、ノバラとも呼ばれる」(図説 花と樹の事典)。



この辞典に写真は掲載されていないので、他の花辞典類に当っても同じ品種が見付かりません。バラの愛好家にでも聞いてみようかと思案しているところです。そんな訳で、バラの来歴を引用することにします。

「バラと思われる植物が、わが国の文献で最初に記されるのは『万葉集』。
防人(さきもり)の歌に「道の辺の荊の末に這ほ豆のからまる君を別れか行かむ」とあり、この荊がノイバラを指すといわれている。(中略)。江戸時代になると一般的な花木として広く栽培されるようになり、さらに江戸末期には西洋バラも盛んに栽培されるようになった」(同上)。

『元気印さん、防人の歌の方に心が動かされているでしょう。この歌は、万葉集巻第二十 4352の 防人(さきもり)の歌です。
 
道の辺(べ)の 荊(うまら)の末(うれ)に這(は)ほ豆の からまる君を別(はか)れか行かむ

歌の意味は、
道端の荊(のいばら)の先に這(は)い、まきつく豆蔓のように、絡(から)まる貴女(あなた)に別れて行くのであろうか。防人の切なさが伝わってくる歌です』

薀蓄(うんちく)を傾けるボケ封じ観音さま。

『この歌を詠んだ防人は、上総国(かみつふさのくに)人です。それから、「道の辺の荊の末に這ほ豆の」は「からまる」を導く序詞です。学生時代を思い出してくださいね。「よき麻の生きたる土地」であったことから「総国(ふさのくに)」と称し「かみつふさのくに」と呼ばれた古代の千葉県中部地域は今、「かずさのくに」と呼ばれています』

観音さまの教示を得たので、防人の気持ちが少しばかり、分かってきました。
つまり、上総国(かみつふさのくに)天羽郡(あまはぐん:現在の富津市)から、北部九州(大宰府の水城・みずき)の沿岸防衛に赴任する時に、この防人は、おそらく愛妻との惜別の情を野茨(ノイバラ)に託して詠んでいたのです。

対馬・隠岐・筑紫などに烽(ほう:異変を知らせるために火をたき、煙をあげて合図をする設備)を設け、それを機能させる防人を配置したのは天智3(664)年12月のことです。そのころから、上総国天郡の山野にはノイバラが咲いていたのですね。

いずれにしても、敵(唐・新羅連合軍)が侵入してきたら、火を燃やして烽火(のろし)を上げて味方に急を知らせることが防人の任務。2人1組になって24時間監視を行う3年間の任期中は、公務以外は烽を離れてはならないとの規則が定められ、しかも、規則違反者には、徒刑1年から最高絞首刑の罰則が科せられていた。その上、任期延長は多々あり、食料や武器は自前調達になっていたから、防人の精神的肉体的な負担は、押して知るべし。ですね。

それなのに、隣の庭に咲いている2輪のバラの咲き具合を比べるために写真を撮っている。
防人には、結構毛だらけ猫灰だらけな暢気な父さんにしか映らないでしょう。



「武士の情けとか言い訳をしていた誰かさんに向かって、2輪のバラは、豆粒汗を噴き出して憤怒していますよ。愛妻との惜別の心情をノイバラに託した防人の気持、元気印さんは忖度出来ないのですか・・・」

何時になく真剣な眼差しで問い質してくるボケ封じ観音さま。
散りゆくバラに見切りをつけたことが気に障っていたのかもしれません。
見頃を過ぎた花であっても、バラはバラなのだ、と堪忍袋の緒が切れたのでしょうか?

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1 コメント

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水滴 (Ohwaki)
2011-10-25 09:41:14
薔薇についた小さな水滴が可愛らしいです。
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