5月7日、ANA905便で成田を発ち、10日のANA906便で北京から帰国しました。
北京市内とその周辺都市にある大学などを訪問するグループの撮影班員として同行した2.5日間の現地は、乾燥した空気と気温26度以上の環境でした。
北京のホテル・北京宝辰飯店(HOWARD JOHNSON PARAGON HOTEL BEIJING)でチエック・インを済ませたメンバーは、訪問先が用意してくれたミニバンで承徳市(しょうとくし)へ・・・。
北京市の北東に位置する承徳市まで230kmの道のりです。
北京市郊外から高速道路に入ったミニバンは、時速100kmを保持して承徳市内のホテルへ直進します。
盛華大酒店(SHENG HUA HOTEL)へ到着したのが20時近く、日本時間では21時。
ちなみに、ガイドブック情報では、北京から承徳への交通アクセスは、鉄道とバスがあります。
北京始発の承徳行き鉄道列車は、始発の3列車を含めて5本しかありません。快速で4時間26分の所要時間とあります。
では、バスの利用を考えますが、30分に1本、所要時間は約3時間。料金は85元。
成田空港内の銀行で円から元に換える交換レートは14.57円ですが、北京でのそれは12円のようです。バス料金85元は1,020円。日本で230kmの距離を1,020円で運行する長距離バスがあるかどうかは不詳ですが、超々格安運賃の部類でしょう。
身近な例で恐縮ですが、千葉市内から東京駅八重洲口までの高速バス料金が1,100円、距離53kmを80分で運行していますから、230kmを1,020円(85元)で運行するバス会社は日本では皆無でしょう。
このような北京の交通事情を配慮して、ミニバンを手配してくれました。
それにしても、北京を出てからおおよそ3時間40分の間、トイレ休憩も無くミニバスは走る、ただ、はしる、荒涼とした大地を貫く高速道路をひたすら走り続けるのでした。
とはいうものの、承徳市へ着く1時間20分ほど前でしょうか、名も知らぬ山並みの稜線に沈んでゆく太陽が、ミニバンの進行方向左側に観えます。沈黙に包まれたバスの車内が、賑やかさを取り戻した一時でした。

ところで、愛清覚羅(あいしんかくら)氏が中国を統一して打ち立てた清朝は、第3代皇帝・康熙帝(こうきてい)、第4代皇帝・雍正帝(ようせいてい)、第5代皇帝・乾隆帝(けんりゅうてい)の3代に最盛期を迎えています。康熙帝は、1703(元禄16)年、熱河離宮「避暑山荘(ひしょさんそう)」の造営を命じ、雍正帝、乾隆帝へと引き継がれ、1790(寛政2)年に完成しています。
総面積564万平方メートルの敷地内に110余の建物が現存するこの山荘は、中国の皇宮では最大のスケールを誇り、避暑山荘の東と北の山麓に建立した12カ所の名刹群「外八廟(そとはちびょう)」も3代の時代に建立されています。ガイドブックの受け売りですが、興味津津な話ですよ。
そのような清朝皇帝の遺跡を守っている承徳(チョントー)市は、燕山(イエンシャン)山脈の一角に位置するために、避暑地として絶好の場所にあります。バスから観た光景は、燕山山脈を形成する山群に沈む太陽だった。
余談になりますが、清朝と聞けば、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)をご存知の方も多いでしょう。
そんな清朝に縁の深い皇帝の宮を守っている所が、承徳市だったのです。このような時代背景は、帰国してからの情報収集で解ったことです。しかし、今回の訪問では観光に割く時間的な余裕は絶無でしたから、再訪したい願望だけが残っています。
元気印には、日本との関わりが思いつかない北京よりも見応えがある。
さて、ANA906便は、北京空港を5月10日14時15分、定刻に離陸し成田へ向かいます。
成田空港へ着陸する60分ほど前でしょうか、進行方向左窓を眺めると雲海が広がっています。
いつもなら、真っ白い雲なのですが、地上から見上げる雲は、雨雲でしょうか。おそらく、大雨が降っていたはずです。
5月10日午後6時.14分に撮った雲海。

同じような雲海が平行しています。

2枚の写真を撮ってから8分成田方向へ飛んだ時の雲で、茨城県の一部でしょうか、雲の下には陸地が観えます。

さらに5分飛んだ時の空は、地上から観ると夕焼けに映え、明日は快晴だな、と自分勝手な天気予報をしたはずです。

成田空港へ着陸した時は、滑走路が濡れていたので低気圧が通過した跡だけでした。
11日の朝刊を読み、気象庁が茨城、栃木両県を含む1都8県に「竜巻注意情報」を発表するまでに追い込んだ残骸が、機内で見た雲海なのかも知れませんね。
気になる話題です。
北京で発行されている5月9日発行のタブロイド紙「GLOBAL TIMES」の14面、FORUM EYE ON THE NEWS に掲載されていた戯画が気になります。


記事との関連を風刺しているのでしょうが、なんらかの資金援助を日本は喜んで行うことを表す戯画なのかは、記事を読んで理解しなければ判断できません。日本人としては、気になる戯画です。
北京市内とその周辺都市にある大学などを訪問するグループの撮影班員として同行した2.5日間の現地は、乾燥した空気と気温26度以上の環境でした。
北京のホテル・北京宝辰飯店(HOWARD JOHNSON PARAGON HOTEL BEIJING)でチエック・インを済ませたメンバーは、訪問先が用意してくれたミニバンで承徳市(しょうとくし)へ・・・。
北京市の北東に位置する承徳市まで230kmの道のりです。
北京市郊外から高速道路に入ったミニバンは、時速100kmを保持して承徳市内のホテルへ直進します。
盛華大酒店(SHENG HUA HOTEL)へ到着したのが20時近く、日本時間では21時。
ちなみに、ガイドブック情報では、北京から承徳への交通アクセスは、鉄道とバスがあります。
北京始発の承徳行き鉄道列車は、始発の3列車を含めて5本しかありません。快速で4時間26分の所要時間とあります。
では、バスの利用を考えますが、30分に1本、所要時間は約3時間。料金は85元。
成田空港内の銀行で円から元に換える交換レートは14.57円ですが、北京でのそれは12円のようです。バス料金85元は1,020円。日本で230kmの距離を1,020円で運行する長距離バスがあるかどうかは不詳ですが、超々格安運賃の部類でしょう。
身近な例で恐縮ですが、千葉市内から東京駅八重洲口までの高速バス料金が1,100円、距離53kmを80分で運行していますから、230kmを1,020円(85元)で運行するバス会社は日本では皆無でしょう。
このような北京の交通事情を配慮して、ミニバンを手配してくれました。
それにしても、北京を出てからおおよそ3時間40分の間、トイレ休憩も無くミニバスは走る、ただ、はしる、荒涼とした大地を貫く高速道路をひたすら走り続けるのでした。
とはいうものの、承徳市へ着く1時間20分ほど前でしょうか、名も知らぬ山並みの稜線に沈んでゆく太陽が、ミニバンの進行方向左側に観えます。沈黙に包まれたバスの車内が、賑やかさを取り戻した一時でした。

ところで、愛清覚羅(あいしんかくら)氏が中国を統一して打ち立てた清朝は、第3代皇帝・康熙帝(こうきてい)、第4代皇帝・雍正帝(ようせいてい)、第5代皇帝・乾隆帝(けんりゅうてい)の3代に最盛期を迎えています。康熙帝は、1703(元禄16)年、熱河離宮「避暑山荘(ひしょさんそう)」の造営を命じ、雍正帝、乾隆帝へと引き継がれ、1790(寛政2)年に完成しています。
総面積564万平方メートルの敷地内に110余の建物が現存するこの山荘は、中国の皇宮では最大のスケールを誇り、避暑山荘の東と北の山麓に建立した12カ所の名刹群「外八廟(そとはちびょう)」も3代の時代に建立されています。ガイドブックの受け売りですが、興味津津な話ですよ。
そのような清朝皇帝の遺跡を守っている承徳(チョントー)市は、燕山(イエンシャン)山脈の一角に位置するために、避暑地として絶好の場所にあります。バスから観た光景は、燕山山脈を形成する山群に沈む太陽だった。
余談になりますが、清朝と聞けば、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)をご存知の方も多いでしょう。
そんな清朝に縁の深い皇帝の宮を守っている所が、承徳市だったのです。このような時代背景は、帰国してからの情報収集で解ったことです。しかし、今回の訪問では観光に割く時間的な余裕は絶無でしたから、再訪したい願望だけが残っています。
元気印には、日本との関わりが思いつかない北京よりも見応えがある。
さて、ANA906便は、北京空港を5月10日14時15分、定刻に離陸し成田へ向かいます。
成田空港へ着陸する60分ほど前でしょうか、進行方向左窓を眺めると雲海が広がっています。
いつもなら、真っ白い雲なのですが、地上から見上げる雲は、雨雲でしょうか。おそらく、大雨が降っていたはずです。
5月10日午後6時.14分に撮った雲海。

同じような雲海が平行しています。

2枚の写真を撮ってから8分成田方向へ飛んだ時の雲で、茨城県の一部でしょうか、雲の下には陸地が観えます。

さらに5分飛んだ時の空は、地上から観ると夕焼けに映え、明日は快晴だな、と自分勝手な天気予報をしたはずです。

成田空港へ着陸した時は、滑走路が濡れていたので低気圧が通過した跡だけでした。
11日の朝刊を読み、気象庁が茨城、栃木両県を含む1都8県に「竜巻注意情報」を発表するまでに追い込んだ残骸が、機内で見た雲海なのかも知れませんね。
気になる話題です。
北京で発行されている5月9日発行のタブロイド紙「GLOBAL TIMES」の14面、FORUM EYE ON THE NEWS に掲載されていた戯画が気になります。


記事との関連を風刺しているのでしょうが、なんらかの資金援助を日本は喜んで行うことを表す戯画なのかは、記事を読んで理解しなければ判断できません。日本人としては、気になる戯画です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます