現代アートには、いろんな視点を表現して、考えることを促される作品が結構あります。
多くは真面目に考えた作品であり、素直に考えます。 しかし、中には、高邁ぶったものや、過激な言葉や表現を弄ぶだけの作品もあります。
この展示は、さすがに素直になりますが、いまいち意図がわからないこともあります。
人体デッサン教室です。 美術教育について考えることを促される・・・うーん 難しい。
この写真は3月25日(金)に撮ったのですが、家族で取り組み、特に子供達が描いているのが印象的でした。
こちらの写真は、2月14日(日)に撮ったもの。
画材が用意されていて、少し描きたい気持ちはあったのですが、なぜかパスしました。
描いているのは、パパと娘でしょうか、微笑ましい
人体モデル彫刻がくせもので、鼻炎が悪化したような顔貌、男性器と尿バケツ、頭、胸、胴、脚、腕のバランスの悪さ…等々、ギリシャ彫刻のような
美しさは微塵もありません。 母親は描くのは遠慮するでしょう、でも、子供達は意外に素直に描きます。
「美醜を超えて表現せよ、その表現方法は無数にある」ということを言いたいのかな?
観客の作品から
私が描くと、この構図かなという作品。
ミカ・ロッテンバーグの作品、1回目に来たときは、これが作品とはわからず、?何か面白そう、で終わり、店の奥の映像コーナは知らないままでした。
山積みの低グレード真珠。
映像コーナ 真珠の選別作業
熟練者でしょうか、低グレード品をパッパッと手前にはじき落としていきます。
疲れて眠っている娘さん。 就業ルールのなかで認められているのでしょう。
キャプションにある、「オフィスで一人意味のない作業をする白人女性」の映像は撮れていません。 キャプションは後で読んで知ったのです。
さて、この品、他とは違います。
真珠の美的価値ではなく、希少価値を探るためのコレクションのように思えます。
真珠は、「真珠採りのタンゴ」のイージーリスニング曲が懐かしいのですが
原曲のビゼーのオペラ《真珠採り》の初演が1863年、御木本幸吉の真珠養殖成功が1893年です。
養殖真珠の本格生産以降、紀元前から続いた天然真珠の希少価値が大きく薄らいでしまった。
村上隆は、真珠が偶然、食事の際に発見されたという、天然真珠の持つ本来の偶然性に着目し
希少価値のコレクションとしたのではないでしょうか。
GIAの鑑定書がいかめしいこの天然真珠、村上はいくらで買ったのだろう?
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