光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

村上隆のスーパーフラット・コレクション展から #7 スタディルーム&ファクトリー

2016年05月06日 | アート 現代美術

 現代アートには、いろんな視点を表現して、考えることを促される作品が結構あります。

多くは真面目に考えた作品であり、素直に考えます。 しかし、中には、高邁ぶったものや、過激な言葉や表現を弄ぶだけの作品もあります。

この展示は、さすがに素直になりますが、いまいち意図がわからないこともあります。 

 

 

人体デッサン教室です。 美術教育について考えることを促される・・・うーん 難しい。 

この写真は3月25日(金)に撮ったのですが、家族で取り組み、特に子供達が描いているのが印象的でした。

 

 

 

こちらの写真は、2月14日(日)に撮ったもの。 

 

 

画材が用意されていて、少し描きたい気持ちはあったのですが、なぜかパスしました。

 

 

描いているのは、パパと娘でしょうか、微笑ましい

 

 

人体モデル彫刻がくせもので、鼻炎が悪化したような顔貌、男性器と尿バケツ、頭、胸、胴、脚、腕のバランスの悪さ…等々、ギリシャ彫刻のような

美しさは微塵もありません。  母親は描くのは遠慮するでしょう、でも、子供達は意外に素直に描きます。

 

 

 「美醜を超えて表現せよ、その表現方法は無数にある」ということを言いたいのかな?

 

 

 

観客の作品から

 

 

 

私が描くと、この構図かなという作品。

 

 

 

ミカ・ロッテンバーグの作品、1回目に来たときは、これが作品とはわからず、?何か面白そう、で終わり、店の奥の映像コーナは知らないままでした。

 

 

 

 

山積みの低グレード真珠。

 

 

 

映像コーナ  真珠の選別作業 

 

 

 

熟練者でしょうか、低グレード品をパッパッと手前にはじき落としていきます。

 

 

 疲れて眠っている娘さん。 就業ルールのなかで認められているのでしょう。

 

 キャプションにある、「オフィスで一人意味のない作業をする白人女性」の映像は撮れていません。 キャプションは後で読んで知ったのです。

 

 

  

さて、この品、他とは違います。 

 

真珠の美的価値ではなく、希少価値を探るためのコレクションのように思えます。

真珠は、「真珠採りのタンゴ」のイージーリスニング曲が懐かしいのですが

原曲のビゼーのオペラ《真珠採り》の初演が1863年、御木本幸吉の真珠養殖成功が1893年です。

養殖真珠の本格生産以降、紀元前から続いた天然真珠の希少価値が大きく薄らいでしまった。

村上隆は、真珠が偶然、食事の際に発見されたという、天然真珠の持つ本来の偶然性に着目し

希少価値のコレクションとしたのではないでしょうか。

GIAの鑑定書がいかめしいこの天然真珠、村上はいくらで買ったのだろう?

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 村上隆のスーパーフラット・... | トップ | 棚田康司展 「バンドゥン ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アート 現代美術」カテゴリの最新記事