光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

カミーユ・アンロ|蛇を踏む展を観て #4  東京オペラシティアートギャラリー

2021年09月23日 | アート 現代美術

132カミーユ・アンロ|蛇を踏む展を観ての続きです。 

”花に翻訳された本の図書館” の次の作品は

 

《フランス革命史》  ジュール・ミシュレ(1798 - 1874)

原著の「フランス革命史」は7巻構成。日本では、抄訳が普及。中公文庫(上下)

フランス王国に起きた資本主義革命(ブルジョア革命)ですが、抄訳も読んだことがありま

せん。

キャプションに書かれている著作からの抜粋フレーズを読むと

”どこからきたのか、この熱気を帯びた言葉が空中にひろがって以来、気温が変わり・・・”

うーん、味気ない歴史書ではないですね。

そういえば、昔、歴史の授業で、講談のように面白おかしく、見てきたかのように講義する

先生がいた・・・面白くて眠れなかった。 

 

さて、生け花作品ですが、てっぽうゆりが権力を奪取したブルジョア階級でしょうか、赤いカーネーションは

一般市民で、倒れたアネモネ(枯れて雄しべだけ残った姿)は、打倒された貴族と高級聖職者たちでしょうか。

しかも、アネモネの頭部が落下していて、ギロチンを連想。

3色旗も意識してますね。

 

 

 

《人間の条件》  ハンナ・アーレント(1906 - 1975)

映画「ハンナ・アーレント」(2013年)は見てないのですが、ハンナ・アーレントがドイツ出身の

ユダヤ人で、哲学者、思想家、あることは知っていました。

ナチズムが台頭したドイツから、フランスに亡命(1933)、さらにフランスがドイツに降伏すると

アメリカ合衆国に亡命(1941)。

その後、彼女は1951年「全体主義の起源」を表し、政治現象としての全体主義の分析と、その悪を

人びとが積極的に担った原因について考察しています。

『人間の条件』(1958年)は、彼女が、全体主義に対抗る手段を論じた著作ですが、 本は読んで

ません (◞‸ლ) )

要約を読んだだけで申し訳ないのですが、人間の行動分析に深みが無いし、独善的な匂いを感じ、首

を傾げる内容に思えました

 

生け花作品は、蓮などが用いられていますが、枯れて、殺伐とした印象です。 アンロの本に対する

印象も、こんな感じだったのかな。

 

 

《ヘブン》 川上 美映子

作品に入る前に、9月2日(2021/9/2)、カミーユ・アンロのインタビュー記事を発見しました。

(美術手帳2020年4月号) インタビューアーは、著名なキュレータの三木あき子さん。

読むと本展で?に思っていたことなどが、わかってきました。

?の一つは、日本の現代小説が多く採り上げられていること・・・アンロはニューヨーク在住のフランス

なのに、こんなに読んでいるの?・・・・アンロはインタビューのなかでこう述べています。

”本展準備に際して、日本の現代小説をモチーフに新しいいけばなの作品をつくろうということになり推薦

してもらった本のリストに川上弘美の『蛇を踏む』(1996)がありました。読んでみたら、とても気に入り

、私の仕事とのつながりを感じました。タイトルは、運や不運についての問いや変容の概念、罪の感覚との

関係、間違いや危険性、偶然性など、冒険の始まりを感じさせる素晴らしいものだと思いました。ぜひにと

選んだタイトルではあったのです。”

そして、川上 美映子の《ヘブン》については、

──新作については、具体的にどのようにつくられたのでしょうか?

アンロ 
そのプロセスはとても刺激的でした。最初に、私が本のなかで重要だと思った一節と、本から受けたイメージ

のキーワードを挙げました。 その後、先生(草月流の)とキュレーターから、本の内容と結びつく植物(和名、

由来、文化的背景など)の提案を受け、植物のリストを共有しました。

例えば、『ヘヴン』(川上未映子著、2009)という学校でのいじめを描いた本には棘のある植物を使いました。

棘はマゾヒズムや痛みとの関係で重要です。

『蛇を踏む』では数珠玉をつないで花材にしました。主人公の女性が数珠屋に勤めていることを示しています。

意味についてやりとりを重ねたあと、フォルムについても少しだけ考えを出しました。

『石に泳ぐ魚』(柳美里著、1994)は自分でドローイングも描きました。流れに逆らって泳ぐ魚のように、横

に行こうとする線など。”

長くなりますが、生け花作品の制作の考え方も述べています。

”いけばなの作品に決まったシステムはなく、つくり方はその都度異なります。かなり自由にいけてもらう場合も

あれば、こちらからより具体的なイメージを伝える場合もあります。そこが面白いところで、ルールはあるけれど

、そのなかでの自由度、即興性があります。基本は、あまり綺麗にしないこと、少し「壊された」感というか、収

まりが悪いことが決まりとしてあります。

いけばなには技術の習得という概念がありますが、私はいけばなの作家ではないので、その概念はアンビバレント

で、不器用なかたちを大事にすることもあります。また、なかには、私が個人的にあまり好きではない本も含まれ

ています。例えばピエール・ロチには、植民地時代の精神を感じたので、絵葉書のような、いかにも完璧ないけば

なという感じの不自然さを意識しました。”

 

なるほど!華麗・端正な生け花が無いのは、意図的だったんだ。

川上未映子《ヘブン》もこれまた読んでないのですが、つい最近、他の方のブログで、川上未映子《夏物語》の

感想を読んだり、ウィキで調べたりして、大阪人のエネルギーが溢れる作家だなーという印象を持ちました。

生け花作品も、からたち、麦、ひな菊を用いて、面白い作品。

 

 

 

続いても川上未映子、2008年に芥川賞を受賞した《乳と卵》

未読なのでウィキからあらすじを転載

”豊胸手術を受けるため、大阪から母巻子と娘の緑子が「私」の住む東京にやって来た。
重なる要因で
気を病んでいて豊胸手術しか眼中にない巻子と、反抗期の緑子のコミュニケーション手段は
「筆談」だった。緑子は思春期に入り初潮を迎え、胸が膨らみ、陰毛が生えて来る自分の身体への不安や
巻子への批判を、日記に書いたり筆談で巻子に伝える。
巻子の妹である「私」は、巻子の悩みや、親子の会話を見て心配しつづける。ある日、巻子は豊胸手術の
カウンセリングを受けに行き、帰ってこなかった。 それがもとで、母子間で感情をぶつけあう葛藤劇に
発展する。互いに卵を頭にぶつけあい、泣きながら口論する巻子と緑子。ここに来てようやく親子に邂逅
があった。”

原文の一部を読みましたが、大阪弁のセリフが連綿と続き、しかも「」などの文章記号がない独特の文体

がユニークでした。

さて、いけばな作品・・・、うんうん、なるほどです。 おもろいやん!

 

 

 

 

《ドミトリイ》  小川洋子(1962~)

『ドミトリィ』は、1990年に文芸雑誌『海燕(かいえん)』(12月号)で発表された小川洋子の短編小説です。

同時期の短編『妊娠カレンダー』は第104回(1990年下半期)芥川賞を受賞。

作家・小川洋子は名前は以前から知ってはいましたが、読んことはありません。

私が通う絵画教室の先生とも繋がりがあり、何かと関心は持っていました。

さて、『ドミトリィ』(学生寮)ですが、要約を読んでも、ストーリーは・・・というのも作家自身が、小説を

書くときに一番重要視していない要素は「ストーリー」だとし、「とにかく描写につきる」という作風なんです。

作品は、不穏な雰囲気に包まれているのですが、丁寧な描写で、普通のホラー小説とは一線を画している。(←

いろんな方の読後感想から) これが作家の個性であり、力量なんだと思います。

 

いけばな作品キャプションにある著作の一節 

”死んでいるものしか食べられないと思っていたのよ、あなた”  言い直すと ”生きているものも食べられるのよ”

ドキッとします。 たしかに「シロウオの踊り食い」といって、生きたまま食べることもありますが・・・

そして、いけばな作品、うっ、気味悪っ!

作品の植物は、ミモザアカシア・・・春に明るい黄色の花を咲かせる花が・・・ああああ・・・緑の毒蜘蛛に見える。

もう一つのニューサイランがよく分からない・・・絡みついた髪の毛のような草のこと?

でも、この表現は面白い! カミーユ・アンロと草月流の先生方にパチパチパチ(拍手)

 

 

 

 

《マルコヴァルドさんの四季》 イタロ・カルヴィーノ(1923‐85) この本は1952年~1963年に書かれた。

何も知らずに、この作品のタイトルを見て、長ったらしくて退屈な外国小説どろうな・・・と思ったのは私の

大間違いで、なんと、岩波少年文庫の単行本で、春夏秋冬での季節ごとになっていて全部で20の短編集。

内容は(「BOOK」データベースより)

”都会のまんなかに暮らしながらも、心うばわれるのは、季節のおとずれや生きものの気配。大家族を養うため

家と会社のあいだを行き来するマルコヴァルドさんのとっぴな行動とユーモラスな空想の世界が、現代社会のあ

りようを映しだします。小学5・6年以上”

読書感想をいろいろ読ませていただくと、”シュールで風刺的で愉しい! 読むほどに作品の情景が浮かび上が

りどっぷりその世界に浸れる・・・とか、結構エスプリの利いたものがあったり、日常の生活の何気ないこと

から事件が始まったりして楽しめます。最後に作者の親切な解説があり、また本の挿絵もぴったりな感じ・・”

うーん、私好みの本のようなので、図書館で借りて読もう!


いけばな作品もシュール!  山の稜線のような草、中央部のブレーキディスク? それに突き刺さる草(ドラセア?) 面白い。
 

 

 

 

《闇の奥》 ジョセフ・コンラッド

やはり読んでませんので、ウィキから概要を。

”『闇の奥』(やみのおく、Heart Of Darkness、1902年出版)は、イギリスの小説家ジョゼフ・コンラッドの代表作。西洋植民地主義の暗い
側面を描写したこの小説は、英国船員時代にコンゴ川で得た経験を元に書かれ、1899年に発表された。 ランダム・ハウス、モダン・ライブ
ラリーが選んだ「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に選出されている。闇の奥というタイトルはアフリカ奥地の闇でもあるが、人間
の心の闇、西欧文明の闇をも含意していると考えられる。

 

以下の文は、Web上のいろんな方の読後感想を寄せ集めてみたものです。 何となく本の概要がわかります。

”また本作は、フランシス・フォード・コッポラ監督による名作映画『地獄の黙示録』の原案作品であり、『闇の奥』の「象牙貿易」を「戦争」
に置き換えたのが『地獄の黙示録』だと言えよう”

”「闇の奥」地に住んで象牙貿易を仕切っている、カリスマ的な謎の人物クルツは、じつは、もともとは「理想主義者」であったことが、物語の
最終盤で明かされる。つまりクルツは「闇の奥の闇の世界」に入ることで、「闇」に浸食されて「変貌」してしまったのである。”

”コンラッドは、「暗黒大陸の奥地で展開された、西欧世界の闇」を通して、さらに私たち「人間の心の奥にひそむ闇」を描いたのではないか。
象牙集め、イコール、現地人の信仰集めに偶然成功を果たし、神である事の孤独と不安にさいなまれたクルツの死にザマ。それはスペイン、イ
ギリス、
フランスの、その後を象徴する寓話でもあるのだが、これが100年前の予言書となりえたことを、コンラッド自身は知らずにいたか
と思うと、感慨深い。”

 

いけばな作品は、おおおおお!  迷彩模様の花生け、オレンジの葉、枯れた葉、気味悪く噴出したような細い葉

心の闇を表したものか。 でも、オレンジの葉は、崇高な光もあることを示したものだと思いたい。 

続く


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