光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

カミーユ・アンロ|蛇を踏む展を観て  東京オペラシティアートギャラリー

2020年12月21日 | アート 現代美術

作年の秋~冬に開催された「カミーユ・アンロ|蛇を踏む展」(東京オペラシティアートギャラリー)の紹介です。

ブログ未紹介の美術展は山ほどあるのですが、この展示を選んだきっかけは、ブログ友からの次のコメントでした。

”工芸品の花器は、花をいけて展示したら、さらに作品が魅力的になりますね”

・・・全く同感なのですが、美術館での展示では、難しいだろうな・・と、返信コメントで書いた後に、そうだ!

生け花を展示した美術展があった! と思い出して、この現代アーティスト・カミーユ・アンロの蛇を踏む展を採り

上げた次第です。 

でも、今度は花器が工芸品レベルではない・・・というジレンマが。

でもでも、生け花だけではないスケールの大きな美術展で、楽しめました。

ではフライヤーを。

※タイトルロゴが円形になっていますが、ウロボロス(自分の尾を嚙んで円形をなす蛇)を象徴しているとか。

 

本展の公式サイトのトップページのビジュアルは、《青い狐》(インスタレーション作品のタイトル)

 

規模の大きな展示で、四つの展示室に分かれていました。

A <革命家でありながら花を愛することは可能か>・・・・生け花の作品

B   <アイデンティティ・クライシス>・・・・ドローイング作品

C 《青い狐》・・・・ インスタレーション作品

D 《偉大なる疲労》・・・・映像作品 

 

作家カミーユ・アンロは私も初耳だったし、知らない方も多いと思いますので、公式サイトから、イントロダクションを

引用させていただきます。

 

生け花作品 <革命家でありながら花を愛することは可能か> の展示室光景

 

公式サイトのキャプションです。

 

 

それでは個別に紹介していきます。

作品数は39あり

作品番号1~25が2012年にオリジナル制作

作品番号26~31が2014年オリジナル制作(6作のうち2作は源氏物語と「美しさと哀しみと」川端康成)

作品番号32~39が2019年制作(すべて日本人作家の本がモチーフ)

 

展示トップは、展覧会名となった《蛇を踏む》 川上弘美が1996年上半期の芥川賞を受賞した作品です。

 

その小説の出だしは

 ”ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。〔…〕蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた。秋の蛇なので動きが遅かったのか。
 普通の蛇ならば踏まれまい。蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。
 「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失った。煙のような靄のような曖昧なものが少しの間
 たちこめ、もう一度蛇の声で「おしまいですね」と言ってから人間の形が現れた。
 「踏まれたので仕方ありません」
  今度は人間の声で言い、私の住む部屋のある方角へさっさと歩いていってしまった。人間の形になった蛇は、五十歳くらいの女性に見えた。”

私はこの小説を読んでいませんが、不思議な出だしです。 あらすじを読むと、この後、主人公のヒワ子が仕事から帰ると、知らない女性が食事
を作って待っていた。その女は「わたし、ヒワ子ちゃんのお 母さんよ」と言う。食事を終えると女は蛇の姿に戻り、天井に住み着いた…

 

 

花器と花材の部分を拡大

花器で蛇を表現していますね。 使われている花材も、「とりかぶと」や「へくそかずら」などが用いられています。

青紫の「とりかぶと」は、綺麗ですが猛毒の植物、邪悪な蛇の毒を表現しているのかな?

「へくそかずら」は、勝手に生い茂る、ガーデニングの厄介者とか。 成長して他の植物に絡み付き、駆除しにくくなる。

蛇に住みつかれた厄介さを「へくそかずら」で表現しているのかな?

以上は、この記事を書くときに調べてわかったことですが、実際に展示室で観たときは、”なんか変な作品”という印象でした。

 

花器は面白いと思いました。 ちなみに、この展示会の新作花器制作は大原光一氏とクレジットがありました。

アンロの思いが詰まった花器だろうと思います。 

 

さて、生花の問題です。 私が本展を観たのは2019年11月3日(日)、オープンから18日後になります。

下の写真は、別のWebサイトのもので、恐らく開会直後のものだと思います。 トリカブトの花が、活き活きとしています。

展示場の係員に聞くと、生花は草月流のメンバーの方がメンテしているとのことでしたが、当初の姿を完全に保持するのは至難

の業でしょうから、これは割り切って考えるしかないですね。 あるいは、生け花のそうした儚さを、作家も意図して表現して

いるかもしれない。

それから、過去のオリジナル作品を再現するとき、季節の関係や、地理的問題で花材が揃えられない場合もあるとのこと。

その場合は代替品をあてがうとのことですが、何かと絵画などとは違う難しさがあるようです。

 

 

 

次は《死者の書》:古代エジプトで冥福を祈り死者とともに埋葬された葬祭文書。 パピルスなどに、主に絵とヒエログリフで

死者の霊魂が肉体を離れてから死後の楽園アアルに入るまでの過程・道しるべを描いた書。・・・ウィキペディアからの引用

花材はパピルスとカラテア。  カラテアは熱帯アメリカ原産の観葉植物ですが、この作品ではあえて枯れた葉を選んだのかな?

 

 

 

意味は分かりません。 花器が残念に思いました。

 

 

 

次は《火山の下》

 

 

 

私の会場での印象は、火山を遠景で見たものかな?でしたが

 

Webで調べると、こんな解説が (作家本人とキュレーターのセミナーを聴いたMutonさんのブログから)

”これは《火山の下》、マルカム・ラウリーの小説を引用したもの。オリジナルの作品はエンジェルヘアーを使っているが、日本の展示ではすすきを使っている。

この小説を読んだことがないために、セミナーで聞いた話そのままになるのだけど、舞台はメキシコ、テキーラが関係している。酒に溺れた男を竜舌蘭で表現し

女をエンジェルヘアーで表している。なんとも言えない、男の女への執着、竜舌蘭はテキーラの原料になる。花を咲かせるのは100年に一度と言われていた。

そんな竜舌蘭に例えられたテキーラに溺れ、女に執着する男、エンジェルヘアーに例えられた女。写真で見たエンジェルヘアーよりも、もっと焦燥したかのよう

な佇まいを見せる。ストレートで分かりやすい表現だと思う。

ストーカー男が女を掴んで、包み込む。そうした言葉を生花として作品として提示している。”

 

うーん、聞かなきゃわかんないよー。 でも、分かる分からないは別にして、面白い作品。

 

まだまだあるので、続きは次回に。


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