世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

ふじもん世界放浪「放学記」第6章ヨーロッパ編 教え多き国ボスニア。僕たちはこの国から何を得る?

2014-04-16 23:53:10 | 日記
2014年4月16日。

《紛争の跡が痛々しく残る国、ボスニア・ヘルツェゴビナ。しかしこの国には、大いなる教えがそこかしこに存在している。》

僕たちは一体、何をすべきなのだろう。

ほんの20年前まで内戦が続いていた国、ボスニア・ヘルツェゴビナ。この国から僕たちが学ぶべきことはあまりに多い。


街中に当たり前のように建ち続けている、弾痕が痛々しく残る建物の数々。


ボスニアの人々は、どのような想いでこれらの建物を見ているのだろう。


モスタルの街で僕が泊まった安宿「Hostel Nina」のオーナー、Zakiさん。彼は青年時代に、この悲劇の内戦を経験したという。

でも、信じられないくらい優しいのだ。

ものすごく気を使って下さるし、いつも笑顔で話し掛けてくれるし、終いには駅まで無料で車で送ってくれたのだ。

Zakiさんだけではない、ボスニアの人々は総じて優しい。本当に優しい。


僕は感じる。

彼らには、「悲しみ故の優しさ」がある。

彼らには、「辛さ故の幸せ」がある。


世の中のことは表裏一体、コインの裏と表のようなもの。

悲しみがあるから喜びがあり、辛さがあるから楽しみがある。

悲しさを知るから人は優しくなれるのであり、厳しさを知るから人は温かくなれる。



本当は、心の内にあるはずだ。誰にも語りたくないような悲しい歴史が、悲劇が、経験が。

Zakiさんにだって、たくさんたくさんあるはずだ。

でも、誰一人としてそれを出さない。

Zakiさんは笑顔で語ってくれた。「右の太ももをスナイパーに撃たれたんだ。それも2回も。もし頭や胸に当たっていたら、今の俺はここには間違いなくいないよね。」と。

スナイパーで撃たれた・・・。そんな日本人に、僕は未だかつて出会ったことはない。

そんな凄惨な体験を、どうしてそんな温かく笑顔で語れるのだろう。

※「俺の大事な友達がここに眠っているんだ」と語ってくれたZakiさん。ここのお墓の多くは、1993年没となっている・・・。



僕は思う。

彼らに憎しみがないはずはない。怒りがないはずはない。憤りがないはずはない。

でも、それを表に出して叫んだところで、そんなことは無意味だときっと彼らは知っているのだ。

怒りに怒りをぶつけても、怒りがぶつかり合ってお互いに大きくなるだけで、新たな憎しみしか生まれない。

誰かに責任を擦り付けても、それは永遠に周り続けるだけで、何も生まれることはない。


彼は、きっとそのことを深く深く心で知っているのだ。


最近ネットなどを見ていると、悪口ばっかりだ。

安倍政権の悪口でもいい、中国や韓国への悪口でもいい、日本人自身への悪口でもいい、ネタは何でもいい。

悪口ばっかりだ。

悪口ってのは簡単だ。責任を相手に押し付けて、小難しいことを考えなくていいんだから。

人のせいにするってのは、本当に簡単なことだ。面倒臭い思考もいらないし、自らの責任も逃れられる。

でも、そこから何が生まれるのだろう。

※モスタルの街中で見たこの石。その意味は深い。



東欧のある国で出会った日本人が、こんなことを言っていた。

「ホントにさ、こんな日本に誰がしたって思うよね。」

「誰がしたんだ」って責任を擦り付けてしまうことは至極簡単だ。自分は悪くねぇって考えることなんだし。

でも、自分は悪くねぇって考えたところで、何が生まれるんだろう。

「自分にも責任の一端がある」って心に落とせることから、次の道が見えてくるんじゃないかなって、僕は思う。


人のせいにするということは、誰かがきっと「あなたのせい」にしている。

人の悪口を言うということは、誰かがきっと「あなたの悪口」を言っている。

人を非難するということは、誰かがきっと「あなたを非難」している。


因果応報、自業自得。この古めかしい言葉は、きっと世の本質と捉えていると思う。

逆もまた然り。

人に優しくするということは、誰かがきっと「あなたに優しく」してくれる。

人を誉めるということは、誰かがきっと「あなたを誉めて」くれる。

人を認めるということは、誰かがきっと「あなたを認めて」くれる。



ボスニアの人々は、Zakiさんは、きっと僕に「無言の教え」を与えてくれている。

「過去の憎しみに囚われるな。過去の悲しみに支配されるな。私たちは未来の為に在るのだ。」って。

今の日本人に、とっても必要な気概じゃないか。

いや、僕は別に日本人に留まったことを言いたいわけじゃない。地球全体の未来を担う「世界人」としても、必要な気概じゃないのか。

さぁそして、自分は人生においていかに振る舞うべきなのか。ここから先の答えはない。自ら見つけ出すしかないのだ。


『偉大なる参考書・世界』「ボスニア・ヘルツェゴビナ」のページには、大いなる内容が記されていた。

それをどう咀嚼し発現させるかは、僕次第。

最後は自分。そう、「僕次第」なのだ。

※サラエボの路上にある、通称「サラエボのバラ」。迫撃砲の砲弾によって死者を出した爆発の跡に、赤い樹脂を埋めたモニュメントである。



2014年4月16日。寒い寒い、まるで初冬のような冷たい雨が降りつけるボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボにて。



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ふじもん世界放浪「放学記」第6章ヨーロッパ編 リアル「奇跡体験アンビリーバボー」inクロアチア!

2014-04-16 05:24:16 | 日記
2014年4月15日。

※ドブロヴニクのバスターミナル。このターミナルの近くの安宿で、不思議な現象は起こったのだ。

《この話、マジでリアルです。大した話ではないのかもしれませんが、僕にとっては超常現象でした。どうぞ最後までお読み下さい・・・!》

そう、あれはクロアチアのドブロヴニクという街での出来事だった。

南アフリカのケープタウンで出会った旅仲間が、僕のフェイスブックの投稿にコメントしてくれた。「明日からしばらく雨らしいですよ~」と。僕はその投稿に「青空っていいですね!」と投稿していたので、内心「なに~!そんなこと書いた途端に雨かい~!」と思っていた。それは、不思議体験の前日の夜だった。

その夜、僕は何事もなく床についた。

朝。なんと僕の眼を覚ましてくれたのは、雷の音だった。僕は昨夜の旅仲間のコメントを覚えていたので、動揺することなく素直に凹んだ(笑)。しかもただの雨ならず、雷までガンガン鳴っているとは・・・。しかもかなりの土砂降りだ。さすがにちょっとテンションが落ちた。


そしてその時僕に、不思議な現象が起きたのだ。


僕はドミトリーの部屋に泊まっていたのだが、ラッキーなことに僕しか宿泊客がいなかったので、シングルルーム状態だった。僕は窓を開け外の様子を見て、薄暗い空に向かって語り掛けた。

「マジか~、雷は勘弁してくれよ~。今日はこれからボスニア・ヘルツェゴビナに移動なのに。Iさん(その旅仲間)の言う通りじゃないかよ~!晴れてくれよ~!」

と言ったところで変化が起きるはずもない。僕は身支度を整え、いつでも出発できるよう準備をしようとした。

するとだ。


これ、マジで作り話じゃないですからね。


ふと、ピタリと雨の音が止んだ。スーッと何かが引いていくように、先ほどまでバシャバシャ音を立てて降っていた雨が、突然静かになったのだ。

「お、一気に雨が止んだのかな?それはラッキーじゃねぇか俺!」

そのくらいにしか思わなかった、その時は。

窓から外を覗くと、上手いこと雲の切れ間に入っているように見えた。遠くには太陽の光も見える。僕は思った。

「どうせなら、このまま晴れてくんね~かなー。昨日フェイスブックで青空トークを書いたばっかりなのに。」

そんなことを考えながら、僕は再び荷物のパッキングを始めた。


するとだ。


ふぁっと、窓から光が差し込んできた。

雲から太陽が出てくるにはあまりに早いスピードだったと思う。その光は快晴の日の空の太陽にように、力強く輝いていた。

「おお、マジか!一気に晴れやがったか!なんか俺すげぇラッキーじゃん!」

くらいに一瞬思った。

数分だっただろうか、正確な時間は分からない。しばらくの間、その光は部屋に差し込み、やがて再び曇り空の様相へと変わっていった。

「あ~あ、また雲に隠れちまったか。そう上手くはいかないよね~。」

くらいに考えたあと・・・

僕はハッとした。


「違う、今の光が太陽のわけがない!」


そんなはずはないのだ。あの差し込んだ光が太陽であるはずがないのだ。

何故なら、その窓は西向きだからだ!

間違いない、なんたって昨日の夕方、窓から海に沈む夕日を見ながら1人ビールを飲んでいたのだから・・・!


結構な明るさの光だった。

車のヘッドライト?有り得ない。その宿の通りの向こうは、港なのだから。

何らかの船のライト?それも有り得ない。なぜ船のライトが数分間に渡って僕の部屋を照らすのか?それに最初窓から外を覗いたとき、そんな船なんて存在しなかった。僕はこの目でしっかりと見ている。

マジで鳥肌が立った。

その光は一瞬ではなかった。間違いなく「分単位」で注いでいたと思う。僕はその時、ただ天気が晴れたのだと深く考えなかったのだが、もしあれが太陽だとしたら、西の空からあんなに強く光が差し込むことは絶対に在り得ない。


ということは・・・あれは何だったのか・・・?

神の仕業?仏の所業?それとも・・・UFO・・・?


真相は、分かるはずもない。

ただ1つ言えることは、「在り得ない方角から有り得ない量の光が在り得ない時間に渡って降り注いでいたこと」は確かなのだ。


バスの時間は朝8時。不思議な感覚を抱えつつも、僕は宿を出た。

雨はすっかり上がっており、薄日が差し込むくらいになっていた。


本当に、あの光は何だったのだろう・・・。

僕は全然霊感もないし、不思議な体験など全然したことがない。

あの現象は、これから僕に良いことが起こる前触れなのか?それとも不幸の前兆なのか?

どうせなら、前者を信じたい。そんな思いを心に秘めながら、バスはボスニア・ヘルツェゴビナへと出発した・・・。


2014年4月15日。旅仲間から聞いていた通り、とっても素晴らしいモスタルの安宿にて。



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