2014年4月19日。
《セルビアの首都・ベオグラード。この街は僕に「人間なんてみんな同じ」ということを改めて教えてくれた・・・。》
ベオグラードも春だ。暖かい風と穏やかな日差しが降り注いでいる。
日曜日の午前中。人々はその日差しの中で、ゆったりと過ごしている。
大人は子ども達と一緒に遊び、家族はお互いに愛し合っている。
それを見て、僕はいつも思うんだよなぁ。
「人間なんて、みんな同じだ。」って。
どこの国に行ったって、みんな家族を大事にしている。
みんな子どもを愛している。
こういう光景、何も珍しいものではない。
日本だってもちろんそうだし、どこの国に行ってもみんな同じだ。
すごく心が温かくなる。すごく魂がホッとする。
そして希望が湧いてくる。「みんな愛し合っている。みんな同じだ。同じなんだから、人類はみんなもっと仲良くなれるはずだ。」って。
温かな日差しが降り注ぐ公園を後にし、街中に向かう。
すると、もう1つの「人間なんてみんな同じ」が、僕の眼前に迫ってきた。
1999年NATO(北大西洋条約機構)軍は、このベオグラードに空爆をしたのだ。ベオグラードの街中には、その時の爆撃の痕がそのまま残っている。
セルビアの人々は、その痕をどのような想いで見つめているのだろう。
それを見て、僕は思ってしまうんだよなぁ。
「人間なんて、みんな同じだ。」って。
どこの国に行っても、必ず争いの歴史がある。
つい最近まで紛争や虐殺が起きていた地域なんて、実はたくさんある。
先日足を運んできた、ボスニア・ヘルツェゴビナの「スレブレニッツァ」もそうだし・・・
僕がこれまでに行ってきたところだと、アフリカのルワンダや、ヨルダンのシリア難民キャンプだってそうだ。
まさに今で言ったら、ウクライナでも新たな争いが勃発してしまっている。
なんと悲しい、なんと愚かなことなのだろう。
人類の歴史なんて、戦争の歴史だ。ただひたすらに、僕たちをその争いを繰り返している。
すごく心が切なくなる。魂がなんだか冷えていく。
そして絶望感に襲われる。「結局みんな殺し合っている。みんな同じなんだな。同じなんだから、人類はこの先もきっとみんな仲良く共存共栄なんて難しいんだろうな・・・。」って。
ベオグラードの街中にある安宿に戻る。すると、何だか分からないけどここのセルビア人スタッフはやたらと僕に絡んでくる。
セルビア人はどうやらかなり「親日的」なようで、僕が日本人だと分かると異様なまでに日本のことなどを聞いてくる。それはそれで嬉しいことなのだが、何だか微妙な気持ちにもなる。
「○○人だから~」ってのは絶対にあるけど、今僕たちはそういう小さな「こだわり」や「偏見」を越えて、世界で1つになっていかなければならないはずだよなって。
ベルリンでお会いしたお坊さん、星覚和尚はおっしゃっていた。「世界はみんな下の方で繋がっている」そして「それが分かれば、殺し合いなんてなくなるはず」と。
愛し合う「ミンナオナジ」と、殺し合う「ミンナオナジ」。どうせなら、愛し合って「ミンナオナジ」の方が絶対にいい。
そんなこと思っているのは、絶対に僕だけじゃない。きっと世界中が「ミンナオナジ」はずだ。
それなのに、また僕たちはそっちじゃない「ミンナオナジ」を繰り返す。
『偉大なる参考書・世界』の「セルビア・ベオグラードの巻」のページには、またまた深い内容が書かれていた。
難しい。難解だ。でも僕たち人類よ、それを読み解いていこうじゃないか、未来のために!
2014年4月19日。アットホームなのはいいけど、セキュリティがいい加減すぎてちょっと不安なベオグラードの安宿にて。
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《セルビアの首都・ベオグラード。この街は僕に「人間なんてみんな同じ」ということを改めて教えてくれた・・・。》
ベオグラードも春だ。暖かい風と穏やかな日差しが降り注いでいる。
日曜日の午前中。人々はその日差しの中で、ゆったりと過ごしている。
大人は子ども達と一緒に遊び、家族はお互いに愛し合っている。
それを見て、僕はいつも思うんだよなぁ。
「人間なんて、みんな同じだ。」って。
どこの国に行ったって、みんな家族を大事にしている。
みんな子どもを愛している。
こういう光景、何も珍しいものではない。
日本だってもちろんそうだし、どこの国に行ってもみんな同じだ。
すごく心が温かくなる。すごく魂がホッとする。
そして希望が湧いてくる。「みんな愛し合っている。みんな同じだ。同じなんだから、人類はみんなもっと仲良くなれるはずだ。」って。
温かな日差しが降り注ぐ公園を後にし、街中に向かう。
すると、もう1つの「人間なんてみんな同じ」が、僕の眼前に迫ってきた。
1999年NATO(北大西洋条約機構)軍は、このベオグラードに空爆をしたのだ。ベオグラードの街中には、その時の爆撃の痕がそのまま残っている。
セルビアの人々は、その痕をどのような想いで見つめているのだろう。
それを見て、僕は思ってしまうんだよなぁ。
「人間なんて、みんな同じだ。」って。
どこの国に行っても、必ず争いの歴史がある。
つい最近まで紛争や虐殺が起きていた地域なんて、実はたくさんある。
先日足を運んできた、ボスニア・ヘルツェゴビナの「スレブレニッツァ」もそうだし・・・
僕がこれまでに行ってきたところだと、アフリカのルワンダや、ヨルダンのシリア難民キャンプだってそうだ。
まさに今で言ったら、ウクライナでも新たな争いが勃発してしまっている。
なんと悲しい、なんと愚かなことなのだろう。
人類の歴史なんて、戦争の歴史だ。ただひたすらに、僕たちをその争いを繰り返している。
すごく心が切なくなる。魂がなんだか冷えていく。
そして絶望感に襲われる。「結局みんな殺し合っている。みんな同じなんだな。同じなんだから、人類はこの先もきっとみんな仲良く共存共栄なんて難しいんだろうな・・・。」って。
ベオグラードの街中にある安宿に戻る。すると、何だか分からないけどここのセルビア人スタッフはやたらと僕に絡んでくる。
セルビア人はどうやらかなり「親日的」なようで、僕が日本人だと分かると異様なまでに日本のことなどを聞いてくる。それはそれで嬉しいことなのだが、何だか微妙な気持ちにもなる。
「○○人だから~」ってのは絶対にあるけど、今僕たちはそういう小さな「こだわり」や「偏見」を越えて、世界で1つになっていかなければならないはずだよなって。
ベルリンでお会いしたお坊さん、星覚和尚はおっしゃっていた。「世界はみんな下の方で繋がっている」そして「それが分かれば、殺し合いなんてなくなるはず」と。
愛し合う「ミンナオナジ」と、殺し合う「ミンナオナジ」。どうせなら、愛し合って「ミンナオナジ」の方が絶対にいい。
そんなこと思っているのは、絶対に僕だけじゃない。きっと世界中が「ミンナオナジ」はずだ。
それなのに、また僕たちはそっちじゃない「ミンナオナジ」を繰り返す。
『偉大なる参考書・世界』の「セルビア・ベオグラードの巻」のページには、またまた深い内容が書かれていた。
難しい。難解だ。でも僕たち人類よ、それを読み解いていこうじゃないか、未来のために!
2014年4月19日。アットホームなのはいいけど、セキュリティがいい加減すぎてちょっと不安なベオグラードの安宿にて。
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