世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第2章中米編 「半日?親日?」日本人宿に宿泊する韓国人とは?】

2013-09-23 02:12:04 | 日記
2013年9月22日。

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《世界には「日本人宿」なるものがけっこうたくさん存在する。「日本人宿」とは、ザックリ言えば「その街で日本人の旅人が泊まる定番となっている宿」のことで、オーナーや管理人が日本人であるこも多い。そんな「日本人宿」、不思議なことにお隣の国の旅人も泊まっていることが多い。デリケートな話題ですが、「現地ではこんなこともあるんだよ」ということで、情報をお届けしたいと思います!》


ご存知のように、日韓関係は今良くないですよね。韓国政府は相変わらずだし、日本でもヘイトスピーチが各地で行われている。今僕は日本にはいませんが、どのような状況になっているのかとても関心があります。

ちなみに世界の「旅人」の世界では、こんな不思議な「日韓交流(?)」が行われています。それは、「いわゆる日本人宿に、韓国人がたくさん泊まりに来る」ということなのです。

これは別に今のように日韓関係がゴチャゴチャする前からの話です。でも今のようにゴチャゴチャする前から韓国は基本的には一貫して反日の姿勢なわけですから、韓国国内としては別に大きく状況が変わっているわけではないのですよね、きっと。


誤解を生んでしまうかもしれませんが、ザックリ書いていきたいと思います。

単純な話、こういう思考が生まれてきます。「あれ?日本のこと嫌いなんじゃないの?あんなに反日反日騒いでいるのに、なんで日本人宿に泊まりにくるの?」と。

いや、結構な数の韓国人が泊まっているんですよ!半分以上韓国人だったこともありますし。

さて、数はいいとして、じゃあそこに泊まっている韓国人はどんな感じなのか?と言いますと・・・。

僕の感覚から言うと、「可もなく不可もなく」という人が大半だと思います。つまり、親日とか反日とかそういう姿勢は特になく、フツーの宿泊者として過ごしているという感じです。

でも少なくとも、日本人宿に宿泊している人の中で「こいつふざけんなよ!」というような韓国人に出会ったことはありません。そりゃ人間ですので、いい人も悪い人もいますけど、それは国籍は関係ないですからね。さすがに「日本人宿」というのもあるでしょうが、「ああ、こいつ反日だな」というような韓国人に出会ったことはありません。

面白いことに、日本人も気を使ってか、誰も「なんで日本人宿に泊まるの?」とは聞きません。僕も聞きません、というか、聞けません。やっぱりデリケートな話題になるので、やっぱり聞かないでおいています。本当は聞いてみたいのですが・・・。それは変な意味じゃなくて、お互いに良い関係を築いていくために、一韓国人がどのような想いでいるのかは、やっぱり知りたいですよね。


中にはすっごい親日的な韓国人もいます。酒を振る舞ってくれたり、日本のことを色々聞いて来たり、日本語で色々話し掛けてきたり・・・。韓国人の若者は日本語を話せる人がけっこういるので、日本語で話し掛けられることも多いんです。

でもここでも1つ、こんな思考が生まれてしまいます。「あれ?日本のこと嫌いなんじゃないの?あんなに反日反日騒いでいるのに、なんでそんなに日本語を知っているの?」と。


ここで僕たちは考えなくては行けないと思う。韓国が「国として」行っている政策や方針はともかく、一般の国民、特に若い世代は本当に本当は日本のことをどう思っているのか、ということを。

先日ある知人から、韓国国内で親日的な発言をした老人が、酔っ払った中年男性に殴り殺されたというニュースがあったと聞きました。もしかしたらそれに象徴されているように、単に親日的な発言や態度を取ることができない状況に陥っているだけで、親日とは言わずともそこまで日本のことを悪く思っていないのかもしれないよな・・・とも考えたりするわけです。

でも逆に、そんな「思想・良心の自由」すら認められない国内情勢になっているのだとしたら、それの方が問題なのですが・・・。

いずれにせよ、韓国の「国として」の問題はさておき、「個人として」向き合ったとき、僕たちは、少なくとも僕はどう感じているのか?


もちろん決して全員が「反日」とは思えません。でも以前ブログの中で、挑発的な質問をしてくる韓国人の話をしたことがあるように、中には「なーんでそうなるかね・・・」と思わざるを得ないような質問をされたことは確かにあります。特にオーストラリアでもそうでした。

もちろん統計を取っているわけではありませんので僕の感覚と経験値からなのですが、出会っている韓国人の数と「このやろう!」と感じてしまう人の数を比較してみると、もちろん圧倒的に「このやろう!」は少ないわけです。


何が真実なのでしょうか?

韓国で行われている、日本の国旗の上でキジを殺すような活動は、本当に一部の人だけなのでしょうか?

韓国の小学生が、日本をボロボロにしたり日本人を殺しているような絵を学校の授業で描いているようですが、それは本当なのでしょうか?

韓国のアーティストが、日本をバカにしまくっている歌を歌っているのは本当なのでしょうか?


ちょっとネットで調べれば、いくらでも「反日」の情報は出てきます。

でも、実際に会ってみなければ、話してみなければ、心をぶつけてみなければ、分からないこともきっとたくさんある。

ぶつけあってみたら、どんでもない事実が出てくるかもしれない。

僕は今回のブログの中で、韓国や韓国人が良いとか悪いとかを言いたいわけではありません。「日本人宿」という場所で起きていることを、情報として日本に発信したいというだけです。


もしかしたら、日本人宿は安全だからと、韓国人が利用しているだけなのかもしれない。

もしかしたら、日本のことは全然嫌いではなくて、日本人宿に泊まりたくて好きで来ているのかもしれない。



色々な情報が錯綜している現在、一時の情報に一喜一憂せず、広く深く落ち着いて全体を見ることが大事だなと、改めて感じています。

反日のニュースも親日のニュースも、ヘイトスピーチのニュースも日韓交流のニュースも、全て「情報」としてまず一線を置く。そこから吟味していかないと危険なことになる。

人間というものは汚く卑怯な面を持ち合わせているもので、「人の不幸は蜜の味」的な心境や「他人の悪口」に対してはつい心を持っていかれる。そんなもんである。だから「反日」とか「反韓」とか、感情に迫るような情報には必要以上に心を持っていかれることがあるものだ。

正直、今の僕には分かりません、何が真実なのか。たぶん本当に分かっている人なんて、いないんじゃないでしょうか?


きっと僕はこれからもたくさんの韓国人と、そして世界中の人々と会います。僕はどのように「その人」を見て、どのように「その国」を感じるべきなのか、もっと深く考えていきたい。いや、考えなければならない。でないと、僕の旅の意味がない。

でも、色んな事があるとしても、僕の最後の目標は同じなのだ。

「世界中の国と人々が、お互いに平和に暮らせますように・・・。」>

そう願い、その実現のために少しでも行動することなのだ。


2013年9月22日。ちょっと冷たい風が吹いているグアナファトの街中にて。

【ふじもん世界放浪「放学記」第2章中米編 「The 路地 vol.2」】

2013-09-22 08:03:29 | 日記
2013年9月21日。


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《前回のブログ「路地」が思いのほか好評で(笑)、今回も「路地」で行きます!押忍!》

Q:こんな問いって面白くないですか?「今のあなたの人生を、以下の路地の中から1つ選びなさい。」


普通の小路といったものから・・・



横に落書きがあるものや・・・



ドアや窓がある路地・・・



階段があったり・・・



登っているものや・・・



下っているもの・・・



あっちこっちに曲がっているもの・・・



とってもカラフルなものも・・・



ちなみに僕は、表紙の路地を選びます。


まだまだ歩いている道は狭いけど、決して暗くはない。明るい希望の光が差し込んでいる。

やるべきこと、やりたいことは見えている。だから路地の先に、次の通りが見えている。

でも、きっとそこが最後のゴールじゃない。だから次の通りも決して広くはない。華やかな通りでもない。

次の通りをどちらに曲がるのか、正直分からない。でも、必ず日が差し込んでいる!

決して派手さがある路地ではない。しかし、そこは必ず明るさがある。

僕は派手で目立ちまくることを望んでいるわけではない。僕の進む道は教育。教育の主人公は子ども達であり、僕はその下支えである。

手段は教育。でも目的は教育そのものではなく、善い世界を築くこと。だから僕の路地は見た目は決して派手ではないけど、必ず光が差し込んでいるのだ。


ということで、僕はこの路地を選びました!


僕の考えが良いのか悪いのかは分かりませんが、ちょっと「路地と人生」というテーマで考えてみました。最後まで読んで(見て、かな?)下さった皆様、ありがとうございました!よろしければ「路地と人生」、ちょっと考えてみていただければ嬉しいです~!


2013年9月21日。ちょっと肌寒いグアナファトの安宿のロビーにて。

【ふじもん世界放浪「放学記」第2章中米編 「路地」】

2013-09-21 11:50:39 | 日記
2013年9月20日。

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《ここは中世ヨーロッパの雰囲気が色濃く残るメキシコを代表するコロニアルな街、グアナファト。他の街との大きな違いは、碁盤の目のように街が整備されておらず、山の合間をぬって道が走っているんですね。ですから細い路地が多く、他の街にはない独特な雰囲気を醸し出しているんですよね。》

Q:細い路地って、何故か魅力がある気がしませんか?

あれ?しない?(笑)

いや、僕はする気がするんです(笑)。ちょっと今回は趣向を変えて、フェチっぽく「路地」を攻めます!(^-^;


路地。そこには何故か、人を魅了する力がある。(たぶん)


鬼ごっこをしていたときのような、幼心をくすぐられませんか?


その先には、何があるんだろう?とか考えちゃいませんか?


この圧迫感、なんかたまりませんよね?


どこに続くか分からない。それがなんかいい。人生みたいで・・・。


何となく冒険心を火が付くような・・・。


ここは通称「口づけの小道」。隣同士で犬猿の仲だった2軒の息子と娘が恋に落ち、夜ごと2階の窓辺から身を乗り出し、路地を隔てて口づけを交わしたという伝説があるんです。


ここを抜けたときの解放感と安心感。


迷路で遊ぶ子どものように・・・。


行きたい方へ行ってみよう!



人生って、路地みたいだと思うんです。細くて先が見えず、ときどきそれを抜けて大きな通りに出たとしても、また路地に入り込む。

自分がどこにいるのか明確に分かっているときもあれば、まるで迷路のようにどこにいるのか見失うときもある。

分かれ道に出会うこともある。先は見えない。どちらを選ぶべきなのか、人は迷う。

でも、必ずどこかに出る。必ず行き先はある。

もし行き止まりだったとしても、引き返せばいい。また次の道を選べばいい。人生も路地も「後戻り」してもいい。

必ずいつか、大通りに出る。必ずどこかで、広場に出る。

だから、自分の信じた路地を進めばいい。そんな気がするんです。

僕もそうしよう。迷ったり立ち止まったり行き止まりにぶち当たったりするだろうけど、信じた路地を進もう。

その道は、必ず拓けるのだから!!!



2013年9月20日。とても小さくそして美しいコロニアルな街、グアナファトにて。

【ふじもん世界放浪「放学記」第2章中米編 「メキシコシティ日本人学校」素晴らしい学校と熱き先生!】

2013-09-20 10:18:20 | 日記
2013年9月19日。

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《メキシコシティにある日本人学校「日本メキシコ学院・日本コース」。これまで訪れた日本人学校とは趣が全く違いました。どのような学校なのか、そして長時間に渡り対応して下さった教頭先生の熱き思いを、ここに紹介したいと思います~!》


【メキシコ学院・日本コースの驚き①:設備がキレイ!】

これまでにいくつもの日本人学校をお伺いさせていただきましたが、まず僕が驚いたのはその設備の良さ!今まで見てきた学校の中でダントツに整っていました!これには驚きましたね!

校内はキレイだし・・・


食堂もバッチリ!


体育館も素晴らしい!


運動場も本格的!こんな校庭の日本人学校、ありませんでした!


そしてなんと!温水プールまであるんです!すげぇ!



【メキシコ学院・日本コースの驚き②:世代を超えた子ども達が共に在る!】

「日本コース」というくらいなので、当然「メキシココース」もあるんです。日本コースは小中学校のみで、いわゆる日本人学校として運営されています。ですから日本の教育課程で子ども達は学ぶんですね。

それと並行して、メキシココース、つまりはメキシコの学校も同じ敷地内にあるんです。こちらはなんと幼稚園から始まり、小中高まであるんですね!それも同じ敷地内にあるので、学校内には幼稚園児から高校生までが一緒に学んでいるんです。

小学生が食堂で休んでいたり・・・


高校生は外でカフェをしていたり・・・


中学生はバスケをしていたり・・・


幼稚園児は地面に座ってお茶タイムをしていたり・・・


という光景が見られるんですね。このような形で日本人学校と現地の学校が並行して存在しているのは極めて珍しく、とても貴重な学びの場を見ることができました!光栄です!


しかし今日一番熱かったのは、ご案内して下さった教頭先生のお話です。突然の訪問にも関わらず、長時間に渡り学校の案内と教育への熱い想いを語って下さいました。

その人柄に、僕はマジで「この人はいい!」と惚れ込みました!(笑)そして僕が言うのもおこがましいのですが、とっても考えが僕と似ているのです。「そうそう、そうっすよね!」と思うことが何度もありました。

ということで、僕が勝手に思った「教頭先生、そうっすよね!語録」をいくつかまとめてみました~!(笑)


【「教頭先生、そうっすよね!語録」①:日本人としてのアイデンティティを持たせる教育が必要ですよ】

そうですよね、本当にそう思う!僕らは日本人。世界の人は僕らを日本人として見るわけです。それなのに、僕たち日本人はどこか「日本人だぞ!」というプライドと意識が抜けてしまっている。それには色々な理由があるだろうが、それじゃあかん!そうっすよね、そこメッチャ大事ですよね!


【「教頭先生、そうっすよね!語録」②:国旗や国歌を大事にするなんて、当たり前のことですよ】

全くです。この話題でも盛り上がりました。特にメキシコは国旗や国歌をとても大事にするお国柄らしく、その違いに驚いたと話されてました。僕も世界中を周っていて、国旗を掲げていない国などありませんでしたし、国歌は学校でも頻繁に歌われています。個人の考えは色々あるでしょうが、自分の所属する国の旗や歌を大事にすることなんて、それは常識だと僕は思います!


【「教頭先生、そうっすよね!語録」③日本の文化を知らない日本人なんて、恥ずかしいですよ】

旅をしていて一番恥ずかしいことの1つは、外国人に日本のことを聞かれて答えられない瞬間だと僕は思う。語学の問題で上手く説明できないというのは仕方ないと思う。でも、「え、そんなの知らないんだけど」というのはやっぱり恥ずかしい。僕も何度かそういう経験をしてきた。

ある本に「真の国際人とは自分の国について語れることである」という旨の内容があったが、本当にそうだと思う。グローバル化やら何やら叫ばれて久しいが、するとどうしても目は外に行きがちになってしまう。でも本当に大切なのは、自らを知り自らを語れるかだと思うのだ。そうっすよね教頭先生、まずは「己を知れ」ですよね!


【「教頭先生、そうっすよね!語録」④:自分の想いを伝える力、発する力が、これからの若い日本人には必要ですよ】

・・・やっぱりそうなんですかね・・・。日本人の苦手とする分野ですよね、これ。

でも僕これ、長所と短所の裏腹だとも思います。全体を考え、和を重んじるからこそ自分の意見を言わないということも多々ありますし、言えればいいってもんでもない。難しいところですが、でも言うべきところは言わないと、他の国の人たちには伝わらないし、置いていかれる部分はありますよね。教頭先生、やっぱりここは鍛えどころなんですね。


その他にも本当に色々と熱く厚く、深く詳しく教育についてのご意見や経験談などを聞かせていただいた。本当に温厚なお人柄で、僕などの稚拙な質問にも全て丁寧に答えて下さり、僕の意見もしっかりと聞き入れて下さった。

昔からの言葉で「教育は人なり」という言葉があるが、これは永遠に生き続ける言葉だと僕は思う。学校で言えば、よい先生の下では良い子が育つ。悪い先生の下では当然・・・である。教頭先生とお話をさせていただいて、僕は率直に「ああ、この先生に教わった子ども達は幸せだな」と、素直に感じることができた。本当に貴重な時間を過ごすことができた。

「メキシコ学院・日本コース」の学校の雰囲気はとても良かった。他の先生方も温かった。きっと素晴らしい子ども達が育っていくだろう。僕は勝手にそう思った。


ニッポンの若者よ。

魂が素直に「この人いいな」と感じる人に会おう。素晴らしい人との出会いは人生を変える。でも求めなければ出会えない。だが求めれば、必ず出会いはやってくる。出来る限りたくさんの人に出会って、自らを変えていってほしい!押忍!

2013年9月19日。今日も相変わらず雷が鳴り響くメキシコシティの日本人宿にて。

【ふじもん世界放浪「放学記」第2章中米編 「ボクハ、アナタハ、シアワセデスカ?」】

2013-09-19 10:09:38 | 日記
2013年9月18日。


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《グアテマラからメキシコにかけて、僕はたくさんの先住民の村々へ訪問させていただいた。その度に僕は考えさせらえる。豊かさとは?幸せとは?これからの僕たちは、どう生きるべきなのだろうか?》

「メキシコのサンクリストバル・デ・ラスカサスという街に、日本人によってフェアトレードを用いたコーヒー栽培と販売をしている、マヤビニックコーヒーというお店がある」との情報を聞きつけ、僕はサンクリストバル・デ・ラスカサスに足を運んだ。

「マヤビニックコーヒーのことを教えて下さい!」と直接お店に突撃取材を敢行したのだが、マヤビニックコーヒーの運営に携わっていた現地在住の日本人、伊藤さんが、快く取材に応じて下さった。

メキシコに30年以上住んでいる伊藤さんはメキシコの内情にも詳しく、様々なことを僕に教えて下さった。そして本当に有り難いことに、サンクリストバル・デ・ラスカサス周辺の先住民の村々にも案内をして下さったのだ。


そのうちの1つに、「サンアンドレアス・ララインサール」という村がある。伊藤さんの案内のおかげで、僕は村のある家庭の中にまでお邪魔することができた。


マヤの先住民の村々の家。

僕の、僕らの、日本人の感覚からすると・・・

それは貧しいものだ。


なんでそう思うのか?

家は綺麗ではない。

織物をしている家の壁は、泥で固められたものだ。

屋根はただのトタンである。


日々の生活をしている家の中は・・・。

電気は裸電球がぶら下がっているだけ。

壁は、土に突き刺された木が並べられている。

中央に囲炉裏があり、そこでは常に火が焚かれている。


突然訪れた僕にも椅子を用意してくれ、おかゆのような温かい飲み物を振る舞ってくれた。



子ども達の衣服は・・・綺麗ではない。日本の子どもがこのような汚れた服を着ていることは、まずない。

足は、裸足である。靴など履いていない。

髪の毛はボサボサで、そんなに洗髪もしていないのだろう。


それを見て僕は・・・思ってしまう。感じてしまう。

「貧しさ」を。

しかしそれを見て、僕は同時に思ってしまう。感じてしまう。

「豊かさ」を。



そこには「笑顔」がある。


そこには「自然」がある。


そこには「家族」がある。


僕は日本人だ。日本で生まれ、日本で育った。

お金持ちの家ではなかった。でも、ひもじい思いをした記憶はない。食べるに困ったこともない。

「もの」は、それなりにあった。

自分が不幸だとも思ったことはない。


でも、今の自分は本当に幸せなのだろうか。

でも、今の日本人は、幸せに生きているのだろうか。



僕たちは「ものの有無」で、豊かさを判断してしまう。

「ものがある=幸せ」、「ものがない=不幸せ」。そんな方程式を、僕たちは考えてしまう。


彼らの笑顔は、僕に「何か」を問い掛けてくれる。

本当の幸せを、本当の豊かさを、本当の在り方を。



ものはないよりもあった方がきっといい。お金もないよりはあった方がきっといい。

でも、ものとお金があったって、それが幸せの絶対条件じゃない。

物質至上主義、拝金主義。その限界を、僕たちは感じかけている。

「豊かに生きたい、幸せに生きたい。」誰もが思っている。

でも、誰もが思っているにも関わらず、その答えはきっと誰にも分からない。

面白いものだ。誰もが望んでいるのに、誰もがその確たる答えを分かっていない。


服は汚いかもしれない。電球は暗いかもしれない。

パソコンはないかもしれない。コンビニはないかもしれない。

でも、それは不幸なの?それは気の毒なの?


限りがないもの、それは「人間の欲望。」

年収が1000万円になれば、今度は2000万円欲しくなる。1億なら2億、5億なら10億・・・。

それで幸せはついてくるの?それが幸せを呼び込むの?

じゃあ、年収300万円の人は、絶対的に不幸なの?永遠に幸せはやってこないの?

きっとそれは違う。幸せとか不幸せとかって、そんな数学みたいに出てくるものではない。


「日本人が何しに来たの?」彼らは思うかもしれない。

あれ、僕は・・・何をしに来たんだろう。

何を探しに来たんだろう。

時々分からなくなる。

色んなものが分からなくなる。


大切なものは何なのだろう。

幸せって何なのだろう。

僕は今ここで、何を感じるべきなのだろう。



いっつもいっつも、僕は同じ結論になる。「俺は無知だ」と。

いくらソクラテスと肩を並べた僕でも(笑)、「無知の知」ばっかりは辛い。

本当の「シアワセノカタチ」。無知なりに、追い求めていかないとな・・・。


2013年9月17日。激しいの雨の後で冷え込む、メキシコシティの安宿にて。