世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第2章 中米編 「外見で判断するな?顔で判断すな?いや、するでしょ!」の件】

2013-09-11 11:31:14 | 日記
2013年9月10日。

《ひと泳ぎした後に、明らかに自分撮りしましたよ~のこの男。こいつはいいやつでしょうか、悪いやつでしょうか、それとも問題外でしょうか?(笑)》


え~と、今日はちょっとゴーマンです(笑)!


よく、「外見で判断しないで下さい」とか、「顔で判断しないで下さい」みたいなセリフを耳にする。

いや、僕思うんですよ。外見で判断しますよね?顔を見て判断しますよね?

僕、メッチャしてます。あれ、しませんか?(笑)

だって顔に書いてあるもん。態度に出てるもん。服装に出てるもん。

そう思いませんか?あれ、そうでもない?(笑)


旅をしているといっつも困ってるんですよね。困っていることの繰り返しです。

なんたって言葉が通じない。

初めて着いた場所で、右も左も分からないとは正にこのこと。

バスが来たって、それが本当に目的地にいくやつなのかどうかも分からない。

そんなことの繰り返しです。


じゃあどうするのか?どうやってそのピンチを切り抜けるのか?

そう、誰かに聞くしかないんです。

じゃあ誰に聞くのか?


それが最大のポイント!!!


僕の判断基準。ズバリ「顔」!

これ、大抵は当たりますよ、マジで!

「やべぇな、困ったな。誰かに聞こう。」となったとき、僕は必ず顔を見る。そんで、「お、この人は優しそうだ」という人に声をかける。

すると、だいたい優しいんですよ!いやホントに。

「こいつちょっと目つき悪いし嫌だな~」的なやつに声をかけると、冷たいんですよ、ホントに。


バスに乗ったときの運転手とかでも、顔ですぐに分かります。「お、こいつは色々言っても大丈夫な人だぞ!」と。

僕はこの旅で確信しました。

「人間やっぱり顔に出る!」

中学生くらいの子はよく「外見で判断しないで下さ~い」みたいなことを言うけど、いや判断するでしょ!

出るんだって、外見に!顔に!

たぶんそれは、大人になればなるほど分かってくることなのだと思う。やっぱり人生の経験って偉大だ。

旅をしていると特に「言葉」というコミュニケーションが取れないことが多い分、たぶん直感が冴えわたるんだと思う。本能で間違えのない判断をしないと、マジで危ない目に合う可能性もあるわけだし。


だいたい、「外見で判断するな」って言う人ほど、中身がない気がするんですよね。中身のある人間は外見も整える。外見で判断されることを知っているから。


服装や身なりを整えることと顔そのものがどうなのかについてはちょっと違うのかもしれないけど、やっぱり「心」が表れるって意味では同じなんじゃないかな、と思う。


道を歩いていて、この道で合っているのかどうかちょっと確かめたいときに色んなおばちゃんに聞いてみると実に面白い。

すっごい優しく「この道は○○アベニューで何ブロック先に・・・」と、ホントに詳しく親切に教えてくれるおばちゃんもいれば、ハエを追い払うかのように手で「あっちじゃボケ!」みたにやるババァもいる。でもどんな反応が来るのかどうかは、聞く前から分かっている。

「この人に聞いたらどんな反応が返ってくるか」は、ホントに顔に書いてあるんですよ。

ツアーに参加したときのガイドの質や、お店の店員さんの対応なども一緒。笑えるくらい顔と一緒の対応をしてくれます。


ちなみに今日、僕はとある遺跡までのトランスポートをある旅行会社に頼んだのですが、支払い方法についてちょっといざこざがありました。車に一緒に乗ってきたオヤジのガイドはその顔の通り、態度悪い悪い!お客様に接する気持ちなんて一切なし!日本ならソッコーでクビです、あんなの(笑)。

でもその後で対応してくれた別のスタッフは、その顔の通り。すっげぇ親切に色々やってくれて、マジで感謝!いや~ホントに優しい顔している人だったんですよね・・・。


というわけで、つまりは「顔はやっぱり人間性の鏡である」と、確信をしたのでございました!(笑)

でもホントに旅をしていると、そういう直感が冴えてくると思います、そうじゃないと自分の身を守れないから。

日本の若者よ、ぜひ「直感を鍛える旅」に出てみよう!!!面白いぞ!!!


2013年9月10日。ちょっと今夜は蚊がいそうな雰囲気が漂う、グアテマラ東部の街・フローレスにて。

【第2章 中米編 「チョコラテ」】

2013-09-09 12:21:26 | 日記
2013年9月8日。

《中米に限らず、世界中には学校に行けず生きるために物売りをしている子ども達が山のようにいる。この写真はボリビアの道路で料金所待ちをしている車にものを売っている子ども達だが、ここグアテマラでも、僕は改めて考えさせられた。》


グアテマラシティから北東へ約300km。道路も舗装されておらず、電気も夜の6時から10時までしか供給されない田舎町、セムク・チャンペイ。今僕は、この田舎町にいる。

朝。基本的にいつも早起きの僕はこの日も6時には起きて、宿に併設されているレストランの椅子を借りて朝食をとっていた。と言ってももちろんレストランの食事ではなく、前日に商店で買ってきた安~いパンをかじっていたのだが(笑)。

すると、1人の少女がやってきた。

とっても可愛らしくて、綺麗な民族衣装に身を包んでいる。7歳か8歳くらいといったところだろうか。

目的は「物売り」。売っていたものは「チョコレート」。

か細い声で、「チョコラテ」とだけ一言。

僕は速攻でこう答える。「ノー、グラシアス」(結構です、どうもありがとう)と。

僕は決めている。必要のないものは同情せず、絶対に買わないと。それが良いのか悪いのかは正直分からない。でも、もしいちいち売りに来る子ども達すべてからものを買っていたら、いくらあってもお金が足りないし、際限なく子ども達はやって来る。

僕はチョコレートが食べたいわけではない。だから、いつものように断っただけだ。でもなぜか、この女の子には後ろ髪を引かれる思いがした。

なんでだかは分からないが、なぜか買ってあげないことに、妙な罪悪感を感じたのだ。

久しぶりに、僕の魂が話しかけてきた。

「なんだよ、だったら買ってやりゃあいいじゃねぇかよ。別に今オマエがその女の子からチョコレートを買ったところで、オマエが破産するわけじゃねぇだろ?たかだか数十円だろ?罪悪感を感じるくらいなら、そんくらい買ってりゃあいいじゃねぇか。」

僕の心が答える。

「いや、俺は決めてるんだ。必要のないものは、たとえどんなにみすぼらしい子どもからでも買わないって。今その子からものを買うことが本当に正義なのか分からないし、何より物売りの子どもは山のようにいる。その一人一人からものを買っていたら大変なことになってしまうだろ。」

魂が言う。

「そりゃ全員から買っていたら大騒ぎだな。でもよ、買える範囲で買ってやるのもまた正義じゃねぇのか?偉そうに何が正義か分からないとか言って、本当はおめぇがケチなだけじゃねぇのか?」

心が言う。

「ケチというより、必要のないものは買わないなんて、当たり前の話だろ?それにあの子ども達の中には、子どもが売れば同情を得てものが売れるからと、大人に利用されている子どももいるらしいし。俺たちが子どもからものを買うことで、悪影響を与えている可能性だってあるはずだ。子どもが売る⇒売れる⇒もっと売らされる⇒教育を受けられない、という風に。それに、すべての子どもから平等にものを買うことも不可能だし。だから俺は一切買わないと決めたんだ。」


ここは電気も夜しか来ない、超が付くほどの田舎町。学校はあるのだろうか。村人は、どのように生計を立てているのだろうか。それとも、僕なんかが余計な心配をする必要などなく、観光客からの十分な収入があったりするのだろうか。


世界中どこに行っても、子ども達による物売りは存在する。世界中どこに行っても、物乞いが道端に座っている。僕はそれを目にする度に、どうしたらいいのか分からなくなる。本当は何をすべきなのか。施しをすることが正義なのか。逆にあげないことが正義なのか。

その人個人で考えたら、少しでも施しを与えることが良いのかもしれない。しかしそれが社会全体で考えたら、果たして良いことなのだろうか。いや、それ以前に、こんなにもたくさんの子どもの物売りや物乞いが存在している時点で、社会全体もクソもないんじゃないか。社会全体が腐っているから、こんなにもたくさんの子どもの物売りや物乞いが存在しているんだし、全体を見ずに個を助けるべきなんじゃないか。

日本の旅人で、たまに百均などで買ってきたボールペンやお菓子などをあっちこっちで配っている人を目にするが、あれも僕は気になる。確かに喜ばれるのだが、しかしだからと言って、むやみやたらと配ることが、果たして本当に良いことなのか。

やっぱり僕には、まだまだ世界は分からない。目の前の子どもにすら何をすべきなのかが分からない、本当に愚か者だ。

でもいいんだ、僕は分からないことを自覚している、「無知の知」なのだ!もうソクラテスの域に達しているのだから(笑)!


分からないことが分かるようになることは、きっと素晴らしい。でも、分からないことがどんどん増えていくこともまた、きっと素晴らしい。世界は「分からないこと」に満ちている。解けない謎、分からない問題、解決できない課題ばかりが満ち満ちている。でも、それを知ったからこそ「分からない」を自覚できるのだ。それが大切なのだ。

ニッポンの若者には、ぜひどんどん「分からない」を増やしてほしい。「分からないこと」を恐れずに、「分からないこと」だらけの人間になってほしい。知っていることが多ければ多いほど人間が豊かになるのと同様に、「分からないこと」が多ければ多いほど、それもまた人間を豊かにしてくれると、僕は思うのだ。

ニッポンの若者よ、「分からないこと」だらけの人間であれ!(笑)

2013年9月8日。果てしない大森林と川のせせらぎが絶え間なく聞こえる、セムク・チャンペイにて。

【第2章 中米編 「旅に出るとは何なのか。」熱きニッポンの旅人レポートVOL,1】

2013-09-07 07:26:52 | 日記
2013年9月6日。

《日本を飛び出してからもうすぐ2年半。音楽を愛し、音楽と共に生きると決めた熱い男、「ゆーすけ」。彼はなぜ日本を飛び出したのか?彼は何を思い、日々旅をしているのか?グアテマラのアンティグアでお会いしたこのゆーすけさんに、少しだけインタビューさせていただきました!》


ここはグアテマラでも有数の観光都市、アンティグア。僕は今、このアンティグアの安宿に滞在している。

そこで偶然一人の熱い男に出会った。彼の名は「ゆーすけ」。彼の生き甲斐は「音楽」。アーティスト名は「チャル」。たまたま一緒の部屋になり色々と話をしているうちに、彼の熱い魂がビンビン伝わってきた。

「彼の生き方、生き様、考え方は絶対日本の若者の参考になる」と直感的に感じた僕は、彼にインタビューをさせてもらった。今回は、彼の熱い想いを日本に伝えたい。


Q:ゆーすけさんは、どうして旅に出ようと決心したんですか?

A:大学を卒業後、僕はもともと日本でサラリーマンをしていたんです。音楽は昔から続けていたのですが、社会人になってからは仕事と音楽を両立させてやってきました。


Q:でも、仕事を辞めて旅に出たんですね?

A:僕の一番やりたいことは音楽なんです。でも仕事はとても忙しく、どうしても日々ほとんどのことが仕事になってしまいます。比率で言ったら8:2とかかな・・・。そのような状態で、何年間か過ぎていきました。

そんなある日、ある映画を観たんです。いや、観たと言っても簡単な映画の紹介だったんですが(笑)。それを観て、僕は号泣してしまったんです。

その映画の内容はもちろん音楽に関わるものだったのですが、それを機に僕は考えたんです。もし僕がこのままサラリーマンを続けていたら、僕はどうなっているだろう、と。

もしこのまま仕事を続けていたら、僕はきっと後悔すると。
僕が人生で一番やりたいことは、音楽なんだ。。
僕は音楽をやりたい。だから僕は仕事を辞めて、旅に出ました。



Q:なるほど、深いですね・・・!旅中は、歌を作ったり弾き語りをしているのですか?

A:もちろん、あっちこっちでしています。路上でも歌うこともあるし、宿で知り合った方々に歌ったり。今ちょっと喉を傷めていて、歌えないことが本当に辛いですね。


Q:いつ頃から音楽に取り組みだしたのですか?

A:音楽自体は昔からやっていたのですが、本当に真剣に取り組み始めたのは実は社会人になってからなんです。

僕は大学3年生の時の夏休みに、東京から九州まで弾き語りの旅をしました。そのとき、ある青年と出会い仲良くなって、お互いに歌を披露しあっていました。

連絡先も交換したのですが特に連絡をすることもなく、月日が流れていきました。そしてらある日、彼をテレビで見ました。彼とはなんとあの、森山直太朗さんだったんです。

就職をして社会人になっていた僕は考えました。彼は今や知る人がいないくらいのシンガーになっていて、しかし僕は「音楽が好きだ」と言いながら、普通に就職している。俺ってなんなんだ、と。そこで初めて、僕は音楽に真剣に取り組み始めました。


Q:あの森山直太朗さんとそんな形で出会っていたとは・・・それはすごいですね!彼から受けた影響は大きかったんですね。

A:だからこそ社会人になってからこそ真剣に音楽に取り組み始めたんです。おかげ様で、ミュージカル活動を主に開催しているNPO法人「コモンビート」にも楽曲を提供させていただきました。

でも先ほども述べたように、どうしても仕事の方が当然時間を取られます。僕は音楽がやりたい。音楽が大好きだ。そんな気持ちがあるのに、それを実現できないなんて、僕はおかしいと思ったんです。やりたちことがあるのにやれないなんて、そんなに苦しいことはない。やりたいことがあるのにやらないなんて、そんなの人生じゃない、と。


Q:その気持ち、ものすごく共感します。そうですよね・・・!

A:だから僕は旅に出て、今自分の音楽を磨いています。日本に帰ったらもちろん音楽で勝負していくつもりです。僕の中でまだ完全に、僕の音楽のイメージが出来上がっていない部分もあるのですが、これから僕は自分流の音楽で勝負していきます。成功している人の話などを聞くと正直焦ったりもしますが、でも僕は僕なので、僕の道で音楽を続けていきます。


Q:マジで応援しています!旅をしていて、率直にどんなことを感じますか?

A:仕事をしていると、常に先を読み、しっかり予定を立てて動くことが良しとされますよね。でも旅はちょっと違うと思うんです。なんというか、「判断を遅らせる」のがいいと思うんです、感情に任せるというか。そこから生まれてくるものがあると思うんですよね。


Q:なるほど、それも深いですね・・・!ゆーすけさんの意見には1つ1つに深みと想いがあり、こちらもすごく突き動かされます。今日お話をしただけで、すでにファンになってしまいました!ありがとうございます!


僕にはない感覚を、このゆーすけさんは持っているなぁと率直に感じた。1つ1つの言葉の使い方にはとても知性があり、ちょっとミステリアスな雰囲気がまた素晴らしい。僕とはタイプが違うこのゆーすけさんに、僕は魅かれた。

ぜひ無事に旅を終え、日本で大活躍してほしい。今回ゆーすけさんは喉を傷めていてその歌声が聞けなかったのだが、それはきっと「次回また会いなさい」という神の思し召しなんだろう(笑)。日本の皆さん、このゆーすけさん、アーティスト名はチャルさんに、今後注目ですよ!

このゆーすけさんの生き方、生き様は、今の日本の若者にも大いに参考になると思う。このアンティグアでこのような素晴らしい出会いがあり、本当に感謝している。やっぱり旅って素晴らしい!



2013年9月6日。アンティグアの中心部にある安宿の一室にて。

【第2章 中米編 「先住民族」の村を訪れるということ。】

2013-09-05 13:12:04 | 日記
2013年9月4日。


《今日最後に訪れた村の様子です。山の斜面に張り付くように家が立ち並び、その様子は決して裕福ではありません。でも、優しさと笑顔が常にそこにはあるんですよね・・・。》


僕、「先住民族」って好きなんですよ。昔から何故か「先住民族」という言葉が好きで、会ったことも見たこともない子どもの時から、何故か不思議な魅力を感じていました。理由は自分でも分かりません。前世とかの関係ですかね・・・(笑)!


それは冗談として、だから僕は南米だとボリビアが大好きなんです。ボリビアは先住民族の比率が高く、街中を綺麗な民族衣装をまとった人々が随所にいるからというのがその理由の1つです。


なんかね、いいんですよ!(笑)南米のインディヘナの方々って顔つきも日本人にとても似ているし、すごく親近感を感じるんです。なんでなんだろうなぁ、やっぱり自分でも本当のところは分かりません。


グアテマラを訪れる際に色々調べていたら、多くの先住民族の村に行くことができるとありました。これは僕的には行かないわけにはいかないんですね(笑)!グアテマラに入国して真っ先にパナハッチェルに来たのも、先住民族の村々を訪れることが第一の目的だったからです。



でも、すごく考えるんです。「先住民族の村を訪れる」っていうことは、どういうことなのかって。


僕は自分自身は、ただの観光気分とか冷やかしとかなどではもちろんなく、純粋に先住民族の昔ながらの暮らしや歴史、文化に興味があり、本当に「お邪魔させていただく」気持ちで村に足を踏み入れている(つもりである)。でも、それってどうなんだろう。

迷惑ですよね、きっと。嫌ですよね、きっと。どっか他の国の人間が自分たちの生活の場にやって来て、なにやらジロジロ見てバシバシ写真撮ったりして、気分いいわけがないですよね。


僕がどんな気持ちでいるとか、彼らには関係ない。仮にどんなに純粋で崇高で相手を尊重する気持ちであったとしても、気持ちがいいものではないはずだ。


パナハッチェルの麓にあるアティトラン湖。綺麗ですよね。この周辺に、いくつもの先住民族の村々が存在しています。


僕は今日、4つの村を訪れてきました。村によって民族衣装がちょっと違ったり人々の雰囲気も違ったり、ずぐ近くに存在する村なのにそのような違いがあるのはとても興味深いですよね。


最初はきっと、どっかの他人が自分たちの生活を見に来るなんて、先住民族の人々からしたら迷惑極まりないことだったと思う。でも今は、何というか、それが先住民族の人々にとっても大事なことになってしまっている。


何故か。その国の貨幣経済に完全に組み込まてしまった先住民族の村々では、「いかにして現金収入を得るのか」ということが重要な課題になってしまったからだ。


だから、昔はきっと「何しに来たんだ、このやろー」だったはずの外国人観光客も、今じゃ「どーぞどーぞ、お金を落としていって下さい」の存在になってしまった。


僕はそのことがなんか、心苦しく感じるんです。僕は純粋に先住民族の村々が好きだけど、そこにはお金を落とす存在であるからこその受け入れの体制があって、お金を落とす存在だからこそ彼らには僕の価値があって、僕が純粋に学びたいとか感じたいとか、そんなの関係ねぇ、ってことなんですよね。


僕のそんな偽善ぶった気持ちなんかより、目の前の民芸品の1つでも買えよって話になる。

そうなんですよね、お金を落とすからこそ、僕には価値がある。なーんも買い物もしない外国人なんて、今度はそれが彼らにとって迷惑(直接的に迷惑ではないでしょうが、買い物しろよ!って意味で)になってしまう。


なんだか、それが何とも言えない気持ちに僕をさせるのだ。

僕は何のために先住民族の村々にお邪魔させていただいているのだろう。彼らのビジネスのためなのか、それとも自分の好奇心を満たすための自己満足か。

村の方々は民芸品を売るために僕の前に次から次へと持ってくる。それを僕はすべて断る、すべてだ。だってまだまだ旅は続くし、確かにみんな綺麗で欲しいことは欲しい品ばかりだけど、いちいち買っていたら大変なことになる。


その度に、なんだか僕は考えてしまう。この仕組みって何なんだろう、と。

彼らには彼らの伝統的な生活があった。そこに外からの貨幣経済が流れ込んできて、彼らを巻き込んで、その国の一部になった。そして、現金収入がいくらあるかが、価値観の上位になってしまった。


僕はどうするべきなんだろう。買い物をいっぱいすることが、その村のためになるってことか?

それはそうかもしれないけど、何だろう、引っかかるよな・・・。


彼らの多くは、今でも写真を撮られることを嫌がるんです。今このブログに載せた写真の多くが後ろ向きなのは、正面から写真が撮れないのと、撮ろうとするとフッと身体の向きを変えられてしまうからです。


でも、そりゃそうですよね。もし自分の住んでいる地域にたくさん外国人がやってきて、好奇心でカメラを向けれらたら、いちいち笑顔にポーズなんてしていらんないですよね。無視するかそっぽ向くか、下手したら「おい、撮んなよ!」とか言ってしまうかもしれない。


それでもほとんどの人が笑顔で挨拶をしてくれる。もしかしたら僕が考えすぎているだけなのかもしれない。村の人にとって、実は外国人が来ることは嫌なことではないのかもしれない。もしかしたら写真を嫌がるのも、ただ単にシャイなだけなのかもしれない。


でも、やっぱり僕は考える。

そもそも「先住民族の村々が観光地になる」ってことは、どういうことなんだろう。なんだかそこから考えてしまう。

あ~、頭ゴチャゴチャになってきた・・・。

偉そうにブログ書いたところで、俺自身がなーんも分かってないんだよな・・・。

できることなら、マジで腹割って村の人々と話してみたい、ガチの本音で。本当はどう思っているのか、ガチで聞いてみたい。

僕は明日も違う先住民族の街に行きます。僕はどういう気持ちで行くべきなのだろう。

そもそも海外旅行自体が「他の人の土地に上がらせいただく」行為なんだよな。何だか難しいようでシンプルなようで、やっぱり複雑で・・・よくわかりません、愚か者の俺には。

でも、それでいいや。あのソクラテスだって「私は知らない。だが私はそのことを知っている」って、「無知の知」を説いたんだし。だから今の俺も「無知の知」だ。ついに俺もソクラテスに域に入ったか!(笑)

じゃあ今日は「日本人がグアテマラで初めてソクラテスになった上に、今日はそいつの誕生日」だという、素晴らしい日ということでまとめよう・・・!(笑)

2013年9月4日。外では雨が降り続くパナハッチェルの安宿にて。

【第2章 中米編 「ココが違うよ、南米と中米」】

2013-09-04 14:43:42 | 日記
2013年9月3日。

《もちろん変わらないものあります。こんなカテドラルなどは、中南米どこの街に行っても必ずありますからね!それもすっごく立派なものが!どこに行っても壮観です!》


南米大陸の最南端から北上を続け、現在グアテマラまで到着した僕。いや~こうして地図を見ると、上に上がってきたもんだ!(笑)

中米に入り、「あれ、やっぱり南米と違うな」と感じることがいくつかありました。ちょっと簡単にご紹介したいと思います~!


「ココが違うよ、南米と中米」VOL,1 スポーツがサッカーから野球に変わった!


これね、面白いんですよ!ホントにハッキリ変わったんです。南米で言うとベネズエラだけは野球の放送が多かったので、中米とハッキリ線が引けるわけではないのですが、でもホントに急に「野球の国」になりました。

面白かったのが、パナマでの入国審査のとき。僕が日本人だと分かると、審査官のおばちゃんが「ジャパン!ベースボール!」と言いだし、なんだか妙に嬉しそうではありませんか(笑)。そのおばちゃん、けっこう親日的らしく、日本の野球のことをベタ褒めしてくれて、サクッとスタンプを押してくれました!

でもそのあとちょっとだけ野球の持論語りがあり、内心「早くパスポート返してくんねーかな~」とも思ってしまったのですが(笑)。なんにしても、サムライジャパンのおかげで、入国審査にうるさいと噂されるパナマのイミグレーションをあっさり抜けることができました!

街中のグラウンドでのスポーツも、野球をしている姿が多く見られるようになりました。子ども達が野球のユニフォームを着て歩いている姿を見ると、何だか新鮮ですよね!なんとなく心で「ああ、この国は野球なんだなぁ」と眺めていました。


「ココが違うよ、南米と中米」VOL,2 バスがアメリカ製に変わった!


やっぱり「天下のUSA」に近くなっているからでしょうか、アメリカ車の割合が増えたように感じます。

といっても乗用車はそんなに変わらないのですが、(相変わらずダントツに多いのが日本車です!)バスがとにかくアメリカ製に変わりました。でもそれは新品のアメ車ではなく、みんな中古の払下げなんですけどね。

古いバスなので、排気ガスがひどいのが大変・・・!エルサルバドルなど、ちょっと呼吸がしんどくなる時もありました。

でもいくら日本やヨーロッパなどで排気ガス対策をしても、このように中古の車が発展途上国に流れて再使用されている状況だと、地球全体の大気汚染対策としては問題なんですよね。チリのサンチアゴやメキシコのメキシコシティなどもスモッグが大問題になってますし、一部の国で対策して綺麗になったとしても、地球全体としては何も解決できていないことを考えないといけないな~と感じました。


「ココが違うよ、南米と中米」VOL,3 メッチャ「チノ!」と言われる!


まぁ別に大した話ではないのですが、メッチャ「チノ!」と言われるんですよね。これも実はベネズエラからがすごいことになったのですが、歩いていると「チノ!」と必ず言われます。ニカラグア人にそのことについて聞いたところ、日韓中はみんな「チノ」のようで、そもそもこの3つの国がそれぞれ違う国だということも曖昧なようです(笑)。

僕たちからすると「は?違う国って分かってないの?」と、ちょっと憤りを感じるくらいの話ですが、そのようです。ホンジュラスのとある公園で一休みしていたら、僕に現地の新聞を見せてきて、何やら話しかけてきました。記事の写真を見たら中国語で書かれた看板が載っていて、どうやら中国のトイレのマナーについての記事だったようです。

なにやらどこにでもおしっこをしてしまうから・・・みたいな記事のようでしたが(すいません、スペイン語なので確かではないのですが)、そのおじさんは「日本人と中国人って違うのか?」と普通に聞いてきました。

その質問、僕にとってはとっても有り難いものでした。「ああ、こちらの方はそういう認識なんだな」と感じましたね。僕らからすると、う~ん、ですが、そんなもんなんですね。

でも考えてみたら、僕らだって例えば、ニカラグアとホンジュラスの区別が明確につきますか?と言われたら、「あれ、中米のあの細いとこにある国でしょ?」くらいなもんで、大して分かっていないと思います。だからそんなもんなんでしょうね(笑)。


というわけで、今回は簡単に「僕が素朴に感じた中南米の違い」をまとめてみました。陸路で国を移動していると、川1本、山1つ越えただけで雰囲気が大きく変わるので、それは面白いですよ!

機会があれば、ぜひ日本では絶対に体験できない「陸路の国境越え」を経験していただければと思います~!

2013年9月3日。グアテマラの地方都市、パナハッチェルの安宿にて。