奨さんの内的言語の世界は人知れず豊かに存在するのだろう。
本人は知ってもらうことを、もう諦めているかもしれない。
その発話を受け取ろうとしないと
それは出て来なくなってしまうのではないだろうか。
私はこれをとても危惧しています。
会話ができない環境はどんなに厳しいものだろうか。
どうぞ諦めないで、希望を持って、何とか言い続けて欲しい。
ささき
奨さんの内的言語の世界は人知れず豊かに存在するのだろう。
本人は知ってもらうことを、もう諦めているかもしれない。
その発話を受け取ろうとしないと
それは出て来なくなってしまうのではないだろうか。
私はこれをとても危惧しています。
会話ができない環境はどんなに厳しいものだろうか。
どうぞ諦めないで、希望を持って、何とか言い続けて欲しい。
ささき
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