一輝はその猫を見つめていた。
猫は陽当りの良いリビングのソファの、ど真ん中で微睡(まどろ)んでいる。熟睡してはいない。うっすらと片目を開け、リビングの入口に立つ一輝を見つめている。
いや、観察しているのだった。
一輝は、この猫と相性が悪い。
元々、この猫は氷河が拾ってきたものであった。
氷河はベランダにいた、とほざいたが、この部屋は17階の、隣の部屋とベランダは完全に独立しているマンションだ。鳩や隼が舞い込むのならまだしも猫などが、絶対に迷い込むわけが無いのだ。
だが、氷河が嘘をつく理由がないのも、また事実であった。
このマンションは賃貸だがペットは飼って良いのだと、氷河は賃貸契約書をめくりながら、そう口にしている。
ならば、氷河が一輝に遠慮などする訳がないのだ。
――まったく、何なのだこの猫は。
一輝は冷蔵庫からビールを取り出し、猫の真横に腰を下ろした。
猫は縄張り意識が強い生き物だが、自分に好意を抱いていない人間が間近に座れば、逃げるものだ。
それを、この猫は上目遣いに一輝を見つめながら、微動だにしない。
――この、猫めがッ!
一輝は腕を伸ばし、猫を捕まえようとし、その腕が空を切ったのに、唇を歪めた。
別に、猫を捕まえようと思ったわけではなかった。
始めてこの猫と出会った時の衝撃を、一輝は忘れたことがなかった。
その日、一輝は出先から帰り、マンションのドアを開いた。
扉を開いたのと、氷河の珍妙な叫び声を聞いたのが、同時だった。
叫び声を放ち、廊下に出てきた氷河の姿に、一輝は目を見張った。
氷河が全裸だったからだ。
ずぶ濡れの氷河は、天敵一輝の帰宅にも気づかない程、取り乱していた。
闘えば一輝には負け続けてはいるが、氷河も聖闘士であった。
それも、聖域では黄金聖闘士と闘い抜き、ポセイドンの海底神殿では海闘士(マリーナ)と、冥界では冥闘士(スペクター)とも闘い抜いた男であった。
その氷河が応戦の気配も見せず、何者かに追い立てられたかのように廊下に踊りててきたというのは、只事ではなかった。
一輝は氷河を跨ぎ、浴室を覗いてみた。
そこにいたのが、この猫だった。
泥水に飛び込んだような色合いの猫が、一輝を見つめていた。
一輝は猫と、珍しく入浴剤の投入されている湯船を見比べ、風呂に入ることにした。
たかが猫一匹、何を恐れるのだと思いながら、一輝は湯を浴び、浴槽に浸った。
その間、猫は椅子に座ったまま、微動だにしなかった。
一輝は浴槽に浸り、湯で顔を洗った。
その時、浴槽に顔だけを出した氷河が、椅子から微動だにしない猫を指さし叫んだのだ。
――バカッ、一輝ッ…ソレは猫の汚れだ、と。
考えてみれば、吝嗇家の氷河が、来客でもないのに入浴剤など使うわけが無いのだ。
外出から帰り、汗を流すつもりの入浴で、猫の汚れを全身に浴びてしまったことに一輝は肚を立てた。
捕まえて、ベランダから放り出そうとした一輝の腕から掻い潜り続けた猫であった。
あまりの猫の素早さに、一輝は光速の拳を繰り出し、それでも、この猫を捉えることが出来なかった。
思いつきのまま伸ばした腕が、猫に触れられるとは思ってはいない。
だが、ソファのど真ん中から、忌々しい猫を退かすことはできた。
一輝はプルトップを開け、ビールを喉に流し込んだ。
猫は少し離れた場所で一輝を見つめていた。
――羨ましかろう。
一輝は猫に向かい、ビールの缶を掲げてみせた。
どんなに悪賢い猫でも、ビールのプルトップを、自分で切ることは出来ない。第一、この美味いアルコールを、猫は飲むことができぬのだと、一輝は猫の前でビールの缶を振ってみせた。
「どうだ、猫め、欲しかろうが?」
一輝は猫の口元にビールを近づけた。
その時、猫の手が動いた。
目にも留まらぬスピードでビールの缶をはたき落とされ、一輝は目を見張った。
目を見張りながら、一輝は見た。
一輝から缶をはたき落とした猫が、ビールの着地点目指して飛んだのを。
「ゲッ」
一輝は目の前でビールを被った猫を見詰めた。
「あッ、キサマッ!」
一輝は腰を浮かせた。カーペットや床を汚すと、氷河に何をいわれるか解らないからだ。
「何を騒いでいる? 一輝」
寝不足らしい氷河がドアを開けたのを目にし、一輝の動きが凍り付いた。
「あっ、お前、猫に何をしているんだ?」
ビールにまみれた猫に氷河は慌てた。
猫は懸命に、自分に降り掛かっビールを舐め続けている。
そこに、騒ぎを聞きつけた氷河が顔を出したのだ。
「続く」
猫は陽当りの良いリビングのソファの、ど真ん中で微睡(まどろ)んでいる。熟睡してはいない。うっすらと片目を開け、リビングの入口に立つ一輝を見つめている。
いや、観察しているのだった。
一輝は、この猫と相性が悪い。
元々、この猫は氷河が拾ってきたものであった。
氷河はベランダにいた、とほざいたが、この部屋は17階の、隣の部屋とベランダは完全に独立しているマンションだ。鳩や隼が舞い込むのならまだしも猫などが、絶対に迷い込むわけが無いのだ。
だが、氷河が嘘をつく理由がないのも、また事実であった。
このマンションは賃貸だがペットは飼って良いのだと、氷河は賃貸契約書をめくりながら、そう口にしている。
ならば、氷河が一輝に遠慮などする訳がないのだ。
――まったく、何なのだこの猫は。
一輝は冷蔵庫からビールを取り出し、猫の真横に腰を下ろした。
猫は縄張り意識が強い生き物だが、自分に好意を抱いていない人間が間近に座れば、逃げるものだ。
それを、この猫は上目遣いに一輝を見つめながら、微動だにしない。
――この、猫めがッ!
一輝は腕を伸ばし、猫を捕まえようとし、その腕が空を切ったのに、唇を歪めた。
別に、猫を捕まえようと思ったわけではなかった。
始めてこの猫と出会った時の衝撃を、一輝は忘れたことがなかった。
その日、一輝は出先から帰り、マンションのドアを開いた。
扉を開いたのと、氷河の珍妙な叫び声を聞いたのが、同時だった。
叫び声を放ち、廊下に出てきた氷河の姿に、一輝は目を見張った。
氷河が全裸だったからだ。
ずぶ濡れの氷河は、天敵一輝の帰宅にも気づかない程、取り乱していた。
闘えば一輝には負け続けてはいるが、氷河も聖闘士であった。
それも、聖域では黄金聖闘士と闘い抜き、ポセイドンの海底神殿では海闘士(マリーナ)と、冥界では冥闘士(スペクター)とも闘い抜いた男であった。
その氷河が応戦の気配も見せず、何者かに追い立てられたかのように廊下に踊りててきたというのは、只事ではなかった。
一輝は氷河を跨ぎ、浴室を覗いてみた。
そこにいたのが、この猫だった。
泥水に飛び込んだような色合いの猫が、一輝を見つめていた。
一輝は猫と、珍しく入浴剤の投入されている湯船を見比べ、風呂に入ることにした。
たかが猫一匹、何を恐れるのだと思いながら、一輝は湯を浴び、浴槽に浸った。
その間、猫は椅子に座ったまま、微動だにしなかった。
一輝は浴槽に浸り、湯で顔を洗った。
その時、浴槽に顔だけを出した氷河が、椅子から微動だにしない猫を指さし叫んだのだ。
――バカッ、一輝ッ…ソレは猫の汚れだ、と。
考えてみれば、吝嗇家の氷河が、来客でもないのに入浴剤など使うわけが無いのだ。
外出から帰り、汗を流すつもりの入浴で、猫の汚れを全身に浴びてしまったことに一輝は肚を立てた。
捕まえて、ベランダから放り出そうとした一輝の腕から掻い潜り続けた猫であった。
あまりの猫の素早さに、一輝は光速の拳を繰り出し、それでも、この猫を捉えることが出来なかった。
思いつきのまま伸ばした腕が、猫に触れられるとは思ってはいない。
だが、ソファのど真ん中から、忌々しい猫を退かすことはできた。
一輝はプルトップを開け、ビールを喉に流し込んだ。
猫は少し離れた場所で一輝を見つめていた。
――羨ましかろう。
一輝は猫に向かい、ビールの缶を掲げてみせた。
どんなに悪賢い猫でも、ビールのプルトップを、自分で切ることは出来ない。第一、この美味いアルコールを、猫は飲むことができぬのだと、一輝は猫の前でビールの缶を振ってみせた。
「どうだ、猫め、欲しかろうが?」
一輝は猫の口元にビールを近づけた。
その時、猫の手が動いた。
目にも留まらぬスピードでビールの缶をはたき落とされ、一輝は目を見張った。
目を見張りながら、一輝は見た。
一輝から缶をはたき落とした猫が、ビールの着地点目指して飛んだのを。
「ゲッ」
一輝は目の前でビールを被った猫を見詰めた。
「あッ、キサマッ!」
一輝は腰を浮かせた。カーペットや床を汚すと、氷河に何をいわれるか解らないからだ。
「何を騒いでいる? 一輝」
寝不足らしい氷河がドアを開けたのを目にし、一輝の動きが凍り付いた。
「あっ、お前、猫に何をしているんだ?」
ビールにまみれた猫に氷河は慌てた。
猫は懸命に、自分に降り掛かっビールを舐め続けている。
そこに、騒ぎを聞きつけた氷河が顔を出したのだ。
「続く」