来年の桜は無理だろうとご自分でおっしゃった夫の3番目の兄が亡くなりました。残った4兄弟の家族が会津から、横浜から、東京から、西宮に走りました。
諏訪湖を越え、岡谷を越え、恵那峡を越えて初めて名神高速を走りました。家の軽もがんばったものです。工事渋滞のためか、琵琶湖は見ることができませんでした。
西宮の斎場は「火蛍の墓」の舞台になった場所だとか、大震災のときの様子を家族からまじかに聞くこともできました。兄弟の子どもたちは毎夏会津へ集合し、会津のおいしいもので過ごしたこともあり、みな大きく、たくましくなり、何かと助けてもらいました。若い世代が助け合っていくのを見るのがこれからの楽しみとなりそうです。
往きの諏訪湖は藤棚の日よけから眺め、息抜きするほどの広がりがありました。帰りは真夜中の明かりの中に黒々と広がり、カエルの声が聞こえました。
1,000キロ、19時間の行程でした。
諏訪湖を越え、岡谷を越え、恵那峡を越えて初めて名神高速を走りました。家の軽もがんばったものです。工事渋滞のためか、琵琶湖は見ることができませんでした。
西宮の斎場は「火蛍の墓」の舞台になった場所だとか、大震災のときの様子を家族からまじかに聞くこともできました。兄弟の子どもたちは毎夏会津へ集合し、会津のおいしいもので過ごしたこともあり、みな大きく、たくましくなり、何かと助けてもらいました。若い世代が助け合っていくのを見るのがこれからの楽しみとなりそうです。
往きの諏訪湖は藤棚の日よけから眺め、息抜きするほどの広がりがありました。帰りは真夜中の明かりの中に黒々と広がり、カエルの声が聞こえました。
1,000キロ、19時間の行程でした。