モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ウメの花② 紅梅の花

2009-02-05 10:05:08 | その他のハーブ

昨日の白梅に続き、今日は紅 梅を愛でていただきたい。
散歩コースにある野田清水公園では、白梅よりも紅梅の方が咲いていて、2分咲きぐらいになっていた。しかも咲き始めた紅梅の種類も多い。

ウメの場合は、 「積算気温」という毎日の暖かさの積み重ねで咲く花のようであり、暖冬だと早めに咲くという。「積算気温」は、飲んでいて聞いていたので思い出せなかったが、小松菜も累積の温度がある一定値に達すると出荷できるという話を聞いたことがある。

それにしても、肌がピリッとくる冷気の中に漂う梅の香りは、格別なワクワク感がある。
サクラには香りがないが、代わって酒気を発散させるのでこれもなかなか楽しい。

(写真1)紅一重しべが長い「寒紅梅(カンコウバイ)」


(写真2)紅一重中輪「寒紅しだれ」


(写真3)ピンク八重咲き「シダレ梅」


(写真4)淡い紅一重中輪咲き「養老枝垂れ(ようろうしだれ)」


梅の歴史パート2
白梅は奈良時代8世紀中頃に中国から渡来したといわれるが、紅梅が日本の記録に残るようになったのは平安時代になってからであり、10世紀ごろには珍しさから紅梅が好まれるようになる。
清少納言作といわれる枕草子には、「木の花はこきもうすきも紅梅」(枕草子、木の花は)とかかれておりこれが裏づけとなる。

さて、植物学的には、ウメもサクラも同じバラ科サクラ属に属する親戚のようなもので、花の姿かたちもよく似るが、梅は、当時の先進国中国から律令制度などの政治・経済・文化とともに輸入されたメイドイン中国であるのに対して、日本原産があるサクラは奈良、平安時代と時を経るに従い日本の象徴としての或いは日本人の心のメンタリティーとしての位置が変わっていく。

わかりやすく言えば、奈良時代までは花といえばウメだったが平安時代以降は桜が花の代表となる。その理由は、国風運動といわれる日本のナショナリズムの勃興であり、裏返すと先進国中国コンプレックスでもある。この病に侵されたのは為政者階層であり加担する文化人でもあったようだ。

象徴的な出来事としてよく言われるのは、村上天皇の960年に紫宸殿(ししんでん)の前庭に植えられたウメの木が山サクラにとって代わられたことである。その前は「右近の橘(タチバナ)」「左近の梅」であったから梅を桜に取り替えたわけがあるはずだ。
多少脚注を入れる必要があるが、天皇の私的な生活は清涼殿だが、紫宸殿は公的な意味合いが強いので余計にわけがあることになる。

そのわけだが、国粋思想の台頭でまとめることが出来そうだが菅原道真が深く関わっている。遣唐使の派遣が菅原道真の立案で894年に停止された。しかし彼は政治の中枢からはずされ大宰府に左遷された(901年)。これ以降京には不可解な出来事が起き930年には清涼殿が落雷で焼失するなど道真の呪いといううわさが蔓延し、この霊をおさめるために天神として祭ることになり947年に北野に天満宮が建立された。

ということは、単純には、菅原道真が愛でた中国原産のウメが為政者階層から嫌われ、桜にシフトし、このことでこれからの方向を明示したのだろう。嫌ったのはウメではなく中国と菅原道真であることは指摘するまでもない。

しかし、天神様となった菅原道真は、その神社の境内には白梅が植えられ梅の名所として人々をひきつけていくことになり、貴族階級の思惑とは異なり庶民にはウメの美しさが浸透していくことになる。

さらに、江戸時代になって庶民の間に起こった園芸ブームでは、庭木だけでなく盆栽・鉢植えに至るまで観賞用植物としての地位を築き品種改良も進んだ。我国最初の園芸書である水野元勝著『花壇網目』(1681年)には52種が記載されており、いまでは300品種以上があるという。

こんな屈折した歴史がある梅だが、ここにいたって中国から来た外来種ということが気にならなくなり日本の春を桜とともに代表する花であることは間違いない。素直にその美しさと香りをめでたいものだ。

振り返ってみると明治維新にしろ大化の改新にしろ先進国のものの考え方を学び・取りいれ・改良して・自前のものにしてきた。この外部からエネルギーとパッションを取り入れてきたから今日があると思う。ナショナリズムに固執すると謙虚に学ぶという姿勢がなくなるのでろくなことがなさそうだ。


ウメ(Japanese apricot)
・バラ科サクラ属スモモ亜属の落葉高木。スモモ亜属には他にスモモ・アンズがはいる。
・学名は、Prunus mume Sieb.et Zucc.で、シーボルトが命名。英名は、Japanese apricot,Japanese flowering apricot。
・古語では、ウメのことをムメと呼んだ。
・原産地は中国長江流域で、日本には8世紀半ばに渡来。
・開花期は2月。花が咲きその後に葉がつく。

命名者はシーボルト(Siebold, Philipp Franz (Balthasar) von、1796-1866)とその盟友ズッカリーニ(Zuccarini, Joseph Gerhard 1797-1848)。


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