いつか「ザクロ」を書いてみたいと思っていたが、日本料理の「ザクロ」という店に行きやっと書くチャンスにめぐり合った。
(写真)たくさんの花がついたザクロの花木
「ザクロ(石榴)」伝播の謎
「ザクロ」は、イランからヒマラヤの乾燥した石の多い荒れ地が原産で、ブドウと同じぐらいに最も古い果実であり、その伝播にはシルクロードのロマンの香りがする。
<シルクロードに関心のある方にお奨めのサイト>
憧れのシルクロード ~熱き想いの旅2万キロ~
「ザクロ」は、シルクロードを通じて東西の社会に流通していったのだろう。と思っていたが、相当に古い果樹であり、鳥が運んだこぼれダネから最初に広がっていったというのが実際的なようだ。
というのは時代考証もさることながら、ラクダ一頭が運べる荷物は270-300kg程度のようで、炎天地を長時間かけまた山賊などの襲撃というリスクを含めて収益を上げるには、高価なものを運ばないとコストを回収できないという現実がある。
ドウ・カンドルの『栽培植物の起源』では、コカーサスまでは鳥が運んだ自生種のようであり、その西方地中海沿岸では栽培品種であり、果実だけでなく多目的に利用がされたので人が育て運んだようでもあり、シルクロードの最西端は利用されたのだろう。
そして「ザクロ」は、ラクダ隊商の旅の渇きを癒す貴重な果実でもあったのだろう。
「ザクロ」は、果肉は食用として、果汁はこの時代の宝物“銅の鏡”を磨く液剤、果皮は染料、樹皮は寄生虫駆除の薬としても使われていたようなので、イランからの西側では栽培植物として発展したが、東側の最端日本では早い時期から観賞用の花木として江戸期からは盆栽になり食されることはあまりないようだ。
この日本へのルートは、中国経由で伝播したようだが年代が良くわかっていない。
卑弥呼の時代に既に日本に入っていたという説もあるが、記録に登場するのは『本草和名』(918年頃、醍醐天皇の侍医・深根輔仁編纂)に“安石榴和名佐久呂”として初めて現れる。
中国に伝播したのは、紀元前二世紀の前漢時代の外交官で匈奴包囲網を築くためにカスピ海近辺に住んでいた大月氏に派遣された張騫(?-紀元前114年)が西域の安石国(サマルカンド)からもたらしたといわれ「安石榴」と呼ばれた。
しかしこれも伝説かもわからない。
出発のときに100人ぐらいいた一行が戻りえたのは2人ということと、「ザクロ」が中国の文献に登場するのは三世紀以降のようであり時期が確定されない。
ただ、張騫が旅した西域で四川の植物(竹)と布を発見し、出所を確認するとインドの商人が流通させており、中国、ビルマ、インド経由で西域との交流が既に出来ていたようなので、逆のルートで入ってきた可能性がある。
卑弥呼の時代(175?-248年)に日本に入ってきてもおかしくはなさそうだ。
(写真)ざくろの花
植物としての「ザクロ」
「ザクロ」の花は、花弁が6枚、萼も6枚で星型を形どる。この6枚づつの花は数少なくミソハギ科の「サルスベリ」など少数しかない。
(ついでに、「ミッショーがアメリカに持って来た植物(サルスベリ)の謎解き」)
果実も変わっている。
果実の皮は硬くその頭部には萼片が小さく球になって残り、熟すると紅色に染まり皮が炸裂し、中から薄紅色の種子がゼリー状のようなものに包まれて現れる。
しゃぶると甘酸っぱく果汁があふれる。
ザクロ科には一属しかなく、そのザクロ属には二つの品種しかないというから特異性が多く似た植物がないという稀有な植物だ。
鬼子母神伝説と子供たちの未来
このザクロの炸裂した状態が人肉に似ているところから、“鬼子母神伝説”が出来たのだろう。
人肉を食らう鬼子母神がブッタに帰依し子供を食べる代わりにザクロを食べ、世の子供を守る神、安産の神、子宝を授ける神となったという話だが、鬼子母神を祭る寺院の境内には「ザクロ」が必ずといってよいほど植えられている。
植物的には珍種であり忘れられている存在のような気もするが、子供を保護する神がついている「ザクロ」は、少子高齢化社会でもっと脚光を浴びても良さそうに思うがどうだろうか?
いまの社会は、次世代の継承者であり創造者でもある子供達のことを忘れた危ない社会になりつつあるようだ?
ということを考えると、今度の衆議院選挙では、1.5流の日本にした責任を霞ヶ関・政権与党にとってもらい、投じる一票は、若者が活躍できる機会と場を創れる施策を掲げる非政権与党に投じようと思う。
1.5流の国家になったために目先の問題も多々あるが、我慢することは我慢し、未来の納税者を増やし活躍できる場を創出する施策が重要だと思う。
企業も社会の一員としての自覚と責任を果してもらいたい。出来ないところは不買運動を起こして社会的制裁をしても良さそうだ。そのためには我々ではわかりにくいこともあるので、企業活動の評価を公平にする評価項目・尺度の開発と実施する機関が必要に思うが、利害関係があり手を上げるところがないだろうから、消費者・生活者サイドで作るのが良さそうだ。
自らを律することが出来ない霞が関の官僚・政権与党、企業には再学習の場と機会を与えるのが妥当だと思う。そして再学習してまっとうな社会の一員としてカムバックしてきて欲しい。そろそろ責任を取ってもらうことに踏み込んでも良さそうだ。
こんな嫌な時期でもあり、シルクロードの旅人を癒したであろう「ザクロ」には、私たちの未来の旅を癒すものとなって欲しいものだ。
(写真)ザクロの萼に包まれた果実のはじまり
ザクロ(石榴)
・ザクロ科ザクロ属の果実をつける落葉高木。ザクロ科にはザクロ属しかなく、ザクロ属は2種しかない。
・学名は、Punica granatum L.。英名は Pomegranate、和名はザクロ(石榴)。この和名は中国名の安石榴(ざくろ)から来ている。
・原産地は、イラン、アフガニスタン、西パキスタン、インド北西部を中心に東はヒマラヤ、西はバルカン半島。
・開花期は6月からで梅雨時に鮮やかな紅色の花を咲かせる。花弁は普通が6枚で、萼も6枚と珍しい。
・果実は9月から2月頃まで熟する。果皮は徐々に紅色に染まり熟すると裂開し中の淡い紅色の種子が露出する。
(写真)たくさんの花がついたザクロの花木
「ザクロ(石榴)」伝播の謎
「ザクロ」は、イランからヒマラヤの乾燥した石の多い荒れ地が原産で、ブドウと同じぐらいに最も古い果実であり、その伝播にはシルクロードのロマンの香りがする。
<シルクロードに関心のある方にお奨めのサイト>
憧れのシルクロード ~熱き想いの旅2万キロ~
「ザクロ」は、シルクロードを通じて東西の社会に流通していったのだろう。と思っていたが、相当に古い果樹であり、鳥が運んだこぼれダネから最初に広がっていったというのが実際的なようだ。
というのは時代考証もさることながら、ラクダ一頭が運べる荷物は270-300kg程度のようで、炎天地を長時間かけまた山賊などの襲撃というリスクを含めて収益を上げるには、高価なものを運ばないとコストを回収できないという現実がある。
ドウ・カンドルの『栽培植物の起源』では、コカーサスまでは鳥が運んだ自生種のようであり、その西方地中海沿岸では栽培品種であり、果実だけでなく多目的に利用がされたので人が育て運んだようでもあり、シルクロードの最西端は利用されたのだろう。
そして「ザクロ」は、ラクダ隊商の旅の渇きを癒す貴重な果実でもあったのだろう。
「ザクロ」は、果肉は食用として、果汁はこの時代の宝物“銅の鏡”を磨く液剤、果皮は染料、樹皮は寄生虫駆除の薬としても使われていたようなので、イランからの西側では栽培植物として発展したが、東側の最端日本では早い時期から観賞用の花木として江戸期からは盆栽になり食されることはあまりないようだ。
この日本へのルートは、中国経由で伝播したようだが年代が良くわかっていない。
卑弥呼の時代に既に日本に入っていたという説もあるが、記録に登場するのは『本草和名』(918年頃、醍醐天皇の侍医・深根輔仁編纂)に“安石榴和名佐久呂”として初めて現れる。
中国に伝播したのは、紀元前二世紀の前漢時代の外交官で匈奴包囲網を築くためにカスピ海近辺に住んでいた大月氏に派遣された張騫(?-紀元前114年)が西域の安石国(サマルカンド)からもたらしたといわれ「安石榴」と呼ばれた。
しかしこれも伝説かもわからない。
出発のときに100人ぐらいいた一行が戻りえたのは2人ということと、「ザクロ」が中国の文献に登場するのは三世紀以降のようであり時期が確定されない。
ただ、張騫が旅した西域で四川の植物(竹)と布を発見し、出所を確認するとインドの商人が流通させており、中国、ビルマ、インド経由で西域との交流が既に出来ていたようなので、逆のルートで入ってきた可能性がある。
卑弥呼の時代(175?-248年)に日本に入ってきてもおかしくはなさそうだ。
(写真)ざくろの花
植物としての「ザクロ」
「ザクロ」の花は、花弁が6枚、萼も6枚で星型を形どる。この6枚づつの花は数少なくミソハギ科の「サルスベリ」など少数しかない。
(ついでに、「ミッショーがアメリカに持って来た植物(サルスベリ)の謎解き」)
果実も変わっている。
果実の皮は硬くその頭部には萼片が小さく球になって残り、熟すると紅色に染まり皮が炸裂し、中から薄紅色の種子がゼリー状のようなものに包まれて現れる。
しゃぶると甘酸っぱく果汁があふれる。
ザクロ科には一属しかなく、そのザクロ属には二つの品種しかないというから特異性が多く似た植物がないという稀有な植物だ。
鬼子母神伝説と子供たちの未来
このザクロの炸裂した状態が人肉に似ているところから、“鬼子母神伝説”が出来たのだろう。
人肉を食らう鬼子母神がブッタに帰依し子供を食べる代わりにザクロを食べ、世の子供を守る神、安産の神、子宝を授ける神となったという話だが、鬼子母神を祭る寺院の境内には「ザクロ」が必ずといってよいほど植えられている。
植物的には珍種であり忘れられている存在のような気もするが、子供を保護する神がついている「ザクロ」は、少子高齢化社会でもっと脚光を浴びても良さそうに思うがどうだろうか?
いまの社会は、次世代の継承者であり創造者でもある子供達のことを忘れた危ない社会になりつつあるようだ?
ということを考えると、今度の衆議院選挙では、1.5流の日本にした責任を霞ヶ関・政権与党にとってもらい、投じる一票は、若者が活躍できる機会と場を創れる施策を掲げる非政権与党に投じようと思う。
1.5流の国家になったために目先の問題も多々あるが、我慢することは我慢し、未来の納税者を増やし活躍できる場を創出する施策が重要だと思う。
企業も社会の一員としての自覚と責任を果してもらいたい。出来ないところは不買運動を起こして社会的制裁をしても良さそうだ。そのためには我々ではわかりにくいこともあるので、企業活動の評価を公平にする評価項目・尺度の開発と実施する機関が必要に思うが、利害関係があり手を上げるところがないだろうから、消費者・生活者サイドで作るのが良さそうだ。
自らを律することが出来ない霞が関の官僚・政権与党、企業には再学習の場と機会を与えるのが妥当だと思う。そして再学習してまっとうな社会の一員としてカムバックしてきて欲しい。そろそろ責任を取ってもらうことに踏み込んでも良さそうだ。
こんな嫌な時期でもあり、シルクロードの旅人を癒したであろう「ザクロ」には、私たちの未来の旅を癒すものとなって欲しいものだ。
(写真)ザクロの萼に包まれた果実のはじまり
ザクロ(石榴)
・ザクロ科ザクロ属の果実をつける落葉高木。ザクロ科にはザクロ属しかなく、ザクロ属は2種しかない。
・学名は、Punica granatum L.。英名は Pomegranate、和名はザクロ(石榴)。この和名は中国名の安石榴(ざくろ)から来ている。
・原産地は、イラン、アフガニスタン、西パキスタン、インド北西部を中心に東はヒマラヤ、西はバルカン半島。
・開花期は6月からで梅雨時に鮮やかな紅色の花を咲かせる。花弁は普通が6枚で、萼も6枚と珍しい。
・果実は9月から2月頃まで熟する。果皮は徐々に紅色に染まり熟すると裂開し中の淡い紅色の種子が露出する。
冬場の夕闇で見るざくろの行燈は甘ったるい郷愁があり、それで店の名前にしたのかなと思ったりもします。1792