タイのローカル会社で19年働いて(13年間はタイで、6年間は日本でリモート)もう、働くの終わりにしたい。
72歳まで、よく働いた。ゴルフも約11年頑張った。もう、良いのではないかと工場長と最終打ち合わせを行い、了承を得た。
既に、日本の商社には全て連絡を入れた。
私が辞めることで、大変なのが、我が社と顧客と商社であると思います。何せ、日本人が誰もいなくなり、技術関係を説明できる人もいなくなり・・・・
問題を対策できる人が居なくなる・・・
この19年間、いろんな問題にぶち当たり、対策をしてきました。電気的な分野、機械的な分野、電装品の分野含め・・・・
機械的な分野は、三洋時代の友人に相談しながら・・・彼のサポートが無かったら、私ではできなかった。優秀な男だった。
感謝してもしきれない。よく昔のことを鮮明に覚えて説明してくれた。
もちろん、我が社のタイ人も一生懸命評価してくれる。その評価があって、私が判定し結論づけられる。
楽しい、時間を過ごした19年間であった。
勿論、三洋時代は、技術案件をどん欲に究明しながら・・・頑張った。
タイのローカルの会社は、意外と厳しい・・・使えない人間は、去らなくてはならない。
それなりの評価を得て、19年間を過ごさせてもらった。
工場長曰く、私が日本に行ったらサポートしてくれるか? 私は即答でNoと言いました。全てのビジネスを断ち切りますと・・・
他の商社からは、日本の他の商社と契約するのでしょう?なんて、言う方もおりますが、縛られるのはもう、嫌です。
これから、のんびりと過ごしたい。
今後は年金だけの生活ですの、厳しくなりますが・・・・
いつまで、健康で居られるか分かりませんので・・・その時が来るまで、楽しく生きたいと思います。
居なくなって初めて分かる、存在でありたい・・・
タイには、来年もう一回来なければなりません。銀行に預けている預金を日本円にして持ち帰ります。
仕事はまだ出来ました、しかし、どこかで区切りを付けるには今かなと・・・・