セルフキャリアドッグは、珍しくも抽象度の高い目的を主眼に置いた政策だ。
「働くひとのためのキャリアデザイン」という名著。金井先生の著書に、
的を得た記述を見つけた。
長文の引用だが、、
まさに(5)の記述が、なぜセルフキャリアドッグを国策にしているのか、
を表していると思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キャリアとは
長期にわたることなので 、不確実でデザインのしようがない
なにが起こるかわからないので 、偶然に身を任せたほうがいい
いつも 、キャリアの問題を考えているのはうっとうしい
時代は 、働く個人にキャリアについて考えるように要請し始めている
節目のときだけは絶対に強く意識してデザインすべきものがキャリアだ
(中略)
結論を冒頭に述べると、本書にいたるまでのわたしの立場はこのなかの五番目に代表される。
もちろん、他の見解にもすべて一理あるし 、と両立可能だが 、強調点が違う 。
( 1 )二十年、三十年先のことはデザインできない。遠い先までの道筋は不確実だから、そのとおりだ。
だからこそ、数年に一回ぐらいは訪れる節目だけはデザインしたい。
就職という節目や、人生のまんなかの節目で、自分の生き方を自分で左右したいと思わないひとは、ずっと流されたままになってしまう 。
( 2 )節目さえデザインして、不確実ななかにも方向感覚をもっていれば、節目と節目の間は、多少とも流されてもいい。
流れに身を任せるなかで、掘り出し物(セレンディピティ )がいっぱいあるかもしれない。しかし、それは、
夢や方向感覚を節目のときに抱いてこそ 、みえてくることが多い 。
( 3 )長い目でみた自分の働き方を節目にチェックしないのも具合がわるいが、キャリアについて毎朝自問している日が長らく続いているひとも調子がよくない。人生いかに生きるべきかに近いような問いだから、重く深い問いで、いつも考えていると辛気臭いというのは、
そのとおりだ。だけど、節目にきても、キャリアの問題をうっとうしいですませては、埒(らち)があかない。
( 4 )右肩上がりの時代と違って、ホワイトカラーでさえ雇用が当たり前でなくなり、また、流動化が叫ばれている時代だ。キャリアの問題を自覚すべき時代になりつつあるという認識は正しい。それを時代背景だけのせいにすべきでないし、人事部も脅すようにこのレトリックを使うのはよろしくない 。どんなに時代がたいへんでも自分の人生は自分で切り拓くという前向きな姿勢が、キャリア・デザインの根っこにあるべきだと、わたしは思う 。
( 5 )わたしのこのような立場を一言でいうと、「せめて節目だと感じるときだけは、キャリアの問題を真剣に考えてデザインするようにしたい 」というものだ。そのような思考を助けるツール(道具)を提供するのが、本書でのわたしの目的だ。節目さえしっかりデザインすれば、あとは流されるのも、可能性の幅をかえって広げてくれるので、OKだろう。節目や(非連続的な )移行期にあたる英語はたくさんあるが、キャリアや生涯発達の文脈でよく使われるのは、トランジションという言葉だ。その意味では、節目だけはデザインすべきという本書の考えは、キャリア・トランジション論ともいうべき研究分野を基盤にもっている。わたし自身の研究も含め、キャリア・トランジションにまつわる諸研究が、本書における主たるアイデアの源泉となっている。
「働くひとのためのキャリアデザイン」という名著。金井先生の著書に、
的を得た記述を見つけた。
長文の引用だが、、
まさに(5)の記述が、なぜセルフキャリアドッグを国策にしているのか、
を表していると思う。
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キャリアとは
長期にわたることなので 、不確実でデザインのしようがない
なにが起こるかわからないので 、偶然に身を任せたほうがいい
いつも 、キャリアの問題を考えているのはうっとうしい
時代は 、働く個人にキャリアについて考えるように要請し始めている
節目のときだけは絶対に強く意識してデザインすべきものがキャリアだ
(中略)
結論を冒頭に述べると、本書にいたるまでのわたしの立場はこのなかの五番目に代表される。
もちろん、他の見解にもすべて一理あるし 、と両立可能だが 、強調点が違う 。
( 1 )二十年、三十年先のことはデザインできない。遠い先までの道筋は不確実だから、そのとおりだ。
だからこそ、数年に一回ぐらいは訪れる節目だけはデザインしたい。
就職という節目や、人生のまんなかの節目で、自分の生き方を自分で左右したいと思わないひとは、ずっと流されたままになってしまう 。
( 2 )節目さえデザインして、不確実ななかにも方向感覚をもっていれば、節目と節目の間は、多少とも流されてもいい。
流れに身を任せるなかで、掘り出し物(セレンディピティ )がいっぱいあるかもしれない。しかし、それは、
夢や方向感覚を節目のときに抱いてこそ 、みえてくることが多い 。
( 3 )長い目でみた自分の働き方を節目にチェックしないのも具合がわるいが、キャリアについて毎朝自問している日が長らく続いているひとも調子がよくない。人生いかに生きるべきかに近いような問いだから、重く深い問いで、いつも考えていると辛気臭いというのは、
そのとおりだ。だけど、節目にきても、キャリアの問題をうっとうしいですませては、埒(らち)があかない。
( 4 )右肩上がりの時代と違って、ホワイトカラーでさえ雇用が当たり前でなくなり、また、流動化が叫ばれている時代だ。キャリアの問題を自覚すべき時代になりつつあるという認識は正しい。それを時代背景だけのせいにすべきでないし、人事部も脅すようにこのレトリックを使うのはよろしくない 。どんなに時代がたいへんでも自分の人生は自分で切り拓くという前向きな姿勢が、キャリア・デザインの根っこにあるべきだと、わたしは思う 。
( 5 )わたしのこのような立場を一言でいうと、「せめて節目だと感じるときだけは、キャリアの問題を真剣に考えてデザインするようにしたい 」というものだ。そのような思考を助けるツール(道具)を提供するのが、本書でのわたしの目的だ。節目さえしっかりデザインすれば、あとは流されるのも、可能性の幅をかえって広げてくれるので、OKだろう。節目や(非連続的な )移行期にあたる英語はたくさんあるが、キャリアや生涯発達の文脈でよく使われるのは、トランジションという言葉だ。その意味では、節目だけはデザインすべきという本書の考えは、キャリア・トランジション論ともいうべき研究分野を基盤にもっている。わたし自身の研究も含め、キャリア・トランジションにまつわる諸研究が、本書における主たるアイデアの源泉となっている。