天津ドーナツ

みんなで力を合わせて、天津の日本語教育を楽しく、元気にしましょう。ご意見・ご要望は左下の「メッセージ」からどうぞ。

* 過ぎ去った日々・夏の断想・甲子園…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-08-22 20:53:29 | 日本語学習法
 炎天下、青空がうらめしい。
 昨日(17日)のこと、日陰をよって歩いていたら、電信柱から、蝉の声が降ってきた。
 ・・・ツウク ツク ツク ボウシー ツクツクボウシー ツクツクボウシーー・・・
 何と、秋の蝉ではないか。
 「うへっ このクソ暑いのに、気の早い・・・」
 連日の暑さに、地下の蝉も耐えきれなくなったか。
 
 8・6も終わった。8・9も、8・15も過ぎていった。
 昔、見渡す限りの焼け跡に真っ赤な花が咲いていた。
 あの夾竹桃の赤が、私の心に刃を立てたのだ。
 だから、あの花が、未だに好きになれないでいる。
 早く終われ!八月よ。
 鎮魂の夏よ。
 この悲しさは、オレの心には重すぎる。

 テレビを点けると、甲子園だ。
 小学生時代、私は阪神沿線の鳴尾村に住んでいた。
 今では西宮市に合併されているけどね。
 あの頃の夏休みは、やたらに楽しかったな。
 ラジオをつけると、当時の中等野球の歓声が響く。(今の高校野球)
 ヒットを打ったのか、長打らしいぞ。
 一呼吸置いて、500メートル程離れた甲子園球場から、生の歓声が風に乗って聞こえる。
 この時間差が、小学生には、不思議でならなかった。
 「なぜラジオの方が早いんだ!」

 何はともかく、昼飯もそこそこに、外野の入り口に向かう。
 グランドの歓声が一際高く、聞こえる。
 ギンラギンラ、陽ざしが白一色の客席を焦がしている。
 外野席は、小人・無料。
 「カチワリ!」
 「マイドー!」
 氷を割るオヤジの手の動きが待ちきれない。
 ソフトアイスのコーンの形に紙を巻き、鋭い目抜きで“カチ割った”氷は、光るガラス色。
 そいつを、引ったくるようにして、外野の階段を駆け昇る。
 グランド全体が揺れている。
 「チャンスだ」
 白い帽子の応援団が乱舞する。
 ・・・
 野球という奴は、どちらか一方を応援していないと、間延びした、退屈なスポーツになる。
 当然、どちらかを応援する。
 「ボクはコッチ」
 「じゃ オレはアッチ」
 私の流儀は、弱そうなチーム、前評判の低いチームと決めていた。
 特段、該当するチームでないときには、白い帽子のチームに決める。
 紺色だの黒っぽい帽子は、なんとなく大人びて、強そうに思えるんだ。
 時には、両校とも白い帽子の組み合わせもある。
 そのときは、投手の小さい方を撰ぶ。
 今と違って、赤だの空色だのという帽子は皆無だったな。

 空いた席の辺りで、鬼ごっこの仲間入りをする。
 かけずり回りながら、グランドの歓声が高まると、足を止める。
 指を二本出して叫ぶ。
 「ミッキ ミッキ」・・・(タンマのことだよ)
 
 時には夕暮れになっても勝負がつかぬことがある。
 腹が減ってくる。
 一人帰り、二人減る。
 「もう帰るか・・・」
 グッショリ濡れたシャツ、足取りは重い。
 あとにした球場から、追い掛けるように、どっと歓声が上がった。
 足を止めて、振り返る。
 「白いチームが勝ったのかな」
 
 そうだ、思い出した・・・
 毎年、準決勝か準々決勝の頃になると、決まって、秋を告げるイワシ雲が空に浮かんだっけ。
 不思議にそうなんだよ。
 ・・・
 今でもね

音のイメージ 4 「あ」その二…もとNHKアナウンサー塚越恒璽さんのブログから

2012-08-09 08:51:41 | 日本語学習法
月の初めは、音のイメージ 
まずは、声にだして、お読みください
ーーーーーーー
・「ああー ほらほら 笑った笑った 可愛いねえ」
 ・・・孫ばか爺・婆、無邪気だねえ・・・どっちが?
・「ああ いいよ おまえの好きにやっとくれ」
 ・・・鼻の下、ずいと伸ばした誰かさん。
・「ああそう あーそうかい そんなら勝手におしよ」
 ・・・オカミサン、立て膝・キセルで長火鉢・・・古いねえ!
・「ああ・あー あきあきしたぜ そんな話は、聞き飽きた」
 ・・・みんな政治が悪いんだ
・「あーああー またやっちゃたんだねえー この子は」!
 ・・・分かってるねえ。
・「あーのね おっさん わしゃ かーなわんよ」
 ・・・知ってるかな、この人。
・「あっ」と驚くタメゴロウ。
 ・・・これなら知ってるでしょ。
・「あ、あ、あ」と鳴く明けがラス。
 ・・・晋作さんは三味線つま弾き、唄いました。
 「三千世界のカラスを殺し、主と朝寝がしてみたい」
・「あーあーあー」と、夕焼け空を、泣いてカラスはねぐらに帰る。
・「あっ そうか そうだったんだ 俺天才だ」!
 ・・・駑馬(ドバ)は、時々目覚めるものです。
・「あっかんべー」
 ・・・後ろを向いてからが本音なのさ。
・「あっは あっは あっはっは」
 ・・・「腹から笑えば うわっはっは」となる。だから「ワハハの唄」なのです。
・「あーん あーん」・・・は正しい泣き方?
・「あん あん あーん」・・・は騙しの泣き方?
・「あ、あ、あっ あ・あ・ああああ ああん」は???
・「あっつっつ の あっつっつ」・・・今日も日照りだ温暖化。
・「あーうーあーうー・・・」
 ・・・昔は、律儀な政治家がいらっしゃった。
・「あっつあつ」のうちに食べてくださいよ この焼き芋」!
・「あっちっちっち まだ皮に火がついてるぜ こんちきしょう」
・「あっぷあっぷ あっぷっぷ」
 ・・・あいつ、泳ぎかた知らねえな。
・アッパッパ着たオカミサン、アタフタ駆けだし「アラヤダヨ」
・・・どうした、どうした・・・
・・・あのあの あのさ あれよほら あれまあ ワタシったら 
・「笑ろたら負けよ アップップ」
・「あのね あのね あのねのね」 
 ・・・あのねの「あ」は「唖」かなあ「阿」かな、それとも「亞」かね、ひょっとして「蛙」かも、どのみち「吾」じゃないよね。



・狛犬さん 「ア」、狛犬さん 「ン」
・仁王さまも向かって右は「阿」と口開き、左側は「吽」と、睨んでござる。

・五十音も「あ」で始まって「ん」で終わる。
   //////宇宙の全てがこの中にいるからなんだとさ//////

・幸田露伴に「音幻論」という一文がある。
  音は幻(まぼろし)。言うねえ!
  曰く。
 「言語が変遷する所を掴みたいのが音幻論の生ずる所以で、言語が金石に彫刻したもののようにそのまま永存するものではないのは、恰も幻相が時々刻々に変化遷移するものである如く、生きて動くものである。そこで音幻の二字を現出したのである。・・・(中略)・・・
 しかし幻と言うても法無く動くものではない。法といふものは物と倶生するもので、・・・・
物があって、そこに法が存し、法と物と倶生のものであるからして、倶生の法則につきて、先づ観察を尽くしたいのが本意である。」

             ・・・・・今日はこれまで・・・・・・

「届いて、はじめて“ことば”になる」…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-07-30 18:56:09 | 日本語学習法
このブログを始めたころ、“ことば”に対する基本的な考えとして、「届かなければ“ことば"でない!」と書いた。
・・・いくら熱弁をふるっても、音が届かなければ、聞こえない。
・・・いくら大声で怒鳴ったとしても、意味が分からなければ、伝わりはしない。
・・・いくら明晰な言語で語っても、聞き手が聞こうとしなければ、やはり伝わらない。
 相手に届かなければ、どんな名言・名説でも、空中に拡散する只の音なのだ。



 「いいや、おれはちゃんと言ったぞ」
 そう頑張ったって、聞こえなければ、詮無い話さ。
 「直接、きちんと話したじゃないか」
 そう談じ込んだって、
 「そうは受け取れなかった」
 と、言われれば、それまでなのさ。
 相手が「聞こえる」言葉で話すだけじゃあダメなんだ。
 相手が「聴いて」くれなくては、相手に届いたとは言えないね。
 もう一度、“ことば”を替えて言おう。
・・・「届いて、はじめて“ことば”になる」・・・
この一年、うんざりするほど、「子供じみた論争」を聞く度に、なさけなくなるんだよ。

 ◎「言った」というが「聞いていない」
  そもそも、「行った」のがウソかどうか。 
  「言いに行った」のだけれど「そうは言わなかった」のか。
  「言った」けれども「そうは聞こえなかった」のか。
  「聞こえた」けれど、「伝わらなかった」のか。
 ーーーーいいかい。どちらにしたって「伝わらなかった」のなら「言ったことにはならない」のだよーーー。
・ 東電は「停電などの状況下だったので、直接「言いに行った」というが、浪江町長は「知らない、聞いていない」という。
 「何時来たのか」
 「13日だ」
 「そんな記憶もないし、記録もない」
 「いいや確かに言いに行った」
 「じゃあ誰が来たのか」
 「持ち帰って精査する」
 ーーーあのね。精査とは、「事細かに事実関係をつぶさに調べる」ということなのだよ。「13日」だというからには、「誰が行った」かぐらいは、分かっての話じゃなかったのかね。   
 この話。
 「行った」「来てない」、「言った」「聞いていない」・・・それほどに、不確かなコミュニケーションでしかなかったということだけは確かなようだな。
 ことは、人の命に関わることだ。はっきりした決着を知りたいね。
 
 ◎ 清水社長は「全員撤退」とは言っていないという。頭の中にさえ無かったという。ならば・・・
 ・なんと言ったのか。
 ・具体的に、どんな“ことば”で言ったのか。
 ・相手に、その“ことば”は届いたのか。
 
 ・官邸側は、口を揃えて「撤退」と受け取って、飛んでもないことだと思い、首相はへりで飛んだ。
 ・あとになって、東電の報告書は、「あれが問題を大きくした」と、逆ねじを喰らわしている。
 ・それならば、どんな表現で、どのように言ったのかを明らかにするべきじゃあないかね。
 ーーー自己正当化をするのは、人間の弱さだからな。ーーー
 
 ◎「大きな音だ」とドジョウ首相がつぶやいた。「音」とは何かと民衆は怒った。
 ・「声」を「音」としか捕らえていなかった人間に、信頼を寄せることが出来るだろうか。
 その舌の乾かぬうちに、「私の責任で・・・」と原発を動かした。なにほどの手当も完了していないというのに。
 
 ・「つい口が滑った」と言うが、「ふと漏らした“ことば”は、人間の本性をかいま見せる」。
 ・「腹に思い」があるからこそ、舌のスキマから本音は滑り出すのだよ。
 「衣の下の鎧が、見てとれる」というのとおなじだよ。

 ーーー政治には、つくづく愛想をつかしているので、「もう、書くまい」と思ってはいるんだけどねえ。まったくーーー

「ワハハの唄」の盆踊り…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-07-19 08:11:27 | 顧問・アドバイザーから
先週のことだ。
 ーーー
 大田文化の森・運営協議会から、「ワハハの唄に踊りの振り付けが出来た。発表会をするので来て欲しい」と招きがあった。
 「文化の森の唄」を作ってくれとたのまれて、「ワハハの唄」の詩を私が作ったのは、かれこれ6・7年前にもなろうか。
 当時、協議会のメンバーだったクラウンレコードの作曲家・岡崎清吾先生の作曲で、ようやく昨年コーラス曲としてCDを完成させたところだ。
 完成に時間がかかったのは、私の病気の所為もあるが、少々歌詞がユニーク過ぎた為でもある。
 
 多目的ホールのある五階に上がると、懐かしい曲が聞こえてきた。
 歌詞は四季に別れていて、聞こえてきたのは、二番の“夏の祭り”だ。
 ♪♪
  ウッハハ ワッハハ ワッハワッハ ワッハハ
  文化の森から ワッハハ ワッハハ
   夏の広場は櫓に太鼓 
   粋な浴衣で ワッハハハ ワッハハ
  とうさんポッコリ 出腹で演歌
  かあさんドレスで シャンソン・ショウ
  ホールでカラオケ 広場にゃ提灯
   ワッハハ ワッハハ ワッハ ワッハ ワッハハ
   たまにゃあ 文化の森に おいでなさい
 
 [ソロ]「カ行で笑うは カラスにカエル
       カッカラ カカカー ケッケロ グールグ 
       クワーラ コワーラ ギャロギャロ グァグァ」♪♪
 
 ホールに入ると、40人ほどの地元の女性が、思い思いの浴衣を着て、練習をしている。
 輪の中心にで、振り付けの荒木先生が、手本を示しながら、優雅に踊る。
 爽やかな振り付けだ。ありがとうございます。
 
 友人の一人が近寄って来た。
 「なぜ、ワッハハ ワッハハと、初めから終わりまで、笑いまくるんですかね」
 「なぜって、いまの日本、どこを向いてもギスギスしていて、極端に笑い声が少なくなっていると思わないかね」
 「そうだね。自然災害、昏迷極わまる政治、世界に蔓延する金詰まり、児童の悪質ないじめ・・・“憤慨する”“悲しくなる”“落胆する”“諦める”“居たたまれなくなる”・・・確かに“笑い”どころじゃあないな」
 「だがねえ、考えてもみろよ。“笑う”という行為は、人間だけに許された“ことば”なんだぜ。人間だけが・・・」 
 「じゃ、アハハでもエヘヘでもいいのかな」
 「悪かないけど、やっぱり腹筋を動かして、腹から笑うことだよ。だから“アハハ”より“ワッハハ”がいいさ」
 「腹式呼吸に通づるってわけか」
 「呼吸というのは、吐く息が肝心だ。カンキ・イッソクって、座禅ではいうね。先ずしっかりと吐く。そうすれば、腹にあった“一物”だって、吐き飛ばせるよ。腹蔵無く笑いあう。そうすれば、人間関係の豊さにつながっていくのさ」
 「腹の底から笑うんだ」
 「そこから、人の幸せが始まる。良いまち作りも出来るのじゃないかね」
 「じゃボクも、7月27日には、唄って踊るとするか。綺麗な女の子の傍で・・・」
 
          ーーーーーーーーーー終わりーーーーーー



「掃除のおじさん」…一番大切なことを大切にしてから、技能や知識の話をしましょう

2012-07-10 19:50:39 | 顧問・アドバイザーから
※フェイス総研 代表取締役社長 小倉 広のメールからの転載です。



◆ 掃除のおじさん ◆

毎朝、ランニングをしている。6~8kmを走り終わり、家路に着く途中、私

はいつも麻布十番の網代公園脇を通る。すると、決まっておじさんとおば

さんが二人で一所懸命に掃除をしている場面に出くわす。



私は、深々と頭を下げずにはいられない。なぜならば、二人は一切の手抜

きをせず、誠心誠意、私たちの公園をきれいにしてくれているからだ。



あんなにゴミが散らかっていた公園には空き缶一つ落ちていない。そして、

黒土の上に白い砂がまかれた地面には、ほうきの目がきれいについている。

二人はトイレに水をまき、ぴかぴかに磨き上げる。そして、私の挨拶に気

づくと、二人も深々と頭を下げてくれる。



私は思う。彼らはなぜ、あそこまで誠心誠意を尽くせるのだろうか?と。





彼らを監視している上司はいない。おそらく、掃除後のチェックも行われ

てはいないだろう。掃除の徹底度が評価される成果主義の給与があるわけ

でもなさそうだ。つまり、彼らには強制の力も、報酬の力も働いていない。

しかし、彼らは、決して手を抜くこともなく、一所懸命に汗を流し続ける

のだ。それはなぜなのだろうか?



おそらく、それは彼らの道徳心だ。人様のお役に立ちたい。人様に喜ばれ

たい。その一心だ。誰も見ていなくても、お天道様が見ている。自分の良

心がそれを見ている。それが理由だろう。





もちろん、規則やルールがないわけではない。受け持ちのエリア。掃除を

する時間帯。使用する道具。最低限のルールはあるだろう。しかし、ルー

ルが彼らを突き動かしているのではない。ルールに従うだけであれば、彼

らはあそこまでていねいにやる必要はない。いくらでも手抜きをできるの

だから。



そう考えたときに、次の疑問がわいてきた。では、彼らが道徳心を持ち、

発揮するに至ったのは何故だろうか?と。学校教育のお陰か?両親の育て

方が良かったのか? 良き上司先輩に恵まれ、よき教育を受けたからか?

はたまた彼、彼女自身の持って生まれた天分なのだろうか?



それはわからない。先にあげたもののうちのいくつかが当てはまる。そん

なところだろう。





そう思ったときに、気がついた。彼らのように心を込めて仕事をする人が、

一人でも多くなったなら、間違いなく会社は良い会社になるだろうな、と。



では、会社において、先に挙げたような施策はどれだけ実施されているだ

ろうか?道徳心あるものの採用。道徳心を育てる企業内教育。道徳心を発

揮する上司の教育。そう考えたとき、多くの企業においては、どれも心許

ないものであることに気がついた。



一番大切だとわかっているのに、そこに投資がされていない。道徳心を育

てるのは企業の責任ではなく、学校の責任である。家庭の責任である。企

業はそこまではタッチする必要はない。そんな声が、人事部や経営者から

聞こえてきそうだ。



本当にそうだろうか? 私は思う。



継続的に高い業績をあげ続ける企業では、業務上の知識や技術、すなわち

スキル教育以上に人間教育を徹底している。即効性は低いかもしれないが、

時間がかかるかもしれないが、一番大切なことを一番大切にしているのだ。

大切なことを疎かにして、大切なことがかなうはずはない。





私は道徳心を高める人材育成を一社でも多くの企業に導入してほしいと思

う。もし、それがかなわないのであるならば、我々リーダーや経営者がそ

の背中で従業員に語るという育成を続けていくほかはないだろう。研修プ

ログラムやコンサルティングを通じて。さらには、背中で語るリーダー育

成を通じて、企業のお役に立ち、それがひいては国のお役に立てるよう頑

張っていきたい。そのためには、私自身が背中で語れる人間になることだ。

修行の道のりは長い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、日本語学校の夏期講習(学生)や週末コース(企業の方)のトレーニングをしています。

さまざまな年齢や立場の学習者を相手にしていて、やはり思うのは、「挨拶・返事・表情・態度」などの基本がきちんとできている人は、日本語の上達も早いです。



それは、「日本語」がその人自身を表すものだったり、周囲の人とのコミュニケーションのツールである以上、当たり前のことなのかもしれません。



どんな立派な道具・技術だって、それを使う人次第で結果(周囲の人の受け取り方)が違ってくるのは当たり前なのですから。