散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

紅葉狩り_こども自然公園

2017-11-19 20:47:37 | 散歩
日差しも出てきて少し暖かさを感じたので相鉄二俣川駅から歩いて20分ほどのこども自然公園(大池公園)へ散策しに行ってきました。

駅からまっすぐに進んで行けば目的地ですが、ちょっと寄り道して畠山重忠公遺烈碑。







左面には戸塚道、右面には大山道と刻まれている庚申塔と東岡津、北津岡、東保土ヶ谷と刻まれた道しるべ。


子供自然公園到着


入ってすぐ目の前に広がる大池。


紅葉にも濃淡がありました。


弁財天。

しばし、移動しつつ風景を撮影。









トンボも真っ赤。


階段を登り。


眺望を楽しむ。




この先の下った場所、斜面に沿ってバーベキュウー広場となっており漂う香り。
歳を取って来たのか、最近はこの匂いが苦手になっています。

バスに乗り、二俣川駅まで戻り、遅い昼食をとって帰路へ。

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横浜350年の歴史

2017-11-11 20:53:53 | 散歩
横浜開港資料館で開港場横浜の風景_350年の歴史を探るというテーマで展示が行われていたので本日は昼過ぎにのんびりと出発。

市営地下鉄線日本大通り駅で下車をして地下から地上に出ると隣接した横浜都市発展記念館では「みなとみらいの誕生」という企画展示が行われていたので寄り道。
展示をぐるりと見て1階で明治3年作成された横浜前図の復刻版と昭和11年発行の横浜市中区の職業別明細図、歴史散歩ガイドマップを購入。

記念館の裏手には歴史的遺物が設置されていたので撮影。



同敷地の角には居留地消防隊の地下貯水槽の遺跡。


目的の横浜開港資料館に向かって海の方に向かって行く途中、「近代のパン発祥の地」と胃いう新しい記念碑がありました。


ここから横浜市認定歴史的建造物の撮影会スタート。

横浜海岸教会

昭和8年(1933)建設。日本最古のプロテスタント教会につながる由緒ある教会堂。

横浜開港資料旧館(旧横浜英国総領事館)

昭和6年(1931)建築
玉楠の木は日米和親条約が結ばれた場所の絵に描かれていて今のは2代目。

目的の横浜場開港の原風景の企画展示を見学して展示のガイド本(冊子)を購入。

象の鼻パークでしばし撮影。

横浜の三塔。

神奈川県庁舎のキングの塔、横浜税関のクイーンの塔、かなり見えにくいですが横浜開港記念館のジャックの塔。
3つ合わせて横浜の三塔。
象の鼻パークができる前はこの三塔が一度に見える場所は赤煉瓦パークと大桟橋くらいでしたが、ここからも見えるようになりました。
ただ、ビルが乱立する現在、横浜開港記念館がいつか見えなくなりそうで心配。

赤レンガ倉庫

1号倉庫は大正2年(1913)、2号倉庫は明治44年(1911)に建築。

横浜税関本館庁舎

旧建物は昭和9年(1934)建設で平成15年(2003)に改修および増築。
塔はクイーンの愛称で呼ばれています。

万国橋からのみなとみらいのビル群。

歴史的建造物ではないです。
ここから見えるビル群はみなとみらい地区を代表するビル。

横浜第2合同庁舎(旧生糸検査所)

平成5年(1993)建て替えで旧建物は大正15年(1926)建設。
耐震耐久性の問題から解体され、極力創建当時の状態に復元。

旧富士銀行横浜支店(元安田銀行横浜支店)

昭和4年(1929)建築で昭和28年(1953)増築

旧横浜銀行本店別館(元第一銀行横浜支店)

昭和4年(1929)年建設。バルコニー部分を平成7年(1995)に現在の場所に曳き家。

旧横浜正金銀行本店本館(神奈川県立歴史博物館)

明治37年(1963)建築。
国重要文化財。

馬車道を通り抜けてくと下岡蓮杖顕彰碑

日本写真の開祖、下岡蓮杖を顕彰する碑。

他にも横浜市中区には日本初のアイスクリームやらボーリング、テニス、石鹸などいろいろな碑があります。

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写真散歩にはたまに高倍率が必要です。

2017-11-05 20:30:44 | 散歩
ミラーレス機を買ったので、新たな気持ちで散歩写真を撮っていますが、持っているレンズは14-42mmと40-150mmの2本。
大体は14-42mmで十分なんですが、たまに高倍率のレンズが欲しいことも。

Powershot G3Xは24-600mmでここぞの時に威力を発揮していたものです。

気ままに風景を撮影しながら散策していたところ、池のそばで高倍率ズームレンズを三脚で固定して撮影のタイミング待ちの集団発見。
何を狙っているのかと思い、池を見ると池の中から伸びる枝の先にカワセミ。

目一杯の150mmではここまで。

画素数の関係で等倍で切り取ってもこの程度。


冬のボーナスでマクロレンズを買おうと思っていましたが、150-300mmレンズを検討しようかと思いました。

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本日は地図のみ

2017-11-04 23:24:01 | 散歩
定期通院で昨日の疲れを物ともせずにしっかりと起きて病院へ。
そのあとはノープランでしたが、水槽の汚れが気になり、ドジョウの餌や水質維持のバクテリアがなかったのでホームセンターに買いに行こうと思いついでに散策。


保土ヶ谷公園のイチョウ並木の黄葉を楽しみにしていたんですが、まだちょっと早かったようです。
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十二支の石が置かれた緑道

2017-10-28 17:15:36 | 散歩
このところ土日が雨で思うように散歩もできず。
時折小雨の天気予報だったんで、雑誌で見かけた散策コースを実際に歩いてみようと思い出発。

スタートは横浜市営地下鉄グリーンラインの北山田駅。

まずは駅の近くにある山田富士公園に寄り、山田富士登頂。


単体の高さとしては川和富士に負けていますが、小山の上に作られていますのでそれなりの眺望。

十二支の石が置かれた緑道の名前は「ふじやとのみち」


緑道は周回コースになっているので反時計回りに散策。

ちょうど雨が降って来たので、東屋で休憩。

緑道が続いているかと思っていたんですが、住宅街を歩く場所もありました。

お寺を見かけたのでとりあえず撮影。

山田神社。
元村社で大正4年に、神饌幣帛料指定神社になったそうです。
本殿はこの鳥居から階段を登り、山の斜面に沿って4つほどの鳥居をくぐった先にありました。


本殿は横浜市歴史的建造物認定。神仏混淆の名残で境内には梵鐘がありました。



境内を見回すと白い小さめの鳥居。
近づいて見ると下へと続く、石段。
登って来た参道をもどるのも芸がないので方向的には問題ないので取り敢えず行って見ることにしたました。
途中、神池と書かれてプレートがあり、それて下っていく小道があったので降りてみましたが、鉄柵で囲まれた池らしきものを見かけましたが、倒木があり進めなかったので離れた場所から撮影。


元の道に戻って下っていくと民家脇に鳥居。
個人宅のお稲荷さんかと思いましたが、鳥居を見ると堀之内稲荷と書かれ、奥を見ると祠に庚申塔。


当初の想定コースから外れたので、googleMapで「のちめ不動尊」を探して到着。

先ほどの山田神社は参道入口から本殿までかなり距離がありましたが、こちらは中原街道から目の前の石段を登ってすぐ。



少し戻って昼食をとって緑道散策へ復帰。
20分ほど歩いてスタート地点の山田富士公園でゴール。
本日の散策は終了。

本日のテーマ、十二支の石ですが回って見つけた順番ですが以下通り。



十二支の石が置かれているはずなので12枚の画像があるはずが11枚。
一ケ所見逃してしまいしました〜!

うま、み、たつ、う。逆順で判りにくいですが問題なし。
とら、うし、ね、ゐ。抜けなしです。
とり、・・・。??
犬が抜けています。

子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥と覚えている順番に回れば気づいたかもとは思いますが・・・。
各石の上には棒を刺すような穴が空いていたので目印に何か刺されていれば見逃さなかったのに・・・。

再チャレンジする気もないので残念ですがこれはこれで置いとくとしましょう。

そして以下は散策で見つけた「秋」






本日のコース
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ルート:鎌倉-朝夷奈切通-鼻欠地蔵-金沢八景-金沢文庫

2017-10-09 13:11:56 | 散歩
昨日の散策ルート



何気に結構歩いてました。
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朝夷奈切り通しは変わりなく。

2017-10-08 17:08:06 | 散歩
三連休の真ん中。昨日は朝から雨が降りのち曇りで遠出をしなかったので、本日は散策。
神社仏閣は観光客で混雑していると考え、朝夷奈の切り通し散策。
JR横須賀線は鎌倉観光に向かう人で満員。大船からはおばあさんの集団が乗り込んで来て混雑具合に大騒ぎ。

駅前から金沢八景行きのバスに乗って、十二社神社前バス停で下車。
スタート時は満員だったバスも、杉本寺、浄明寺と過ぎるとかなりの人が降りて空席が目立つ状態。



バスを降りてすぐに、お地蔵さん。道路の反対側に渡って脇道に入り案内板通りに小道を進んでいくといつしか道は未舗装路になり古道の趣。


二股に分かれて右は農園、左が切り通し。昨日来の雨で流れ落ちる水の量も多く、歩く足元にも水が流れていました。


ホトトギスは季節ですのでわかりますが、ガクアジサイ。かなり季節外れな気がしますね。

道は緩やかに、途中少し急に登りになりながら進んで行くと土砂崩れの場所を抜けて鎌倉市と横浜市の境近くの壁に磨崖仏。
横浜市側から通って来ると見落としがちなポイント。
両脇の切り立った崖の間を抜け下ると右奥の登ったところに熊野神社。今回は体力温存でそのまま金沢八景方面へ。


道なりに下って行き、横浜横須賀道路の高架を潜って石仏・石塔群の先は朝比奈側出口。


環状2号線に出てすぐにはバスには乗らず、そのまま金沢八景方面へ。
先ほどの体力温存の目的は大道中学校バス停近くの名所を見るために歩くためです。

見た目は単純に地層が露頭しているだけに見えますが、江戸名所図会にも描かれている鼻欠地蔵。
描かれた時に鼻が欠けていた地蔵様ですが、長い年月でお地蔵さん自体の姿も崩れて来てしまっているようで残念。
絵に描かれているどの部分が残っているのかも判別しにくい状態ですね。

途中、由緒がありそうな、茅葺門を持ったお寺を見かけたので撮影。

そのまま、境内には立ち入らずに通り過ぎたのですが、「上行寺東遺跡復元整備地」の標柱を見掛けたので脇道に入りましたが、急な石段の先らしかったので断念。
こちらも江戸名所図会で紹介されていました。


泥牛庵。臨済宗 円覚寺派のお寺。


金沢八景駅を通り過ぎた場所にある瀬戸神社。

社伝によると源頼朝が伊豆三島明神を勧請したのが起源とされているそうです。

道を挟んで反対側に海に向かって伸びる弁天社。

こちらは頼朝夫人の北条政子が琵琶湖の竹生島から勧請したものと伝えられているそうです。

京急金沢八景駅から電車に乗って帰ろうと思ったんですが、どこかで食事をしてから帰ろうと思い周辺を彷徨きましたが見つけたラーメン屋が入りにく雰囲気があり、かといって他に何があるわけではなく、金沢文庫駅まで歩いて食事。
久しぶりにたっぷり歩いた気だるさを感じつつ帰路へ。
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久しぶりに散歩写真

2017-10-01 17:19:48 | 散歩
本日の散策コースは保土ケ谷区緑の軸。
全コースのうち、相鉄西谷駅から陣がした渓谷、西谷浄水場経由、たちばなの丘公園から相鉄上星川駅までのコース。
まずは西谷駅で本日のコースを確認。


帷子川に架かる学校橋を渡ります。


西谷中学校へ向かう坂道と石段の登ります。


上り坂の途中からの対岸の風景。


中学校を通り過ぎてしばらく行くと蔦に覆われた野菜の無人販売所がありました。


分かれ道でどちらが緑の軸か悩んだタイミングで設置されている緑の軸の標柱。



細い道を進みながら、左手民家に気になる石段。
なんかありそうな感じがして石段を登るとお地蔵さん。
松月庵。
この庵に人が住んだ歴代の人を供養する石碑がありましたが、来歴は不明。
帰宅後、「保土ケ谷区 川島町 松月庵」で検索すると曹洞宗 隋流院の縁起に松月庵の文字がありましたが、ここを指すかはよくわかりません。


坂を下り信号の右手にm公園があり、ここは元は川島小学校の跡地。
保育園やグランドになっています。
川島小学校は先ほどの信号を左に登った先にあります。



敷地内に入ると見所マップがあり、先ほどの松月庵も記載されていました。
見所を確認すると今回の緑の軸コース上にはあまりないようです。残念。
年内にこの見所マップを参考にして散策しようと決定。


公園で一休みした後に杉山稲荷社と杉山神社へ。
先ほどの見所マップの解説によると杉山神社は「天文年間(1532-1555)、上杉朝定との戦の時、北条氏康がこの地に陣を張った夜、・・・。」と書かれていました。



神社の境内を抜けて石段を降り、道なりに進み環状2号線の高架に突き当たる前に右手民家脇に道に曲がりそのまま進むと陣ヶ下渓谷の入り口へ。
陣の下ですので、先ほどの杉山神社の北条氏康が張った陣から来ているかと思えば、さにあらずこちらは「陣ケ下の地名は、源頼朝の家臣である和田義盛がこの近辺に狩のための陣を張ったことに由来」という説があるようです。
和田町や釜台町の町名の由来が源頼朝と和田義盛の狩りをしに来た時のエピソードからなっているなどあまり知られていませんがここら辺は歴史上の人物が色々と行き来していたんですね。
渓谷ですので、渓流へ降りてちょっと撮影。
ドレスを着たモデルさんを撮影しているおじさんがいたので早々に退却。


環状2号線の上を通る橋を渡って反対側の山へ。




次に目指すは西谷浄水場。横浜水道記念館があります。
横浜の水道の歴史を勉強するならば、ここです。
何度か訪れており、このブログでも何度か書いていますので今回は画像のみで説明は省略。


浄水場から西谷浄水場の信号まで戻り、消防署を右手に見る尾根道へ。
しばらく道なりに歩いて行き、マンションが見えてきた交差点からたちばなの丘公園へ入る緑の軸の道はちょっと見落としがちな道。
一応、舗装はされていますが雑草が足元に伸びてきており道だと知らなければちょっと遠慮したい道。


しばらく歩くと、3方向に分かれる地点へ。
左二つはたちばなの丘公園内への道。今回はちょっと寄り道して外周を進む右の小道へ。


しばらく獣道から民家脇の道に出て下り切り突き当たりを左に曲がると市沢・追分の谷戸。
ゲンジボタルの自生地だそうで、手つかずの自然が残る場所だそうです。


左手に山を見ながら進んで行くと階段状の上り坂。
多分、上の方へ行けば、たちばなの丘公園へ通じているだろうと(はず)と考えそのまま道なりに。
登り切り突き当たったところで左に行き、予定通りたちばなの丘公園入り口。
ポツンと残されたコンクリート塀。この塀は日本カーリットという火薬工場の外塀の跡。
たちばなの丘公園は日本カーリットの跡地の一部を利用して整備された公園です。





土塁にように盛り土がされ、所々に作業を行なっていた小部屋の当時の遺構が残されています。


たちばなの丘公園を出て、道なりに降って突き当たったところで左へ。
山を左手に見ながら右手は谷戸。
道から脇に入って仏向矢シ塚公園へ。
水辺にはアメンボ。目を凝らして見るとそこにはエビ。
アメリカザリガニではないエビです。飼育することはできないので採取せずに見るだけで帰路へ。


ふれあいせせらぎの道。
下草狩りなど手を入れられていないようで、雑草が伸び放題。
中の道を歩く気にならず、歩道から撮影。


いよいよ最終コース。
薬師堂と石碑。指差しをしている道しるべはかなりレアな気がしますがどうなんでしょうか?


信号手前、神社の石段下にある馬頭観音。


ゴールの上星川駅。
駅前にあったマンションがなくなり駐車場になっていて、ほぼ満車であったのは驚き。
相鉄瓦版というフリーペーパーに上星川駅は1日平均2万5千人の乗降客があると記載されていたので当たり前か?

本日のコース
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散歩をしながら昆虫採集。

2017-09-09 16:39:43 | 散歩
床屋の待ち時間を利用して散策。

昆虫採集と言っても、撮影して画像として採集。

何気なく通り過ぎようとした葉っぱの上にも虫がいっぱい。


こちらはよく見かけるヤマトシジミ。


ショウリョウバッタ


ハエトリグモ。
保護色のように姿を隠しています。


アカボシゴマダラ


カメムシ。
背中の真ん中の黄色いハートマークがチャームポイント。


ハムシの仲間。


蝶の仲間のどれか


アブ


ハエトリグモ


カマキリ

じっくり見ると身近に虫ってかなりいますね。
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商店街巡り

2017-07-30 19:25:56 | 散歩
本日は藤棚1番街商店街。
保土ヶ谷宿から野毛へ抜ける旧道、保土ヶ谷道沿にある商店街。


保土ヶ谷駅の方から、久保町ニコニコ商店会、サンモール西横浜・藤棚商店会・藤棚一番街・西前銀座商店街と5つの商店街が連なっています。


商店街に入り口にあるタバコ屋さん兼文具屋さん。


日曜日ということもあり、閉まっているお店が多くちょっと残念。


路地の先の崖上に見えた1本の樹木。近くに寄って見たい気は十分ですがどうやって行けばいいのやら。


商店街を抜ける少し手前右手に、藤棚日限地蔵尊入り口。


日曜日で商店が閉まっており見ものがなかったのでちょいと寄り道。


不動尊手前の角地に小さな映画館。


願成寺へ


縁起によれば、大正十二年の九月一日の関東大震災の直後、焼け野原となった藤棚一丁目角に残された延命地蔵尊石像と、戸部岩亀横丁焼跡の子育地蔵尊石像を願成寺に奉安し、それに古く徳川時代から当寺境内にあった日限地蔵尊石像を加えて、ご三体を奉安合祀して今日に至っているそうです。


寺の南側にある井戸が、行基の飲んだ清水の湧き出した跡と伝え、延命水と呼ばれています。と書かれていたので境内へ。


境内は石段の先。


門をくぐってすぐ右手にあるお墓は現在の平沼橋を埋め立てて開拓した平沼一族の墓所。


そして、延命水の井戸。


先ほどの願成寺とその周辺に書かれていた「くらやみ坂」へ


ひらがなで「くらやみ」坂と書かれているのは名前の由来が諸説あり、「鞍止み」「暗闇」となっているからのようです。
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