散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

東海道五十三次 大磯宿-国府津宿 その二

2008-03-02 18:44:33 | 旧東海道
昼食をとり一息ついた後は行程の残り半分です。
川匂神社の交差点手前で道は国道1号と旧道に分かれますので左手旧道へ。
分かれてすぐの三角地帯に二宮の一里塚があります。
国道を1号線を整備した時に大きく山を切り崩したのでしょう、面影はありません。
住宅街の中のゆるやかな坂道をのぼっていくと民家の庭先に立て看板と標柱があります。
文字を読んで見ると松屋本陣の跡
大磯宿と小田原宿の距離が16キロメートルと長い上、押切坂・酒匂川を手前に控えていることから、間の宿として休憩所が設けられ、大友屋・蔦屋・釜成屋など多くの茶店や商店が軒を並べ、『梅沢の立場』と呼ばれて大変賑わっていたそうです。その中心的存在が松屋本陣で松屋であった和田家には本陣を利用した人々の記録であるご休憩帳が保存されていて、二宮町指定重要文化財になっているそうです。
中村川に架かる押切橋を渡り、緩やかに長い押切坂をのぼりきり下り始めた所で海が見えます。
ここで一旦旧道を外れて山の上にある近戸神社へ寄り道。
高台にあり、相模湾に向けて建っていますので右の画像のように木々に囲まれた間から相模湾を望む事が出来ます。
ただ、足が疲れて来ているので途中の坂道や石段がちょっと辛かったです。
国道1号の国府津駅前を通過してすぐに親鸞縁の石碑とお寺があります。
ひとつは親鸞聖人がこの地において7年間教下した際に住んでいた庵室の御勧堂跡の碑と元は天台宗のお寺であったが親鸞聖人の教法に導かれて当時の住僧性順が帰依して寺の名前を親鸞聖人に名付けてもらった真楽寺

再び国道1号に戻り、岡入口の交差点を右折。
最終目的地菅原神社へ。
なぜ菅原神社かというと下の画像にあるようにここがわらべうた『通りゃんせ』の発祥之地という情報を得ていたからです。
確かめる意味でも実際に見てみるしかありません。
確かに石碑があります。ただ、由来は書いていません。天神様=菅原道真ですので菅原神社であれば問題ないのですが、なぜ、『いきはよいよい帰りはこわい』なのかは不明。

帰りのついでに隣の安楽院にも寄りましたが、ほとんど素通り状態。
線路高架下の通路を抜け線路に沿って国府津駅へ。
ゴールです。
後は電車に乗って帰るだけ。
本を読みながら帰ろうと思っていましたがいつの間にやら熟睡。
駅に着いては慌てて駅名を確認してました。
やっぱ5時間歩くと体がつらいですねぇ。
では。
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東海道五十三次 大磯宿-国府津宿 その一

2008-03-02 17:38:50 | 旧東海道
天気の良い日が続き、少しづつですが暖かくなってきましたので大磯宿から国府津までの東海道を歩いてみる事にしました。
地図上では2-3時間で歩ける距離ですが、気の向くまま足の向くままのぶらぶら歩きですのでどうなるか判りません。
大磯駅前を10時半頃に出発。
先ず最初に訪れたのは延台寺
このお寺は虎御前が曽我兄弟を偲ん結んだ庵を後に日蓮宗の日道上人が建てたお寺。
境内には虎御前祈願の龍神や大磯宿遊女のお墓、虎御前供養塔などがあります。

街道(国道1号)に戻り信号を渡り道路右側の歩道を歩いて行くとNTTの建物の左脇に大磯宿小島本陣跡の石柱があります。
電柱の影というか壁に混ざって見落としやすいです。
宿場町を通って本陣を見ないのは淋しいですので必ずチェックして下さい。
中南信金の手前の路地を曲がり、正面に見えるお寺が地福寺です。
境内の梅が見頃を迎えていますが、このお寺には明治の文豪島崎藤村のお墓があることで有名です。ただ、すごく立派なお墓があるのではないかと想像していましたが、かなりシンプルなお墓でした。

再び街道に戻り、大磯プール入口のカーブの辺りに新島譲終焉の地というのがあります。
説明文を読むと同志社大学の設立者である新島譲が資金集めのため東奔西走している時に病のためここ大磯の百足屋旅館で療養中、1890年(明治23年)1月23日に47才の生涯を閉じたそうです。
ココを過ぎて数分鴫立沢の信号の手前左手の降りたところに鴫立庵があります。
寛文4年(1664)小田原の崇雪がこの地に五智如来像を運び、西行寺を作る目的で草庵を結んだのが始まりで、元禄8年(1695)俳人の大淀三千風が入庵し鴫立庵と名付け、第一世庵主となりました。現在では、京都の落柿舎・滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つといわれています。
崇雪が草庵を結んだ時に鴫立沢の標石を建てたがその標石に”著盡湘南清絶地”と刻まれている事から湘南発祥之地として注目を浴びています。
中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい大磯がこの地に似ているところから湘南と呼ばれるようになりました。
ここか300メートルほど進んだ大磯中学校辺りから大磯の松並木が始まります。
この下りが昔からの道なのでしょうか歩道側と中央分離帯に松並木が連続しており、かなり成長した松の大木が連なっています。
平成6年11月に松の天敵であるマツクイムシの被害にあった老松(樹齢217年)の切り株を歴史年表として保存してあります。
この松並木が切れるところにあるのが伊藤博文公の旧邸の滄浪閣です。
今は改装中のようです。
ここから1キロくらいは史跡等は特になく海沿いのこゆるぎの浜を歩くのも良いかも知れません。
ひたすら黙々と歩いてY字路で右が城山公園で旧道、左は国道1号。国道1号を200メートルほど進むと西長院の信号手前に左(海岸)に入って行く道があるので入って行き、海(西湘バイパス)に突き当たった左手の小高い丘の上に吉田茂の銅像があります。
一応管理された公園らしく開園(鍵の開いている時間)は10時から3時です。
国道1号に戻り西長院の境内を通り抜けて城山公園前を通る旧道を歩き始めます。
車の通りが少ない小高い住宅街の中を通り過ぎ1キロちょっと。旧道と国道1号線を別けるように短い距離ですが松並木が姿をみせます。
右の画像は国府本郷一里塚

国府新宿の交差点で見掛けた石のオブジェ?
道路を挟んで数個の石が置かれてありプレートが着いています。
解説によりますと県指定無形民俗文化財『国府祭(座問答)』の標石で、『大化の改新』の時、相武の国と磯長の国が統合され、相模の国が生まれました。
両国の一之宮である寒川と川匂とが新しい国の国司巡拝の順位を巡って一之宮の座を争う、お互いに相譲らず、見かねた比々多と前鳥・平塚八幡宮が『いずれ明年まで』と言って仲裁し円満解決した故事に基づいており問答の様子を示しているそうです。道路左に 総社六所神社。右側手前奥から二之宮 川匂神社、一之宮 寒川神社。後ろ奥から四之宮 前鳥神社、三之宮 比々多神社、平塚 八幡宮とならんでいます。
国府新宿の交差点から2-300メートル、先程の問答に登場した相模の総社六所神社です。
国道1号に面したところにこの山門はありますが、神社はここからJR東海道線の線路をくぐった反対側にあります。

12時も過ぎそろそろ昼食でも食べようかと思いながらJR二宮駅前の国道を通過しましたが、食べ物屋さんらしい店も見つからず通過。
1時過ぎに蕎麦屋さんがあったのでここで昼食。
これからまだ、歩く事を考えるとあまり胃に負担の掛からないものと思うとやはり蕎麦です。
滑らかな喉越し!軽く蕎麦をたぐってしばし休憩です。
その二に続く。
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