本興寺を目指して割と車の往来が多い道を歩いて行きます。かなりスピードを出して走る車が多いので道路の横断は注意が必要です。
車の往来も多いので住宅街の道を歩こうと中屋敷バス停前の交差点を左に入り見つけたのが正一位飯島稲荷神社。
隣の民家の表札を見ると飯島さんでしたので、飯島家の稲荷神社でしょうか?
突き当たりのいちょう小学校の校舎を左手に眺めながら信号を右に曲がり坂の途中に本興寺があります。
鳥居をくぐり参道を進むと仁王様が鎮座している朱塗りの山門が見えて来ます。
本堂の彫刻は必見です。
左側の歩道はかなり狭く、反対側の歩道を見るとガードレールがあり少しは歩きやすそうと見ていると小さい神社がありました。
ここまで神社仏閣を見て来ましたのでついでに撮影しましたが、地元の小さな社なのでしょうか、稲荷社とのみ書かれておりそれ以上は不明。
松並の交差点を左に曲がりすぐ右手に柳明神社があります。
祭神は天照皇大神、大山咋命で由来によると『廃寺になった鎌倉郡観音24番札所大石寺跡に、村境の伊勢山に祀られていた神明社を遷したものです。昭和50年に柳神明社と改められました。
大石寺が廃寺になったとき本尊の観音像を阿久和村の観音寺に預けました。その後、村に不幸が起ったため、境内に観音堂を建て観音像を安置しました。神社裏の道の分岐点には、八王子道(鎌倉道)と神奈川道の道標が立っています。神社前には柳明天満宮もあります。』
道標?
道標ならば是非ともチェックしなければ・・・。
古道を歩いていると道祖神や庚申塔は見掛けますが道標はめったにありません。
神社を抜けて裏の通りを歩くと確かに分岐点の角にありました。
南 大山道 北 八王子道と読めます。先程の解説からすると大山道が神奈川道なのでしょうか?
その内、これらの古道も歩いてみようかと思いました。
ここからコース案内によると次の熊野神社までは約47分。ほぼ、直線道路!
迷子になる心配はありませんが、ただ歩くだけはつまらないと思いながら日向山を登って下ってたらたらと・・・。
途中の和泉川宮沢遊水池で休憩。(-。-)y-゜゜゜
ひたすら歩くしかないと諦めつつダイエーを過ぎてふと左手に何かを見たような感じがして振り返ってみると石塔?
解説を読むと山谷道祖神・双神塔というそうでここ阿久和町山谷に建てられている道祖神は、五輪塔でその芝付石から上に七七道祖神と刻まれており、瀬谷区内では唯一の珍しいものだそうです。
そのまま地図に沿って歩いて行くと原小学校の脇に『ふるさとのさんぽ道 熊野神社450メートル』の標柱を発見!
ふるさとのさんぽ道というコースがあるようです。
地図の道より近道のようなので標柱の通り学校脇の道に入って行きました。
突き当たりの信号を右に曲がって下り坂の途中、左手の石段を登ったところに熊野神社があります。
祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、諺坂姫命。
社伝によると、安和の頃 (968~970) から当地区の人々は、こんもりと茂ったこの森を “天神地祇の御座所" と敬い木を切ることを禁じて “まつりの場所" としていましたが、弘和の頃 (1381~1384) 小さな社を建てて祀りました。江戸時代には、阿久和を知行した安藤治左衛門定喬は社事に率先したといいます。現在の社殿は、明治6年 (1873) の建立で、拝殿は数々の彫刻で飾られています。江戸時代から守り続けられている9月19日の例祭には、神職により「湯立神楽 (湯花神楽) 」が行われ、氏子による阿久和囃子が奉納されます。
神楽殿は、相模歌舞伎などを演じるための芝居小屋として昭和9年(1934)に建築されました。日本三大歌舞伎の一つである相模歌舞伎は地芝居として昭和30年代中頃まで演じられていました。その後、神楽殿は地域の人々の踊りや歌など祭りの場として利用されて来ました。
横浜市教育委員会文化財局だそうです。
さてここからコース案内によれば希望ヶ丘の駅までは30分程度。
ひたすら歩いて帰ろうと思いましたが、途中見掛けて寄ってみました善部神明社。
祭神は伊弉諾尊、伊弉冊尊。
お隣というか、裏手には妙蓮寺。昔は神仏習合で同じだったんでしょうか?
境内の裏ではつながっているのかよく確かめませんでしたが、取りあえず一旦石段を下って隣の妙蓮寺へ。
日蓮宗のお寺のようです。
石段は題目坂と呼ぶそうで題目を唱えながら登るのでしょうか?
南無妙法蓮華経
参拝、お墓参りしている方がいたので、早々に引き上げました。
地図通りガソリンスタンド横を曲がり道なりに進んでゴールの希望ヶ丘駅です。
こちらも絵馬掛けが用意されていました。
何か願を掛けた方が良いかとも思いましたが、帰る事優先でホームに行き電車に乗って帰りました。
2週続けて『8福神めぐり』に『ゆめから希望の神社仏閣まわり』
開運?
車の往来も多いので住宅街の道を歩こうと中屋敷バス停前の交差点を左に入り見つけたのが正一位飯島稲荷神社。
隣の民家の表札を見ると飯島さんでしたので、飯島家の稲荷神社でしょうか?
突き当たりのいちょう小学校の校舎を左手に眺めながら信号を右に曲がり坂の途中に本興寺があります。
鳥居をくぐり参道を進むと仁王様が鎮座している朱塗りの山門が見えて来ます。
本堂の彫刻は必見です。
左側の歩道はかなり狭く、反対側の歩道を見るとガードレールがあり少しは歩きやすそうと見ていると小さい神社がありました。
ここまで神社仏閣を見て来ましたのでついでに撮影しましたが、地元の小さな社なのでしょうか、稲荷社とのみ書かれておりそれ以上は不明。
松並の交差点を左に曲がりすぐ右手に柳明神社があります。
祭神は天照皇大神、大山咋命で由来によると『廃寺になった鎌倉郡観音24番札所大石寺跡に、村境の伊勢山に祀られていた神明社を遷したものです。昭和50年に柳神明社と改められました。
大石寺が廃寺になったとき本尊の観音像を阿久和村の観音寺に預けました。その後、村に不幸が起ったため、境内に観音堂を建て観音像を安置しました。神社裏の道の分岐点には、八王子道(鎌倉道)と神奈川道の道標が立っています。神社前には柳明天満宮もあります。』
道標?
道標ならば是非ともチェックしなければ・・・。
古道を歩いていると道祖神や庚申塔は見掛けますが道標はめったにありません。
神社を抜けて裏の通りを歩くと確かに分岐点の角にありました。
南 大山道 北 八王子道と読めます。先程の解説からすると大山道が神奈川道なのでしょうか?
その内、これらの古道も歩いてみようかと思いました。
ここからコース案内によると次の熊野神社までは約47分。ほぼ、直線道路!
迷子になる心配はありませんが、ただ歩くだけはつまらないと思いながら日向山を登って下ってたらたらと・・・。
途中の和泉川宮沢遊水池で休憩。(-。-)y-゜゜゜
ひたすら歩くしかないと諦めつつダイエーを過ぎてふと左手に何かを見たような感じがして振り返ってみると石塔?
解説を読むと山谷道祖神・双神塔というそうでここ阿久和町山谷に建てられている道祖神は、五輪塔でその芝付石から上に七七道祖神と刻まれており、瀬谷区内では唯一の珍しいものだそうです。
そのまま地図に沿って歩いて行くと原小学校の脇に『ふるさとのさんぽ道 熊野神社450メートル』の標柱を発見!
ふるさとのさんぽ道というコースがあるようです。
地図の道より近道のようなので標柱の通り学校脇の道に入って行きました。
突き当たりの信号を右に曲がって下り坂の途中、左手の石段を登ったところに熊野神社があります。
祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、諺坂姫命。
社伝によると、安和の頃 (968~970) から当地区の人々は、こんもりと茂ったこの森を “天神地祇の御座所" と敬い木を切ることを禁じて “まつりの場所" としていましたが、弘和の頃 (1381~1384) 小さな社を建てて祀りました。江戸時代には、阿久和を知行した安藤治左衛門定喬は社事に率先したといいます。現在の社殿は、明治6年 (1873) の建立で、拝殿は数々の彫刻で飾られています。江戸時代から守り続けられている9月19日の例祭には、神職により「湯立神楽 (湯花神楽) 」が行われ、氏子による阿久和囃子が奉納されます。
神楽殿は、相模歌舞伎などを演じるための芝居小屋として昭和9年(1934)に建築されました。日本三大歌舞伎の一つである相模歌舞伎は地芝居として昭和30年代中頃まで演じられていました。その後、神楽殿は地域の人々の踊りや歌など祭りの場として利用されて来ました。
横浜市教育委員会文化財局だそうです。
さてここからコース案内によれば希望ヶ丘の駅までは30分程度。
ひたすら歩いて帰ろうと思いましたが、途中見掛けて寄ってみました善部神明社。
祭神は伊弉諾尊、伊弉冊尊。
お隣というか、裏手には妙蓮寺。昔は神仏習合で同じだったんでしょうか?
境内の裏ではつながっているのかよく確かめませんでしたが、取りあえず一旦石段を下って隣の妙蓮寺へ。
日蓮宗のお寺のようです。
石段は題目坂と呼ぶそうで題目を唱えながら登るのでしょうか?
南無妙法蓮華経
参拝、お墓参りしている方がいたので、早々に引き上げました。
地図通りガソリンスタンド横を曲がり道なりに進んでゴールの希望ヶ丘駅です。
こちらも絵馬掛けが用意されていました。
何か願を掛けた方が良いかとも思いましたが、帰る事優先でホームに行き電車に乗って帰りました。
2週続けて『8福神めぐり』に『ゆめから希望の神社仏閣まわり』
開運?