本日の散策のテーマは歴史と昔話。
茅ヶ崎駅から平塚行きのバスに乗って今宿で下車。
茅ヶ崎方面に少し戻って下町屋橋を渡り国指定史跡「旧相模川橋脚」を訪ね、さらに茅ヶ崎方面に戻り「南湖の左富士」。
そこから見える鳥居をくぐり山道を進み、「鶴嶺神社」へ。ここからは神社仏閣巡り。
「龍前院」→「宝生寺」→「神明大神」→「輪光寺」と鎌倉時代の御家人、懐島(大庭)氏ゆかりの地巡り。
国指定史跡「旧相模川橋脚」
関東大震災(大正12年)の液状減少によって水田から出現した中世前半代の橋脚跡。
鎌倉時代の有力御家人、稲毛三郎重成が亡妻供養のため相模川に建久九年(1198年)に架橋したもので、源頼朝がこの橋供養の帰りに落馬して病床に着き間もなく亡くなった(吾妻鏡)そうです。
海道一のでかいまんじゅう
旧相模川橋脚からすぐにあるお店。何年か前に訪れた時に購入して食べた記憶はあり、確かに大きめなお饅頭ではありましたが、今ではどうなんでしょうかね。
南湖の左富士
ちょっと曇ってましたが、頂上付近がなんとか確認できました。
江戸から京都まで東海道を旅していて見える富士山は右手に見えるんですが、ここと富士吉原の二ヶ所のみ。
鳥居と松並木
交差点の反対側には大きな鳥居。
松並木の参道?がかなり続きます。
馬頭観音
観光客や地域の教育を意識してか色々な場所に解説板が置かれています。
鶴嶺神社
太鼓橋は渡れません。
かなり大きめな道祖神と女護が石。
社殿が近づいて来ると参道の雰囲気も変わってきました。
社殿。
県指定天然記念物の鶴嶺八幡のイチョウ。多数の側枝が癒着して幹を形作っていて胸高周囲が9メートルと立派なご神木。
龍前院
六地蔵がお出迎え。
細い参道を通っって突き当たりが龍前院。
庚申塔。
見ざる言わざる聞かざるが彫られています。
この梵鐘は元禄7年(1649年)で市内で最も古いものだそうです。
遠くから撮影した龍前院。遠くの山並み。なんか良いです。
石仏石塔群
次の宝生寺までの道々に石仏・石塔などもあり足を止めて撮影。
北向地蔵
名前の通り北を向いているお地蔵さん。
宝生寺
国指定重要文化財に指定されている阿弥陀三尊が安置されているお寺です。
長野県の善光寺の本尊を模したと言われる善光寺式の阿弥陀三尊だそうで、懐島(大庭)景義の持仏と伝えれているそうです。
神明大神
懐島(大庭)氏関連の碑がたくさんある神社です。
高野山真言宗 輪光寺末寺 了覚院(御本尊)と太田一族及歴代僧侶之墓
じきに駐車場か何かになって追いやられそうな雰囲気が漂っています。
輪光寺
本日のデーマの一つ。昔話。
神奈川県の昔話「カッパどっくり」にちなんだ大甕に2匹のカッパが入ったモニュメント。
なんとも言えない表情をしております。
茅ヶ崎の一里塚
輪光寺からJR相模線にぶつかるところまで進み、線路に沿って茅ヶ崎駅まで。
国道1号に出た先に一里塚が復元されています。
※懐島(大庭)景義
大庭御厨を創設した鎌倉権五郎景正のひ孫にあたり、懐島郷を所領していたので懐島 景義と名乗っていた。
源頼朝が挙兵した際には弟の大庭景親は平氏に味方をし、石橋山の戦いでは源頼朝撃破したが、懐島 景義は頼朝に味方し御家人となる。
奥州藤原氏征伐の際には源頼朝に意見を求められ、その意見が採用されたそうです。
茅ヶ崎駅から平塚行きのバスに乗って今宿で下車。
茅ヶ崎方面に少し戻って下町屋橋を渡り国指定史跡「旧相模川橋脚」を訪ね、さらに茅ヶ崎方面に戻り「南湖の左富士」。
そこから見える鳥居をくぐり山道を進み、「鶴嶺神社」へ。ここからは神社仏閣巡り。
「龍前院」→「宝生寺」→「神明大神」→「輪光寺」と鎌倉時代の御家人、懐島(大庭)氏ゆかりの地巡り。
国指定史跡「旧相模川橋脚」
関東大震災(大正12年)の液状減少によって水田から出現した中世前半代の橋脚跡。
鎌倉時代の有力御家人、稲毛三郎重成が亡妻供養のため相模川に建久九年(1198年)に架橋したもので、源頼朝がこの橋供養の帰りに落馬して病床に着き間もなく亡くなった(吾妻鏡)そうです。
海道一のでかいまんじゅう
旧相模川橋脚からすぐにあるお店。何年か前に訪れた時に購入して食べた記憶はあり、確かに大きめなお饅頭ではありましたが、今ではどうなんでしょうかね。
南湖の左富士
ちょっと曇ってましたが、頂上付近がなんとか確認できました。
江戸から京都まで東海道を旅していて見える富士山は右手に見えるんですが、ここと富士吉原の二ヶ所のみ。
鳥居と松並木
交差点の反対側には大きな鳥居。
松並木の参道?がかなり続きます。
馬頭観音
観光客や地域の教育を意識してか色々な場所に解説板が置かれています。
鶴嶺神社
太鼓橋は渡れません。
かなり大きめな道祖神と女護が石。
社殿が近づいて来ると参道の雰囲気も変わってきました。
社殿。
県指定天然記念物の鶴嶺八幡のイチョウ。多数の側枝が癒着して幹を形作っていて胸高周囲が9メートルと立派なご神木。
龍前院
六地蔵がお出迎え。
細い参道を通っって突き当たりが龍前院。
庚申塔。
見ざる言わざる聞かざるが彫られています。
この梵鐘は元禄7年(1649年)で市内で最も古いものだそうです。
遠くから撮影した龍前院。遠くの山並み。なんか良いです。
石仏石塔群
次の宝生寺までの道々に石仏・石塔などもあり足を止めて撮影。
北向地蔵
名前の通り北を向いているお地蔵さん。
宝生寺
国指定重要文化財に指定されている阿弥陀三尊が安置されているお寺です。
長野県の善光寺の本尊を模したと言われる善光寺式の阿弥陀三尊だそうで、懐島(大庭)景義の持仏と伝えれているそうです。
神明大神
懐島(大庭)氏関連の碑がたくさんある神社です。
高野山真言宗 輪光寺末寺 了覚院(御本尊)と太田一族及歴代僧侶之墓
じきに駐車場か何かになって追いやられそうな雰囲気が漂っています。
輪光寺
本日のデーマの一つ。昔話。
神奈川県の昔話「カッパどっくり」にちなんだ大甕に2匹のカッパが入ったモニュメント。
なんとも言えない表情をしております。
茅ヶ崎の一里塚
輪光寺からJR相模線にぶつかるところまで進み、線路に沿って茅ヶ崎駅まで。
国道1号に出た先に一里塚が復元されています。
※懐島(大庭)景義
大庭御厨を創設した鎌倉権五郎景正のひ孫にあたり、懐島郷を所領していたので懐島 景義と名乗っていた。
源頼朝が挙兵した際には弟の大庭景親は平氏に味方をし、石橋山の戦いでは源頼朝撃破したが、懐島 景義は頼朝に味方し御家人となる。
奥州藤原氏征伐の際には源頼朝に意見を求められ、その意見が採用されたそうです。