みなとみらい線ー東横線ー東京メトロ副都心線ー東武東上線が相互乗り入れを開始して横浜から乗り換えなしで川越まで行けるようになったので本日は小江戸川越を散策。
大雑把な計画というか観光ポイントは川越市駅をスタートして「仙波東照宮」に行き同敷地内の慈眼堂、喜多院、五百羅漢を見学。次に童歌「通りゃんせ」の歌詞の発祥の地といわれる「三芳神社」、そしてすぐ近くにある「川越城本丸御殿」。
少し離れて「蔵造りの町並み」、「菓子屋横丁」、「時の鐘」と見学して再び川越市駅から帰路へ着く計画。
いつもの事ながら、大雑把な計画で途中見掛けて興味がわいた場所には時間と体力の許す限り寄り道。
横浜駅から特急川越市行き乗車、そのまま1時間半ほどで到着。
横浜駅では休日でもあるせいか座る事ができ、本を読みながら終点まで。
途中、本から目を離し外の景色や今いる場所を確認しますが、初の乗車路線なのでイメージできません。
終点までなので良かったですが、これが途中駅や乗り換えが必要であれば落ち着いて本なんか読んでられなかったでしょうね。
直通運転のありがたさです。
さて駅に降りて先ずする事は喫煙。
本日のコースを確認しつつ、一服。
右手にデジカメ、左手には本日のルート案件のiPhone。
iPadアプリの旅行計画ナビ(NAVITAIME)でルート検索してiPhone版アプリNAVITAIMEでルート案内。
以前は事前に地図を印刷したりしてましたが、楽になりました。
iPhoneに表示されるルートに従って15分程歩くと仙波東照宮に到着。
地図を片手に歩いている観光客も多いのでまぁ迷わないと思いますが、方向感覚さえ間違えなければ地図なしでも行けると思います。
通りに出てすぐ左手に見えて来るのが成田山川越別院。
門前、境内では蚤の市が開催されておりすごい人だかり。
ちょっと覗いてみたんですが、立ち止まって品物を見る人、お詣りをする人、私のような観光客が入り交じって進むのも大変。
蚤の市ですが買物をする気もない私が人混みにすぐに飽きて脱出。
骨董品や民芸具に興味のある人が見れば掘り出し物があったりして楽しいのでしょうが、私は興味がなく散策は始まったばかりですので次なる目的地へ。
信号のある道路を渡り小径に入り曲がるところを曲がりそびれてひょいと見ると神社。
地図を確認すると境内を抜ければ本来のコースにもどれそうなので寄り道。
浮き島稲荷神社。
川越城の七不思議のひとつ片葉の葦の石碑がありましたが詳しくはあとでまとめて記載。
境内を抜けて住宅街を歩いて行くと辻に案内板。
その案内の中に「富士見櫓跡」というのがあったので寄り道。
周りの住宅街からひとつ飛び抜けた小高く木々が残された高台が川越城の富士見櫓があった場所。
石段を登って上に行くと平らな部分があるのですが、周りの木々に隔てられて見晴らしはあまり良くありません。
一段下がった裏手に御嶽神社と浅間神社の小さな社がありました。
石段の登り口には解説板があり、それによると川越城には天守閣がなく、城の中で一番高い位置にあるこの場所が天守閣の代わりになっていたそうですが、資料が乏しく富士見櫓の正確な大きさは不明だそうです。
さて次は今回のポイント、童歌「通りゃんせ」の歌詞の元になったといわれる三芳野神社。
解説板より「三芳野神社は平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪に建てられている。この為、「お城の天神さま」として親しまれている。この天神さまにお参りするには、川越城の南大手門より入り、田郭門をとおり、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小径を進み、三芳野神社に直進する道を通ってお参りしていた。この細い参道が、童歌「通りゃんせ」の歌詞の発祥の地であるといわれ・・・」
通りゃんせの歌詞のおどろおどろしい雰囲気はどこからきたか良く判りません。
「行きはよいよい、帰りは怖い」ンですから・・・。
神奈川県の国府津にある菅原神社でも「童歌通りゃんせ」発祥之地の石碑を見ましたがどちらが本家なんでしょうかね?
あちらは箱根越えで帰りが怖いでしたが・・・。
境内には「わらべ唄発祥」「川越城七不思議」の石碑があり、川越城七不思議は詳細な解説板がありますのでご興味のある方は現地でご確認下さい。
一応、七不思議は以下の通りです。
「霧吹の井戸」、「初雁の杉」、「片葉の葦」、「天神洗足の井水」、「人身御供」、「遊女川の小石供養」、「城内蹄の音」
片葉の葦は浮島稲荷にある言い伝えで三芳野神社裏の杉の老木に伝わるお話。
境内を抜け裏手にある駐車場を抜けると川越城の本丸御殿。
本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残っているそうで、大広間が現存しているのはかなり珍しいそうです。
中には入らず外から玄関を撮影して次へ。
大通りを歩いて行きますが道路を見ると渋滞。
それもかなりの渋滞です。
信号渋滞もしているんですが、駐車場に入る為に渋滞しているところもいくつかあり、渋滞を横目で見ながら次の目的地へ。
歩いていると「川越城中の門跡」の看板。
小さな門がありくぐると石のベンチとちょっとしたスペース。
そこから当時の堀を眺めることができます。
明治以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊され、この中ノ門掘跡は旧城内に残る唯一の堀跡だそうです。
さて、ここからが川越散策の最終目的地である蔵造りの街並と菓子屋横丁、時の鐘です。
通りの左右には人が多く、各店先を覗き込んで立ち止まる人も多く足踏みする事もしばしば。
特に菓子屋横丁は狭い小径に人がびっしり。
取りあえず寄っては見ましたが、ほぼ素通りしてしまいました。
メイン通りを外れ、平行して通っている裏通りを抜けて帰路へ。
そこで見つけたのが、酒蔵。
醸造蔵の見学会も行なわれているそうですが、時間が合わず店舗でもお買い物をする事にしました。
考えてみると今回の散策で初めてのお買い物。
醤油とお酒、ショウガとニンニクの溜まり漬けを購入。
お酒はこれから飲む予定。
事前に調べた観光ポイントは全て見て本日の散策は無事終了。
川越の街を歩いた感想なのですが、歴史ある観光地として鎌倉と比べるとかなり違います。
どちらかというと以前訪れた高山の町に似ています。
古い街並を残しつつ、内部を改装して観光客相手に商売をしている高山。
蔵造りの建物の内部を改装して同じように観光客相手に商売をしている川越。
良く似ています。
ただ、何度も訪れたくなるかといえば・・・。
大雑把な計画というか観光ポイントは川越市駅をスタートして「仙波東照宮」に行き同敷地内の慈眼堂、喜多院、五百羅漢を見学。次に童歌「通りゃんせ」の歌詞の発祥の地といわれる「三芳神社」、そしてすぐ近くにある「川越城本丸御殿」。
少し離れて「蔵造りの町並み」、「菓子屋横丁」、「時の鐘」と見学して再び川越市駅から帰路へ着く計画。
いつもの事ながら、大雑把な計画で途中見掛けて興味がわいた場所には時間と体力の許す限り寄り道。
横浜駅から特急川越市行き乗車、そのまま1時間半ほどで到着。
横浜駅では休日でもあるせいか座る事ができ、本を読みながら終点まで。
途中、本から目を離し外の景色や今いる場所を確認しますが、初の乗車路線なのでイメージできません。
終点までなので良かったですが、これが途中駅や乗り換えが必要であれば落ち着いて本なんか読んでられなかったでしょうね。
直通運転のありがたさです。
さて駅に降りて先ずする事は喫煙。
本日のコースを確認しつつ、一服。
右手にデジカメ、左手には本日のルート案件のiPhone。
iPadアプリの旅行計画ナビ(NAVITAIME)でルート検索してiPhone版アプリNAVITAIMEでルート案内。
以前は事前に地図を印刷したりしてましたが、楽になりました。
iPhoneに表示されるルートに従って15分程歩くと仙波東照宮に到着。
地図を片手に歩いている観光客も多いのでまぁ迷わないと思いますが、方向感覚さえ間違えなければ地図なしでも行けると思います。
通りに出てすぐ左手に見えて来るのが成田山川越別院。
門前、境内では蚤の市が開催されておりすごい人だかり。
ちょっと覗いてみたんですが、立ち止まって品物を見る人、お詣りをする人、私のような観光客が入り交じって進むのも大変。
蚤の市ですが買物をする気もない私が人混みにすぐに飽きて脱出。
骨董品や民芸具に興味のある人が見れば掘り出し物があったりして楽しいのでしょうが、私は興味がなく散策は始まったばかりですので次なる目的地へ。
信号のある道路を渡り小径に入り曲がるところを曲がりそびれてひょいと見ると神社。
地図を確認すると境内を抜ければ本来のコースにもどれそうなので寄り道。
浮き島稲荷神社。
川越城の七不思議のひとつ片葉の葦の石碑がありましたが詳しくはあとでまとめて記載。
境内を抜けて住宅街を歩いて行くと辻に案内板。
その案内の中に「富士見櫓跡」というのがあったので寄り道。
周りの住宅街からひとつ飛び抜けた小高く木々が残された高台が川越城の富士見櫓があった場所。
石段を登って上に行くと平らな部分があるのですが、周りの木々に隔てられて見晴らしはあまり良くありません。
一段下がった裏手に御嶽神社と浅間神社の小さな社がありました。
石段の登り口には解説板があり、それによると川越城には天守閣がなく、城の中で一番高い位置にあるこの場所が天守閣の代わりになっていたそうですが、資料が乏しく富士見櫓の正確な大きさは不明だそうです。
さて次は今回のポイント、童歌「通りゃんせ」の歌詞の元になったといわれる三芳野神社。
解説板より「三芳野神社は平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪に建てられている。この為、「お城の天神さま」として親しまれている。この天神さまにお参りするには、川越城の南大手門より入り、田郭門をとおり、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小径を進み、三芳野神社に直進する道を通ってお参りしていた。この細い参道が、童歌「通りゃんせ」の歌詞の発祥の地であるといわれ・・・」
通りゃんせの歌詞のおどろおどろしい雰囲気はどこからきたか良く判りません。
「行きはよいよい、帰りは怖い」ンですから・・・。
神奈川県の国府津にある菅原神社でも「童歌通りゃんせ」発祥之地の石碑を見ましたがどちらが本家なんでしょうかね?
あちらは箱根越えで帰りが怖いでしたが・・・。
境内には「わらべ唄発祥」「川越城七不思議」の石碑があり、川越城七不思議は詳細な解説板がありますのでご興味のある方は現地でご確認下さい。
一応、七不思議は以下の通りです。
「霧吹の井戸」、「初雁の杉」、「片葉の葦」、「天神洗足の井水」、「人身御供」、「遊女川の小石供養」、「城内蹄の音」
片葉の葦は浮島稲荷にある言い伝えで三芳野神社裏の杉の老木に伝わるお話。
境内を抜け裏手にある駐車場を抜けると川越城の本丸御殿。
本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残っているそうで、大広間が現存しているのはかなり珍しいそうです。
中には入らず外から玄関を撮影して次へ。
大通りを歩いて行きますが道路を見ると渋滞。
それもかなりの渋滞です。
信号渋滞もしているんですが、駐車場に入る為に渋滞しているところもいくつかあり、渋滞を横目で見ながら次の目的地へ。
歩いていると「川越城中の門跡」の看板。
小さな門がありくぐると石のベンチとちょっとしたスペース。
そこから当時の堀を眺めることができます。
明治以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊され、この中ノ門掘跡は旧城内に残る唯一の堀跡だそうです。
さて、ここからが川越散策の最終目的地である蔵造りの街並と菓子屋横丁、時の鐘です。
通りの左右には人が多く、各店先を覗き込んで立ち止まる人も多く足踏みする事もしばしば。
特に菓子屋横丁は狭い小径に人がびっしり。
取りあえず寄っては見ましたが、ほぼ素通りしてしまいました。
メイン通りを外れ、平行して通っている裏通りを抜けて帰路へ。
そこで見つけたのが、酒蔵。
醸造蔵の見学会も行なわれているそうですが、時間が合わず店舗でもお買い物をする事にしました。
考えてみると今回の散策で初めてのお買い物。
醤油とお酒、ショウガとニンニクの溜まり漬けを購入。
お酒はこれから飲む予定。
事前に調べた観光ポイントは全て見て本日の散策は無事終了。
川越の街を歩いた感想なのですが、歴史ある観光地として鎌倉と比べるとかなり違います。
どちらかというと以前訪れた高山の町に似ています。
古い街並を残しつつ、内部を改装して観光客相手に商売をしている高山。
蔵造りの建物の内部を改装して同じように観光客相手に商売をしている川越。
良く似ています。
ただ、何度も訪れたくなるかといえば・・・。
のところに住んでいました。現在は都民です
なつかしいので年に1回ぐらいは行くのですが
横浜から乗り換えなしで行ける様になったのは
知っていましたが1時間30分で行けるんですね
散歩のついでにさんが歩いた地域は川越市街地
から はずれているので市民は、本川越や
川越駅周辺の おっされ~な商店街でショッピング
するので 観光客ばかりの地区には行かないんですよ(笑) でも さすがiphoneは便利ですね
相互乗り入れで、直通で行ける駅をみていて川越。
確かに今回の散策で廻った蔵造りの町や菓子屋横丁は
住民がうろつく場所ではなかったですねぇ。
毎週、生活圏があんなに渋滞したり、人がうろついたりしたらかなりストレスを感じるかも。