さて、三連休中日。
どこを散策しようかと思い、瀬谷区のサイトを検索すると「瀬谷ふるさと歴史さんぽ道」というサイトがヒット。
4つのコースから「長屋門・阿久和史跡コース」を選択。
コース上のポイントは相鉄三ツ境駅を出発して白姫神社、二ツ橋公園・千駄野、長屋門公園、製糸場跡、
谷戸道祖神、小金山、阿久和宮越遺跡、熊野神社、お墓山、阿久和大久保原公園、大久保原縄文遺跡、
相沢良牧場、山谷道祖神の13カ所。
地図上のコースはアバウトですが、ポイントがGoogleMapで確認ができるようになってましたので
iPad miniで表示させて随時確認して散策。
三ツ境駅を出発して白姫神社。
由来書によると「祭神は蚕の神で、通称「お白様」と敬称されているそうです。
阿久和養蚕組合の守り神として、明治42年(1909年)11月に伊勢神宮、
外宮の衣の神を奉戴し、その御神体を蚕の神としました。
その後、昭和32年(1957年)に養蚕業の衰退により
阿久和町から三ツ境のこの地に遷座いしました」そうです。
二ツ橋公園・千駄野は瀬谷区役所前の公園。
特徴的なものはなくただ広場。
なのでスルー。
尾根道を横切るような登ったり下ったり。
下った谷道を進んで再び徐々に登った先に長屋門公園。
住宅街に取り残された森の中を歩いて長屋門へ。
長屋門をくぐるとそこには大勢の人がいて餅つき。
町内の餅つきを行っているらしく長屋門の先にある古民家へは行けず
次のポイント製糸場跡を目指しました。
ただ、この製糸場跡ですが駐車場脇に看板があるだけ。
見落としてしまい、地図を確認して戻って気付いたんですが、ただ案内の板があるだけなので
わざわざ戻ってみるだけ無駄でした。
住宅の間の石段を上って道なりに進んで谷戸道祖神。
阿久和の谷戸は村の一番北に位置しており、すぐ東は武蔵と相模の国境を隔てていて
武州春の木や善部、榛谷の各村々に通じる最も近い出入り口だったそうです。
左の石盤は新しく、右に庚申塔の頭が取れてしまっており代わりに丸い石が乗っかっていました。
小金山と書かれたポイントにあったのは民家脇の小さな社。
今いる場所が小金山なのか?
高台の縁になっており目の前には大山に連なる山々と富士山。
眼下には住宅がびっしり。
高台から降りて次に目指すは阿久和宮越遺跡。
阿久和東宮ノ越公園となった一角。
コースマップには遺跡と書かれているのですが、公園内のどこにもそれらしきものは見当たりません。
木々がそのまま残された小高い場所が遺跡なんだろうと判断して高台から撮影。
以前別のコースで訪れた事のある熊野神社。
社伝によると、
「平安時代の安和の頃(968~970年)から当地区の人々は、こんもりと茂ったこの森を”天地地祇の御座所”と敬い木を切る事を禁じて”まつりの場所”としていましたが、南北朝時代の弘和の頃(1381~1384年)に小さな社を建てて祀りました。
江戸時代には、阿久和を知行した安藤治右衛門定喬は社事に率先したといいます。
現在の社殿は明治6年(1873年)建立で拝殿は数々の彫刻で飾られています。
江戸時代から守り続けられている9月19日の例祭には神職による「湯立神楽」、氏子による阿久和囃子が奉納されます。」
阿久和交差点を右折して新幹線の高架下をくぐってすぐの脇道に入り通りと平行した細い道を進んで行き、徐々に高台へ。
石段の先を登り切った所に野原。
この丘は小字榊山と呼ばれているそうですが、江戸時代の旗本、安藤氏三代、正珍、正頼(弟)、正程(4代)の墓地と定められてからお墓山と呼ばれ、曹洞宗観音寺(泉区新橋町)の寺領として現在に至っているそうです。
阿久和大久保原公園ですが山の斜面を利用した公園。
大久保原と原の付いた公園ですので原っぱ+遊具の公園。
道路の反対側には駐車場。
見晴らしというか開放感はある公園です。
大久保原縄文遺跡と案内板が畑にたっています。
案内板によれば、この台地では昔から土器類の破片が発見されており昭和初期にも土器の壷はみるかり、縄文時代の後期のものである事が判ったそうです。
昭和53年(1977年)3月から「瀬谷区の歴史を知る会」会員ならび有志によってこの案内板が建っている場所から西約300㎡の発掘調査が行われて土器と住居跡5基が発見されたそうです。
この遺跡は文化庁に登録され「大久保原縄文遺跡」と命名されたそうです。
ただ、どこに遺跡があるかは確認できません。
看板前の細い道をそのまま進んで四つ角を右折。
牧場が経営しているお店。
アイスクリームの文字が見えましたが、服を着込んでいると言ってもこの寒さ。
お店の前をスルー。
かまくらみちに出たところで左折してガーデニングセンターへ寄り道。
あまり気に入ったサボタニがなかったので店内を一周してコースへ戻りました。
コースはかまくらみちを三ツ境方面。
新幹線の線路を越えて阿久和坂上交差点を左折。
角に庚申塔があったので撮影。
山谷道祖神
ここに建てられている道祖神は、五輪塔でその芝付石から上に七七道祖神と刻まれており、瀬谷区内では唯一の珍しいものだそうです。
コースではこの民家脇の鳥居と道祖神のある交差点を右折してバスに乗って帰るようになっていましたが、地図を確認すると瀬谷貉窪公園が近くにあり和泉川水辺コースに接しているので左折して公園から水辺コースへ。
だいたいの方向性を地図で確認して瀬谷貉窪公園へ到着。
ちょっとした森林公園の趣きです。
ここら辺から勘で歩き始め小川の流れに沿って散策。
公園から出たところから和泉川に出たんですが、上流方向に散策路がない場所に出てしまったので地図を確認。
見える範囲と道の曲がり具合で地図上の現在位置を確認して出発。
和泉川の水辺散策コース
ひたすら上流に向かって散策路を歩きましたが、夏場にピッタリの散策路です。
二ツ上橋交差点に「二ツ橋由来の碑」があるとコース案内に書かれていたのでチェック。
「しみじみと 清き流れの清水川 かけ渡したる 二ツ橋かな」 慶長18年徳川家康がこの地に休息して詠んだという和歌を記した記念碑。
コース通りに最勝寺と二ツ橋神明社を通過。
4時間ちょっとの散策終了。
距離にして13キロちょっと。
あっちへふらふら、こっちへふらふら。
昼食を摂らずに歩き続けたので駅のそば屋さんで遅めの昼食。
瀬谷ふるさと歴史さんぽ道と名付けられるのを納得させられるコースでした。
瀬谷区散策
どこを散策しようかと思い、瀬谷区のサイトを検索すると「瀬谷ふるさと歴史さんぽ道」というサイトがヒット。
4つのコースから「長屋門・阿久和史跡コース」を選択。
コース上のポイントは相鉄三ツ境駅を出発して白姫神社、二ツ橋公園・千駄野、長屋門公園、製糸場跡、
谷戸道祖神、小金山、阿久和宮越遺跡、熊野神社、お墓山、阿久和大久保原公園、大久保原縄文遺跡、
相沢良牧場、山谷道祖神の13カ所。
地図上のコースはアバウトですが、ポイントがGoogleMapで確認ができるようになってましたので
iPad miniで表示させて随時確認して散策。
三ツ境駅を出発して白姫神社。
由来書によると「祭神は蚕の神で、通称「お白様」と敬称されているそうです。
阿久和養蚕組合の守り神として、明治42年(1909年)11月に伊勢神宮、
外宮の衣の神を奉戴し、その御神体を蚕の神としました。
その後、昭和32年(1957年)に養蚕業の衰退により
阿久和町から三ツ境のこの地に遷座いしました」そうです。
二ツ橋公園・千駄野は瀬谷区役所前の公園。
特徴的なものはなくただ広場。
なのでスルー。
尾根道を横切るような登ったり下ったり。
下った谷道を進んで再び徐々に登った先に長屋門公園。
住宅街に取り残された森の中を歩いて長屋門へ。
長屋門をくぐるとそこには大勢の人がいて餅つき。
町内の餅つきを行っているらしく長屋門の先にある古民家へは行けず
次のポイント製糸場跡を目指しました。
ただ、この製糸場跡ですが駐車場脇に看板があるだけ。
見落としてしまい、地図を確認して戻って気付いたんですが、ただ案内の板があるだけなので
わざわざ戻ってみるだけ無駄でした。
住宅の間の石段を上って道なりに進んで谷戸道祖神。
阿久和の谷戸は村の一番北に位置しており、すぐ東は武蔵と相模の国境を隔てていて
武州春の木や善部、榛谷の各村々に通じる最も近い出入り口だったそうです。
左の石盤は新しく、右に庚申塔の頭が取れてしまっており代わりに丸い石が乗っかっていました。
小金山と書かれたポイントにあったのは民家脇の小さな社。
今いる場所が小金山なのか?
高台の縁になっており目の前には大山に連なる山々と富士山。
眼下には住宅がびっしり。
高台から降りて次に目指すは阿久和宮越遺跡。
阿久和東宮ノ越公園となった一角。
コースマップには遺跡と書かれているのですが、公園内のどこにもそれらしきものは見当たりません。
木々がそのまま残された小高い場所が遺跡なんだろうと判断して高台から撮影。
以前別のコースで訪れた事のある熊野神社。
社伝によると、
「平安時代の安和の頃(968~970年)から当地区の人々は、こんもりと茂ったこの森を”天地地祇の御座所”と敬い木を切る事を禁じて”まつりの場所”としていましたが、南北朝時代の弘和の頃(1381~1384年)に小さな社を建てて祀りました。
江戸時代には、阿久和を知行した安藤治右衛門定喬は社事に率先したといいます。
現在の社殿は明治6年(1873年)建立で拝殿は数々の彫刻で飾られています。
江戸時代から守り続けられている9月19日の例祭には神職による「湯立神楽」、氏子による阿久和囃子が奉納されます。」
阿久和交差点を右折して新幹線の高架下をくぐってすぐの脇道に入り通りと平行した細い道を進んで行き、徐々に高台へ。
石段の先を登り切った所に野原。
この丘は小字榊山と呼ばれているそうですが、江戸時代の旗本、安藤氏三代、正珍、正頼(弟)、正程(4代)の墓地と定められてからお墓山と呼ばれ、曹洞宗観音寺(泉区新橋町)の寺領として現在に至っているそうです。
阿久和大久保原公園ですが山の斜面を利用した公園。
大久保原と原の付いた公園ですので原っぱ+遊具の公園。
道路の反対側には駐車場。
見晴らしというか開放感はある公園です。
大久保原縄文遺跡と案内板が畑にたっています。
案内板によれば、この台地では昔から土器類の破片が発見されており昭和初期にも土器の壷はみるかり、縄文時代の後期のものである事が判ったそうです。
昭和53年(1977年)3月から「瀬谷区の歴史を知る会」会員ならび有志によってこの案内板が建っている場所から西約300㎡の発掘調査が行われて土器と住居跡5基が発見されたそうです。
この遺跡は文化庁に登録され「大久保原縄文遺跡」と命名されたそうです。
ただ、どこに遺跡があるかは確認できません。
看板前の細い道をそのまま進んで四つ角を右折。
牧場が経営しているお店。
アイスクリームの文字が見えましたが、服を着込んでいると言ってもこの寒さ。
お店の前をスルー。
かまくらみちに出たところで左折してガーデニングセンターへ寄り道。
あまり気に入ったサボタニがなかったので店内を一周してコースへ戻りました。
コースはかまくらみちを三ツ境方面。
新幹線の線路を越えて阿久和坂上交差点を左折。
角に庚申塔があったので撮影。
山谷道祖神
ここに建てられている道祖神は、五輪塔でその芝付石から上に七七道祖神と刻まれており、瀬谷区内では唯一の珍しいものだそうです。
コースではこの民家脇の鳥居と道祖神のある交差点を右折してバスに乗って帰るようになっていましたが、地図を確認すると瀬谷貉窪公園が近くにあり和泉川水辺コースに接しているので左折して公園から水辺コースへ。
だいたいの方向性を地図で確認して瀬谷貉窪公園へ到着。
ちょっとした森林公園の趣きです。
ここら辺から勘で歩き始め小川の流れに沿って散策。
公園から出たところから和泉川に出たんですが、上流方向に散策路がない場所に出てしまったので地図を確認。
見える範囲と道の曲がり具合で地図上の現在位置を確認して出発。
和泉川の水辺散策コース
ひたすら上流に向かって散策路を歩きましたが、夏場にピッタリの散策路です。
二ツ上橋交差点に「二ツ橋由来の碑」があるとコース案内に書かれていたのでチェック。
「しみじみと 清き流れの清水川 かけ渡したる 二ツ橋かな」 慶長18年徳川家康がこの地に休息して詠んだという和歌を記した記念碑。
コース通りに最勝寺と二ツ橋神明社を通過。
4時間ちょっとの散策終了。
距離にして13キロちょっと。
あっちへふらふら、こっちへふらふら。
昼食を摂らずに歩き続けたので駅のそば屋さんで遅めの昼食。
瀬谷ふるさと歴史さんぽ道と名付けられるのを納得させられるコースでした。
瀬谷区散策