3日は新年会の前に横須賀散策から毎年の散策はスタートして2回目は横浜瀬谷八福神めぐり。
瀬谷駅北口を出て北側ルートからスタート。
毎年同じですが、最初に訪れたのは
長天寺。
通常は七福神なのを特色をだすため、ここ長天寺の
達磨大師を加えて八福神。
スタンプを押した後は来た道を戻り、駅前を通り過ぎて
海軍道路へ
道路の両側は桜並木で約3Kmほどの直線道路。
旧日本海軍用道路だったそうで、戦後施設が米軍に接収され今も右側の一部は米軍施設。
道路の左手を眺めれば、一段低くなった土地に広がる農地とその先には丹沢山渓。
最後まで行かず、上瀬谷小学校入口と書かれた交差点を左折して、小学校を左手に見ながら通り過ぎて牢場坂と呼ばれる細い下り坂を下りきり交差点を左折してかまくらみちへ。
歩道のない狭い道なので後ろから来る車に注意しながら歩くと大黒尊天を祀る
妙光寺
駅からはかなり離れた場所になりますので車や自転車を利用して八福神めぐりをしている人たちもちらほらと見掛け始めました。
こういったものは歩いてまわってこそのご利益だと思うのですが、どうなんでしょうかね。
歩く=健康になる=ご利益。
そんな事も考えつつ、次へ。
次の善昌寺への目標は
北向地蔵尊。
道路右手にあるこの地蔵尊を右折して次の角を曲がれば善昌寺。
善昌寺の
恵比寿様。
どうもイメージとして恵比寿様と布袋様を混同してしまうのですが、みなさんはいかがでしょうか?
最近は恵比寿様を思い浮かべる時はヱビスビールのラベル、布袋様を思い浮かべる時は自分の腹をなでながら違いを意識しています。
善昌寺からの道すがらにあるのは、明治期に生輸出で賑わった頃にできた瀬谷銀行跡や地蔵堂。
歩いている道はかまくら古道で一段と道幅が狭くなり、古い屋敷やケヤキ並木が目を惹きますが、ここも宅地化の波が押し寄せており
以前は林だったと思うところに住宅が何棟も建っていました。
左右を住宅に囲まれたかまくら古道を歩いて行くと途中にあるのは
日枝社。
こちらは今回の八福神めぐりとは関係ありませんが、寄り道。
住宅街の道を歩いて、クネクネと曲がり小川を橋で越えて左にまっすぐに伸びる道の先には徳善寺。
お寺の立派な山門をくぐると
毘沙門天。
お年寄りの集団が同じように八福神めぐりをしているようでこの先、スタンプを押すのに混雑しそうな嫌な予感。
相鉄の高架下をくぐってしばらく行くと細い道の三叉路の真ん中に見えるのは
石仏・石柱群。
風雨のためか、三叉路の真ん中にあり車にぶつけられてか、かなり小さくなっており何の刻まれた文字は見にくく何かは不明。
しばらく歩いて厚木街道に突き当たる手前を左折。
寳蔵寺の裏門へ続く道です。
弁財天にお参りしてスタンプを押して、一服している間に集団登場。
集団到着前に撮影をしておけばよかったのですが、ちょっとしばらくは来ないだろうと油断したのが失敗。
時間差をつけるため昼食を摂ることに。
お腹一杯になった後は厚木街道を渡って
西福寺へ。
このお寺が一番落ち着きます。
布袋様を眺め、一服して隣の左馬社へ。
左馬社は毎年の鯖神社めぐりのスタート。
左馬、鯖、佐婆など色々な漢字を使っていますが「サバ神社」。
七サバめぐりはどことどこを指すのかは未だに分かりませんが毎年必ずくる神社なのでここをひとつと数えることにしています。
先に進むと三叉路の真ん中に再び、石柱・石仏群。
ここは先ほどと違ってちょっと大きめの三叉路(Y字路)にある
庚申塔と地神塔・道祖神。
場所が広いためかあまり痛んではなく何の石柱かは刻まれた文字から判別可能。
残りはあと二つ。
中原街道手前にある宗川寺は
福禄寿様。
ここはなぜかいつもスタンプ台の前で行列。
南側から回っている人と北側から回っている人たちの交差点か?
中原街道を越えてつぎの全通院勢至堂へ。
全通院勢至堂の石段を登ると
目の前に広がる風景はお札や正月飾りを焼いて、その火で木の枝の先に紅白のお餅を刺して焼くお餅焼きの行事中。
全く関係のない私ですが、地元の方が私にもおすそ分けしてくれまして行事に参加。
行事が始まるまでの間にスタンプを押して
記念撮影。
ここで頂いたお餅はその場で軽く炙って頂き、木の枝はそのまま魔除けになると聞きましたので持ち帰ることにしましたが
バスや電車での車内で邪魔にはならないかと思いましたが割と空いていたので無事帰宅。
※投稿内のリンク先はリコーTHETAで撮影した全天球画像です。
2015年_横浜瀬谷八福神