かなり前の話しだけれど、
ディスカバリー号で宇宙(うちゅう)に行った
野口聡一宇宙飛行士が、
SMAP×SMAPという
テレビ番組に出ていたのを、
見たことがありました。
当時(とうじ)の野口聡一宇宙飛行士が、
宇宙に行った、
いろいろな、楽しい話しを
してくれていました。
それで、当時の、
国民的アイドルグループだったスマップのメンバーは、
野口飛行士が、宇宙に行くまえにも、
野口さんと、いろいろ対談(たいだん)していたようで、
宇宙に行った後の野口さんを、見て、
「野口さんは、
宇宙に行って、宇宙を見て、
宇宙に行く前とは、人間が、変(か)わった!」
と、評(ひょう)していた。
ほんとうに、変わったか、どうかは、
わからないけれど、
確かに、青い青い地球を、
目の当たりに見て、
広大(こうだい)すぎる宇宙を
実際(じっさい)に見たら、
人間が、変わるかもしれない。
美しい地球、
広大な宇宙、
それを、見たあとでは、
いままでの、ちっぽけな殻(から)が、
取り払(はら)われ、
やさしく、大らかな、
愛に満(み)ちた、大きな人間になっても、
確かに、おかしくないと思う!
当然、行ったことがないから、
わからないけれど、
宇宙を見た衝撃(しょうげき)は、
それくらい、大きいかもしれないと思う。
そんな宇宙に、
未来は、だれでも、
行けるようになるかもしれない。
けれど、現在のところ、
そうは、いかない・・。
行けるにしても、
大変な訓練(くんれん)が必要だろうし、
そうでないにしても、
大変なお金が、必要となってくるだろう。
もし、大宇宙を、
自分の目で、見ることができたなら、
野口飛行士のように、
ちっぽけな殻(から)を、打ち破(やぶ)り、
愛に満ちた、
大きな大きな自分に、なれるかもしれない・・。
それは、夢なのだろうか?
いいえ!
夢では、ないと思う!
確(たし)かに、
実際に、宇宙に行って、
宇宙を見、感じることは、
できないかも、しれない。
けれど、
宇宙を、感じることは、
できる!
実は、それが、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だからです!
南無妙法蓮華経をとなえるということは、
実(じつ)は、
大宇宙と、自分の生命で、
通信(つうしん)しているようなものなんです。
宇宙と通信することができたなら、
それは、
宇宙を感じることになっていく。
宇宙的に考えると、
それが、
「南無妙法蓮華経を、となえる」
ということだと思う。
もう少し、詳(くわ)しく言うと
南無妙法蓮華経とは、
大宇宙の法則(ほうそく)であり、
大宇宙のリズムなんです。
もっと言えば、
南無妙法蓮華経それ自体(じたい)が、
大宇宙の生命そのものを、
表現しているんです。
だから、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とは、
大宇宙そのものと、言ってもいいと思う。
そして、その大宇宙の法則であり、
大宇宙のリズムである、
南無妙法蓮華経は、
小我(しょうが/小さな宇宙)である、
人間の中にも、
存在(そんざい)しているんです。
大宇宙の生命が、
南無妙法蓮華経であるとすると、
宇宙の一部分である、
自分の存在(そんざい)も、
南無妙法蓮華経だということです。
同じ「南無妙法蓮華経」というリズムであり法則が、
大宇宙にも、
自分の生命にも、
脈打(みゃくう)ち、
同じように流(なが)れ、存在している。
単純(たんじゅん)に言えば、
大宇宙が、「南無妙法蓮華経」ならば、
小宇宙である自分も、
「南無妙法蓮華経」だということです。
創価学会の人たちは、
日々、信じる対象(たいしょう)である、
『ご本尊(ほんぞん)』に、
南無妙法蓮華経を、となえて祈っていますが、
それは、
大宇宙の南無妙法蓮華経と、
自分の中の南無妙法蓮華経が
共鳴(きょうめい)していると、
表現できると思います。
それは、
大宇宙の生命(せいめい)の力、エネルギーに共鳴して、
自分の中にある生命の力やエネルギーが、
引き出されるイメージだと思う。
そして、その結果、
自分の生命は蘇生(そせい)し、
輝(かがや)いてきて、元気になり、
悩みを解決できたり、
夢や希望に向かって、
大きく飛翔(ひしょう)していくことが
できるようになっていく。
それが、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえるということです。
これも、もう少し詳しく言うと、
その「ご本尊(ほんぞん)」というのは、
実は、
その「大宇宙の法則」を、あらわしたものであり、
「大宇宙そのもの」を、
表現(ひょうげん)したものだと言えます。
それと同時に、
ご本尊は、
「小さな宇宙」である、
「自分自身の生命」を、
表現したものでも、あります。
だから、ご本尊は、
大宇宙の無限(むげん)の力と、
自分の中の無限の力の
両方(りょうほう)を表現したものだと、
言えます。
そして、
大宇宙にも、自分の中にもある、
大もとの無限の力が、
『南無妙法蓮華経』だということです。
大宇宙には、
南無妙法蓮華経という無限の力がある。
それと同じように、
自分の中にも、
南無妙法蓮華経という無限の力がある。
だから、大宇宙と交信(こうしん)するように、
ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていった時、
自分の中から、
無限の生命力、無限の勇気、
無限の希望が湧(わ)き上がってきて、
幸せを勝ち取っていけるようになっていく。
いわば、
ご本尊は、
「大宇宙の無限の力」の象徴(しょうちょう)であり、
それと同時に、
「自分の生命の無限の力」の象徴となります。
だから、ぼくたちが、
大宇宙の象徴(しょうちょう)であり、
自分の生命の象徴でもあるご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
大宇宙の生命と、
少宇宙である、自分の生命が、
共鳴(きょうめい)する!
なぜ、共鳴するかというと、
「大宇宙の生命のリズム」が、
南無妙法蓮華経であると同じように、
少宇宙である、
「自分の生命のリズム」も、
南無妙法蓮華経だからです。
大宇宙も小宇宙も、
どちらの生命も、
その本質(ほんしつ)は、南無妙法蓮華経!
だから、南無妙法蓮華経を、となえる時、
大宇宙と小宇宙は、
共鳴しあい、響(ひび)きあい、
無意識(むいしき)のうちに、
大宇宙の本質を、
感じることが、できる。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
かりに、
宇宙に行って、宇宙を見るにしても、
その宇宙でさえ、大宇宙の、
ほんのわずかでしかない!
無限の大宇宙から見れば、
宇宙を、実際に見たとしても、
米粒(こめつぶ)ほどの、
ほんのわずかでしかない・・。
けれど、南無妙法蓮華経は、
無限の全宇宙であり、
南無妙法蓮華経を、となえることは、
その無限の全宇宙を、感じることに、
つながる!
おそらく、
こんなに、すごく、
こんなに、素晴(すば)らしいことは、
ないだろう!
宇宙的に考えると、
南無妙法蓮華経を、となえるということは、
そういうことかもしれない・・・。
だから、創価学会の人たちが、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえる時、
すがすがしい気持ちに、なる!
自分のなかに、
晴(は)れ晴れとした、
大きな大きな心を、感じる!
おそらく、それは、
そのまま、
大宇宙を、感じていることに、
ほかならないのでは、ないだろうか・・・。
本来(ほんらい)、大宇宙のリズムは、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』。
そして、自分の生命の本来のリズムも、
本当は、『南無妙法蓮華経』なんだけれど、
生きていく上での、
さまざまな悲しみや苦しみ、
自分の持っている、
さまざまな運命(うんめい)や宿業(しゅくごう)によって、
自分の生命のリズムに、
「ゆがみ」が、生(しょう)じてしまい、
さまざまな不幸を、引き起こす!
宿業とは、
自分が生まれながらにして、
持ち、背負(せお)ってしまっている、
悩みや苦しみや辛(つら)い境遇(きょうぐう)など、
どうしても避(さ)けることのできない、
人生における、
さまざまな辛い宿命(しゅくめい)、
そして、そのことによって引き起こる、
運命的な出来事などを、言います。
その、宿業(しゅくごう)ともいえる、
自分の中に、できてしまった、
『不幸』という生命の「ゆがみ」は、
普通の生活の中では、どうにもならない!
その『不幸』という生命の「ゆがみ」を、
本来のリズムに、もどさないかぎり、
その生命は、
幸せには、なっていかないはずです。
自分の、ゆがんでしまった、
「生命のリズム」を、
正常(せいじょう)なリズム、幸せのリズムに、
もどすためには、
宇宙のリズムが、『南無妙法蓮華経』なんだから、
小宇宙である、自分の生命(自分自身)も、
『南無妙法蓮華経』のリズムになるしかない。
だから、そのためには、
自分で、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
しかないんです!!
それ以外、
自分の生命の、
狂(くる)ってしまったリズム、
不幸になってしまったリズムを、
本質的に、治(なお)し、
正常なリズム、幸せのリズムに、
もどす方法は、ありません!!
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
大宇宙のリズムと、
小宇宙である自分の生命のリズムが、
完全に、
合致(がっち)していくんです!!!
だから、夢や希望が、かない、
さまざまな悩みが、解決し、
どんな苦難(くなん)も、乗り越(こ)えて、
幸せになっていけるんです!
『大宇宙のリズムと小宇宙(自分自身)のリズムを、
合致(がっち)させる!』
きっと、それが、
本当に大宇宙を、感じることであり、
それが、大宇宙の法則なんだと思う・・。
創価学会の人たちが、
全世界で、幸せになっていけるのは、
そういう理由が、
あるのかも、しれない。
まだまだ、言葉が足(た)りないけれど、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
そこまで、広大で、
そこまで、深く、
無限の真実(しんじつ)を、秘(ひ)めている・・・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・