フランスの女性哲学者(てつがくしゃ)、
シモーヌ・ベーユが、言っているそうです。
「生命に障害(しょうがい)となる、
あらゆるものとの戦いが、
革命(かくめい)なのである」
と・・・!
前に聞いた話しだけれど、
人間は、戦っているから、
生きているんだそうです。
人間の中の、あらゆる細胞(さいぼう)は、
起きている時も、寝ている時も、
生命に危害(きがい)を加えようとする、
ありとあらゆる細菌(さいきん)や病原菌(びょうげんきん)、
それらすべてと、戦っている・・・。
だから、ぼくたちは生きている。
生命(せいめい)を、つかさどるそれらの細胞が、
戦うのを、やめたら、
ぼくたちは、腐(くさ)って、
ただのゴミのようになって、
死んでしまう。
戦うことは、大変なようだけれど、
生命にとって、それは、
必然(ひつぜん)のことなのでしょう。
だから、生命は、
『戦(たたか)う』ことによって、
成り立っていると、言えるかもしれない。
それに、人間が本当(ほんとう)にイキイキしているのは、
確かに、何かに挑戦している時のような気がする。
そういうときは、大変かもしれないけれど、
確かに、
輝(かがや)いてきて、
生きがいを感じる!
『革命(かくめい)・・・』
シモーヌ・ベーユが、言っている。
「生命に障害となる、
あらゆるものとの戦いが、
革命なのである」
と・・・!
そう考えると、
『革命』は、『生きる!』ためにあるのだろう・・。
また『革命』は、『輝(かがや)く!』ために、
あるのだろう・・・。
そう考えると、
『革命』とは、
『幸せ』になるための『挑戦(ちょうせん)』!
そのものなんだと思う。
それが、
シモーヌ・ベーユが言う、
『生命における革命』なんだと思う。
革命というと、血(ち)なまぐさいことを、
考えがちだけれど、
シモーヌ・ベーユが正しければ、
革命とは、少なくとも、
人間を、殺すことでは、ないと思う。
人間を、殺すのでは、なくて、
人間を、活(い)かすこと。
それが、ほんとうの革命なのだろう・・。
ひとりの人間にスポットを、
当(あ)てるのならば、
「生きて、生きて、生き抜(ぬ)くこと!」
それが、生命における、
真実(しんじつ)の革命のはずです・・。
だとしたら、
仕事における困難(こんなん)を打開するのも革命、
さまざまな悩(なや)みを解決するのも、革命、
一人の人間の悩みを聞き、
励(はげ)まし、元気づけるのも、革命、
病気を、乗り越(こ)えるのも、革命、
老(お)いに、負けないで生きるのも、革命!
夢を、かなえるのも、革命。
家族を思い、家族を愛し、
家族と共(とも)に、生き抜くのも、革命!
人間が、生きることには、
たえず、障害はあります。
けれど、障害に負(ま)けないこと、
障害を乗(の)り越えて、生きることが、
革命なのかも、しれません・・・。
革命というと、何か、
とんでもないことのように、思うけど、
また、何か、
特別(とくべつ)の立場(たちば)の人でないと、
関係ないように、思うかもしれないけれど、
革命は、もっと身近で、
もっと、
自分に関係あることなのかも、しれない・・・。
それが、
シモーヌ・ベーユが言う、
『生命における革命』
なのかもしれない・・・。
だから、
シモーヌ・ベーユが、言うように、
すべての人間に、革命は、ある。
瞬間(しゅんかん)、瞬間、
ひとりひとりに、革命は、ある!
一瞬、一瞬、自分の生命は、
叫(さけ)んでいるのかもしれない。
「負けるな!負けるな!乗り越えろ!!」
その生命の戦いが、
『革命』なのでしょう。
そして、その瞬間、瞬間、
一瞬(いっしゅん)、一瞬の生命を、
変革する力(ちから)のことを、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
と、言うことができます。
『南無妙法蓮華経』は、
生命を変革する力(ちから)そのものだからです。
だから、創価学会(そうかがっかい)の人たちは、
さまざまな悩みに直面(ちょくめん)したときに、
『南無妙法蓮華経』を、となえる。
夢を、希望を、
どうしても、かなえたい時に、
『南無妙法蓮華経』を、となえる。
それは、自分の生命に、
革命を、起こすためです!
そして、
創価学会では、
この革命のことを、
『人間革命(にんげんかくめい)』
と、いう!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
池田先生(創価学会インターナショナル会長)
の言葉!
『ひとりの人間における、
偉大(いだい)な人間革命は、
やがて一国の宿命(しゅくめい)の転換をも、
成し遂(と)げ、
さらに、
全人類の宿命の転換(てんかん)をも、
可能にする!』
これは、生命の叫び声かも、しれない。
ひとりひとりが、持っている、
本当の生き様(ざま)!
本当の価値(かち)!
本当の生きがい!
それが、『人間革命』なのかも、しれない!
そして、その人間革命が、できる、
唯一(ゆいいつ)の生命の法則(ほうそく)が、
『南無妙法蓮華経』です。
どういうことかというと、
悩みを解決するにしても、
夢や希望をかなえていくにしても、
困難を乗り越えていくにしても、
生命の根底(こんてい)では、
それを可能にし、つかさどっているのは、
この『南無妙法蓮華経という法則』だと
いうことです。
宇宙を動かしている根底のもの・・、
生命を変化させている根源(こんげん)にある力・・。
それが、『南無妙法蓮華経』だということです。
よく言うことだけれど、
人それぞれ、宿命(しゅくめい)がある。
なぜ、宿命というかというと、
それが、なかなか変(か)えられないからです。
変えられないから、人は、苦(くる)しむ。
その自分が背負(せお)っている、
どうしようもないような苦しみや運命、
抜(ぬ)けるに抜けられない宿命・・。
その宿命を打ち破っていける、
唯一(ゆいいつ)の秘宝(ひほう)が、
『南無妙法蓮華経』だということです。
あらゆる困難を打ち破り、
あらゆる幸せをもたらしていける力(ちから)・・。
それが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです。
だから、
「南無妙法蓮華経をとなえる」ことなくして、
宿命を変革(へんかく)していくことは、
できない・・・。
横暴(おうぼう)なようで、
それが、真実だと言えます・・・。
どんなに、あがいたとしても、
どんなに悩んだとしても、
どんなに逃(に)げても、
本当に幸せをもたらし、
現実に、プラスの変化(へんか)、幸せの変化、
幸運の変化をもたすら方法は、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
しかない・・・・!
人生の根本的(こんぽんてき)な幸せの変化は、
南無妙法蓮華経を、となえることに始まり、
最終的にも、結局(けっきょく)
南無妙法蓮華経を、となえることに
たどり着く。
そう、言えると思います。
だから、
人間が、生きて生きて生き抜く上での、
革命とは、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
ことに、ほかならないと、
言い切ることが、可能(かのう)となる・・・!
なぜなら、
そこから、すべてが、
変革していくからだ・・・・・・!!!
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・