友達とかに、
創価学会(そうかがっかい)の話しをすると、
「創価学会にも、宗教にも、
興味(きょうみ)はないし、
自分にとって、価値(かち)も必要もないものだ!!」
とか、言われたりする場合がある。
「敬(うやま)うのは自分の先祖(せんぞ)であり、
大切にしたいのは家族であり、
友達であり自然であるから、
創価学会も、宗教も、必要(ひつよう)ない!」
みたいなことを、
言われたりしたこともあった。
確(たし)かに、そうです。
普通(ふつう)に考えて、
宗教(しゅうきょう)に興味がある人なんて、
まず、いない。
興味があるのは、
自分に、密接(みっせつ)に、
かかわりのあるものです。
自分の大切な家族、
大切な友達、
大好きな、自然、
自分が好きで興味があるもの、すべて。
そして、
もっと言えば、自分の幸せ!
ようするに、
自分の幸せと、宗教とは、
まったく、関係ないもので、
自分の幸せと、宗教とは、
いっさい、結(むす)びつかない、
かけ離(はな)れた、くだらないものが、
宗教だと、言いたいんだと思う。
確かに、それは、
よく、わかる!
なぜなら、
何十万とある宗教の、
99.9%、ほとんどが、
自分の幸せとは、まったく、結びつかない、
くだらない宗教だからです。
自分の知っている宗教が、
ほとんど、くだらない、
エセ宗教だから、
そう思うのも、
理(り)に、かなっている。
けれど、ほんとうは、
そういう宗教は、宗教とは、言わない。
そういうものを、
『邪宗教(じゃしゅうきょう)』
と、いう。
ただし、くだらないと言っても、
その邪宗教は、
人に、
さまざまな、悪影響を及(およ)ぼす。
詳(くわ)しいことは、はぶくけれど、
たとえば、
先祖を敬(うやま)うというけれど、
それも、宗教です!
そこには、必ず、
その人が嫌(きら)っているはずの宗教、
もっと言うと、
『邪宗教(じゃしゅうきょう)』が、
かかわっていたりする。
邪宗教というのは、
人を、不幸にする。
これは、一般的(いっぱんてき)に考えても、
だいたいの人が、
よく、わかると思う。
ようするに、
邪宗教は、その人の人間らしさ、
人間性を破壊(はかい)し、
かたよった、おかしな人間にしてしまう。
これも、よくわかると思う。
だが、
邪宗教の悪影響(あくえいきょう)は、
それだけではない。
邪宗教の影響(えいきょう)で、
自分の心や生命が、かたよった、
おかしなものになってしまった結果として、
自分の人生を破壊し、
また、病気など、
自分の生命そのものを、
破壊する結果になってしまうからです!
結論(けつろん)からいうと、
人生における、
さまざなな不幸、
病気や災難(さいなん)、絶望などは、
間違った邪宗教から起こるといっても、
間違(まちが)いではない!
不幸の根源(こんげん)には、
必ず、邪宗教がある。
さて、宗教に興味がないと言っている人たちも、
先祖を、うやまったりはしています。
ところが、
そこには、かならず、
宗教が、からんでくる。
その宗教が、
邪宗教だったら、どうだろう?
正直に話せば、日本にはびこっている、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)、
神社信仰(じんじゃしんこう)、観光宗教などは、
でたらめの間違ったことをやっていますから、
人を不幸にする邪宗教だと言えます。
話しをもどすと、
いくら先祖をうやまうと言っても、
その宗教が、邪宗教であったならば、
先祖を、敬(うやま)うどころか、
先祖も、自分も、
不幸に、引きずり込(こ)んでいる!
というのが、
本当のところです。
わからないようで、
ほんとうに厳密(げんみつ)で、きびしく、
科学(かがく)のように、
はっきりと、結果が出てくるのが、
宗教だからです。
実(じつ)は、宗教は、
知らず知らず、
自分の人生に、影響を与(あた)えている!
さっきも言いましたが、
ほんとうは、
不幸の根源は、間違った宗教にある!
と、言い切(き)ることが、できる。
こんどは、逆(ぎゃく)に、
真実の宗教(正しい宗教)の必要性について、
考えてみたいと思います。
問題は、
先祖を、本当に敬(うやま)うには、
どうしたらいいのか?
家族を、本当に幸せにするには、
どうしたらいいのか?
友達を、自然を愛(あい)し、
大切にするには、
本当は、どうしたらいいのか?
ということです。
そのすべてを実現する、
真実の行動、生き方、方法が、
仏法(ぶっぽう)には、
説かれている。
なにも、葬式仏教みたいに、
説教(せっきょう)めいたことを言うのが、
仏法ではない。
そんなものは、エセ仏教です。
ようするに、
もっともっと、
先祖を大切にしたいし、
家族を大切にしたいし、幸せにしたい。
もっと、もっと、
友達を大切にしたいし、
自然を、大切にしたい!
そのためには、どうしたら、いいのか?
現実の自分と、
最も、密接(みっせつ)に、かかわっているもの!
それらを、もっと幸せにしたいし、
幸せを、感じたい!!
そのことを、確実に、100%、
実現してくれるもの!
それが、実は、
仏法(ぶっぽう)であり、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる』
ということであり、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰です。
宗教に興味あるから、
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえるんではないんです。
『ご本尊(ほんぞん)』とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたもだけれど、
それは、そのまま、
自分の生命そのものを、あらわしてもいる。
自分自身の生命(せいめい)の中に、
その、必ず幸せになっていける、
仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、
あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。
どういうことかというと、
自分自身の生命に、
必ず、幸せになっていける、
仏(ほとけ)の生命が、そなわっているので、
そのことを表(あらわ)したご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
その仏(ほとけ)の生命が、
自分の中から、引き出され、
その結果、
必ず、幸せになっていく!
ということです。
それが、ご本尊です。
だから、ご本尊は、
自分の生命の鏡(かがみ)のようなものなんです。
ご本尊は、自分の生命をうつす鏡だから、
そのご本尊に対(たい)した時、
自分の中にある無限(むげん)の可能性、
勇気、希望、
幸せになる、あらゆる力が、写(うつ)し出され、
それを、無意識(むいしき)のうちに、
認識(にんしき)できるようになってくる。
そして、そのご本尊に
「南無妙法蓮華経を、となえていく」ことによって、
自分の中から、勇気や希望、
幸せになる、あらゆる可能性と力が、
湧(わ)き上がり、
引き出されていくんです。
そして、それは結局(けっきょく)、
最高の幸せを、
もたらす結果となります。
だから、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえるのは、
自分に、家族に、友達に、
世界に、自然に、
最大の興味が、あるからであり、
最大の興味である『幸せ』に、
最も、直結(ちょっけつ)しているから、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえるんです!
そして、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』は、
だれもが望み大切にしたいと思っている、
人間として尊(とうと)ぶべき心と、
人間らしい生命を、
自分の中から、
最大に引き出し、輝(かがや)かせ、
もっとも、人間らしく素晴(すば)らしい、
『自分が、最も大好きな自分』
を、引き出してくれるんです。
ほんとうは、人間として、
最高の人間であろう!とすること、
そのものが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
と、いうことだと思います。
だから、
宗教嫌(ぎら)いの人が、よく言う、
『自分を、信じる』とは、
どういうことかと言えば、
本当(ほんとう)は、
自分自身の生命の鏡(かがみ)である、
『ご本尊』に、
『南無妙法蓮華経を、となえること』そのものが、
自分を、本当に信じることに、
ほかならない!
と、言い切れる。
自分を、信じると言っても、
ご本尊を否定(ひてい)し、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、否定すれば、
それは、結局、
自分否定になり、
自分を、信じないことに、
なってしまうからです。
だから、自分を信じたいのならば、
また、家族や友達、
自然や世界を、大切にしたいならば、
本当は、創価学会が実践する、
真実(しんじつ)の仏法が、必要であり、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ということが、
なによりも大切になっていきます・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
「敬(うやま)うのは自分の先祖であり、
大切にしたいのは家族であり、
友達であり自然である」
と、言うのなら、
即座(そくざ)に、
この創価学会の、ご本尊に向(む)かい、
南無妙法蓮華経を、となえるべきです!!
仏法は、宇宙の法則(ほうそく)であり、
生命の法則なんです。
だから、
きびしく、厳密(げんみつ)に言えば、
それが、できないということは、
宇宙(うちゅう)の法則、生命の法則に
逆(さか)らうことになってしまうから、
それは・・・、
「先祖は大切にしない、
家族も、大切にしない!
友達も、自然も、大切にしない!
幸せにはならない!」
ということに、
本当は・・・、
深(ふか)い意味では、
なってきてしまいます・・・。
また、現実に、そういう結果が、
将来(しょうらい)、でてきてしまう可能性が、
多々(たた)ある・・・!
それが、
宇宙の法則であり、生命の法則である、
仏法の、南無妙法蓮華経の原理(げんり)です。
この原理に、ウソはない!
また、この仏法(ぶっぽう)の原理に逆らえる人は、
世界に一人もいない・・。
だから、ある意味、こわい・・・!
宗教に興味がある人なんて、
まず、いない!
けれど、
自分の幸せに興味が無(な)い人も、いない!
自分や、家族、友達や世界、
それらへの興味と愛情が、
強ければ、強いほど、
南無妙法蓮華経の仏法、
自分自身の生命の鏡(かがみ)である、
ご本尊(ほんぞん)への信仰、
創価学会が実践する、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』ことを、
根本(こんぽん)とした仏法の信仰は、
どうしても、
必要不可欠(ひつようふかけつ)となり、
これからも、時代とともに、
その必要性が、
証明(しょうめい)されていくことでしょう。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・