先日、会社で、
すごく、いやなことがあって、
ムシャクシャして、いらいらして、
心が、すごく、すさんでいました。
たまたま、
どうしても行かなければいけない
創価学会(そうかがっかい)の会合があって、
参加したんだけれど、
創価学会の心の、あったかい人間に、
接(せっ)していたら、
だんだん、すさんだ心が、落ち着いてきて、
会合から帰る時には、
スッキリした、気分の良い、
前向きな心になって、
帰ってきました。
これって、スゴイことだと思う。
こういう時こそ、
創価学会員で、良かったと思い、
感謝を、おぼえます。
人は、接していく人間に、
影響(えいきょう)を受けやすいということだと思う。
日蓮大聖人も、
「人間は、良い仲間に接していると、
その良い香(かお)りに、そまっていき、
自分も、良い人間になっていく。
逆に、悪い仲間に接していると、
その悪い臭(にお)いが、しみついてしまい、
自分も、悪い人間になっていく。」
というようなことを、
言っていた。
現実の戦場のような世界に
生きていると、人生、
いろいろなことが、ある!
ムシャクシャするようなことが、
無いほうが、おかしいし、
そういうことの連続だと思う。
その中で、自分を、立て直(なお)していくことは、
なかなか、大変だと思う。
自分は、創価学会の良き仲間がいるから、
その良い香(おか)りに、ふれて、
自分を、見失わずに、すむ。
けれど、これが、
もし、創価学会員でなかったら、
さまざまなプレッシャーの中、
どれだけ、心が、すさんでしまっていたことか!
その蓄積(ちくせき)が、どれだけ、
自分を傷(きず)つけ、
人生を、台無(だいな)しにしていたことか!
そう、思うと、ゾッとする。
創価学会のある婦人が、言っていた。
「創価学会員でなかったら、
どれだけ、殺伐(さつばつ)とした、
寂(さみ)しい人生になっていたことか・・!」
世間一般的に、
人は、
さまざまやプレッシャーや、イライラ、
痛手を、解消(かいしょう)しようと、
お酒を飲んだり、レジャーに
熱中したり、
エステ・リラクゼーション系の趣味に、
熱中したりして、
何とか、その痛手を、解消しようとしている。
それが、悪いとは、言わないけれど、
そこには、自分の痛手を、根本から
解消する、方途(ほうと)と、価値(かち)が、
ほんとうは、無いように思われる。
おそらく、生命に、きざまれた、
痛手や、イライラは、蓄積(ちくせき)されて、
残ったままだと思う。
その中で生きるのが、
どれだけ、大変か!と思うと、
創価学会に入った自分としては、
正直、かわいそうに、思えてくる。
すでに、創価学会を知り、
創価学会の素晴らしさを、
実感(じっかん)している自分としては、
もう、上にあげたような生き方は、
したくないし、もう、
できないだろうと思う。
それを思っただけで、
その殺伐(さつばつ)とした心が、浮かんできて、
ゾッとするからです!
逆に言えば、
創価学会員であることが、
どれだけ、幸せか!
ということだと思う。
創価学会員であるということが、
どれだけ、満(み)ち足りたことか!
創価学会員であることが、
どれだけ、人生を、
輝(かがや)かしく、魅力的なものに、
していてくれるか!
それだけで、
創価学会員であることの価値は、
ありすぎるくらい、あると思う。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・
創価学会の人に、触(ふ)れていると、
すさんだ心が、だんだん、消えて、
あったかい、すがすがしい心に変わっていく。
(当然、真面目に、創価学会の信仰と活動を、
やっている人のことを、さします)
それは、なぜ?だろうか?
それは、当然、
南無妙法蓮華経を、となえているからだと、
思う。
『妙(みょう)とは、蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』
と言って、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
自分の生命が、蘇生(そせい)していく。
心が、きれいになり、元気になり、
すがすがしく、さわやかになっていき、
生きるのが、気持ちよくなっていく。
また、南無妙法蓮華経とは、
宇宙の法則(ほうそく)でもあり、
生命の法則でもある。
南無妙法蓮華経を、日々となえているということは、
その宇宙の法則、生命の法則にのっとって、
生きていることになる。
だから、宇宙の法則、生命の法則にかなった、
生き方、生活を、していることになるので、
当然、サーフィンを楽しむように、
気持ちよく、スムーズに、
幸せを感じながら生きることになる。
創価学会は、その南無妙法蓮華経という、
宇宙の法則、生命の法則に
がっちりとギアが噛(か)み合い、
その宇宙の法則に最高にかなった活動と行動を
している団体であり、場所だということもできます。
だから、創価学会そのものが、
南無妙法蓮華経という宇宙の法則であり生命の法則であり、
また幸せの法則のなかに、
存在していると、いうこともできます。
だから、その創価学会の活動の中に、
身を置(お)くことによって、
自分の生命も浄化(じょうか)され、蘇生(そせい)して、
元気になってくる。
輝いてくる。
それは、宇宙と生命の法則にかなっているからです。
だから、それは、
日々の痛手やストレス、
傷ついた生命を、蘇生(そせい)させることになり、
その繰(く)り返しの中で、
悩みや問題を解決できたり、
自分の幸せに向かって、
夢や希望も、かなえていける方向に、
進んでいける。
それが、創価学会という場所であり、
創価学会が、やっていることだと思う。
そして、それは、
当然、日々の生活の中に、
現(あらわ)れてくる。
創価学会の中で、南無妙法蓮華経を、となえている、
その生命の香(かお)りは、
自分だけでなく、職場を、地域を、
世界を、良い香(かお)りに、変えていく!
単純に言うと、
世界を、幸せに変えている!ということです。
その力(ちから)は、スゴイ!
だから、創価学会の人たちは、
ほんとうは、職場の中でも、
地域の中でも、世界の中でも、
決して、欠(か)かせない、貴重(きちょう)な、
かけがえのない存在なんだと思う。
けれど、それを、世間の人たちは、
なかなか、気づかない。
それを、気づくのは、
創価学会員の、その人が、
いなくなった時だろう・・。
けれど、ほんとうは、
それでは、もう、
遅(おそ)すぎる・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・