ブック・オフで、ヘミングウェイ短編集3がないかなと探していたら、こちらが目に入って購入。ヘミングウェイより9歳年下の、サローヤンさんだ。
元々の原題は、“One Day in the Afternoon of the World”(1964年)。66年に、『人生の午後のある日』というタイトルで訳が出ていて(大橋吉之輔訳、荒地出版社)、今回は『ワン デイ イン ニューヨーク』。
「初めは『この世の一日、とある午後』と、本書を中年らしく解釈していたわたしも、訳了後は、おいしい水のようなこの一冊を『ワン デイ イン ニューヨーク』と名づけたく、原題といささか変更したことを、サローヤンさんと読者の皆さんに一言釈明いたします。しかし、まさにそうした一冊ではないでしょうか。」
と、訳者の今江祥智さんがあとがきで仰っている。
主人公が自分の戯曲のタイトルについて、プロデューサーと言い争うところがあって、面白かった。なんと、『私の金(my money)』か、『キス、キス、キス!』かでもめている。主人公は断固として、『私の金』で譲らないけどね。上記とは特に関係ないけど、思い出した。
最初の十数ページで、いつの間にか、主人公の人となりやその家族や、周りの環境が分かってしまう。ほとんど会話をしているだけで。ラストの十数ページで、一気にスピードがあがる。それまでの色々な出来事が、一気に収束して行く。このスピード感は気持ち良かった。
親友との会話、エージェントとの会話、息子との、娘との会話。
すべて生き生きして面白かったけど、最後の、別れた妻ローラとの会話を抜き書き。
※
「わたしは楽しいときが好き。いまが好き。あとのことは考えたくないわ」
「いまだってあとと同じなんだよ」
「何かがほしいとしたら、それを手に入れるためには何かしなきゃならないわけ?」
「それ以外にないじゃないか」
「与えられるってこともあるわ」
「愛情は与えられることもあるさ。ほかのものは違うね。もし愛情じゃ不充分というのなら、満足できるものを見つけることを考えなきゃならんだろ。たとえば、いい芝居の主役をやりたいのに、誰もやらせてくれんとしたら、そいつを手に入れるための一つの方法は、そんな芝居を書くことだ」
「どんなふうに?」
「本気なら簡単さ。そうじゃないのなら、違うね。とっても難しいね。おそらく不可能だ」
「ほしいものを手に入れられるほかのやり方がある?」
「ないね。自分のほしいものを知らなかったり、はっきりしなかったりなら、要りもせんものを手に入れたり、別の物を手に入れたりする方法はいくらでもあるさ。ただし、自分のほしいものを獲得する道はただ一つ、自分で行ってそれを獲得することだ。君は本当のところ何もほしくはないのかもしれない。とかく、たいていの人がそうなんだよ。それはそれでまた意味もあるんだ」
「わたしのほしいものが百万ドルだったら?」
「自分がいま出てるような芝居を書くことさ。あの芝居は百万ドルを当てこんで書かれてるってさっき言っただろ」
「ほかに百万ドル手に入れられる方法ないの?」
「二百万ドル持ってる男と結婚するんだな」
「ほかには?」
「金持ちの父親を持つこと」
「ほかには?」
「ヒット商品を発明して特許をとることだな」
「ヒット商品って何なの?」
「わからんよ、でもそれを発明してごらんよ、きっと百万ドル手に入るさ」
「飲みましょうよ、うんと」と、ローラ。
「いいや」
(p.310~p.311)
ウィリアム・サローヤン著、今江祥智訳、昭和58年、ブロンズ新社。今回は、新潮文庫版(昭和63年)。
元々の原題は、“One Day in the Afternoon of the World”(1964年)。66年に、『人生の午後のある日』というタイトルで訳が出ていて(大橋吉之輔訳、荒地出版社)、今回は『ワン デイ イン ニューヨーク』。
「初めは『この世の一日、とある午後』と、本書を中年らしく解釈していたわたしも、訳了後は、おいしい水のようなこの一冊を『ワン デイ イン ニューヨーク』と名づけたく、原題といささか変更したことを、サローヤンさんと読者の皆さんに一言釈明いたします。しかし、まさにそうした一冊ではないでしょうか。」
と、訳者の今江祥智さんがあとがきで仰っている。
主人公が自分の戯曲のタイトルについて、プロデューサーと言い争うところがあって、面白かった。なんと、『私の金(my money)』か、『キス、キス、キス!』かでもめている。主人公は断固として、『私の金』で譲らないけどね。上記とは特に関係ないけど、思い出した。
最初の十数ページで、いつの間にか、主人公の人となりやその家族や、周りの環境が分かってしまう。ほとんど会話をしているだけで。ラストの十数ページで、一気にスピードがあがる。それまでの色々な出来事が、一気に収束して行く。このスピード感は気持ち良かった。
親友との会話、エージェントとの会話、息子との、娘との会話。
すべて生き生きして面白かったけど、最後の、別れた妻ローラとの会話を抜き書き。
※
「わたしは楽しいときが好き。いまが好き。あとのことは考えたくないわ」
「いまだってあとと同じなんだよ」
「何かがほしいとしたら、それを手に入れるためには何かしなきゃならないわけ?」
「それ以外にないじゃないか」
「与えられるってこともあるわ」
「愛情は与えられることもあるさ。ほかのものは違うね。もし愛情じゃ不充分というのなら、満足できるものを見つけることを考えなきゃならんだろ。たとえば、いい芝居の主役をやりたいのに、誰もやらせてくれんとしたら、そいつを手に入れるための一つの方法は、そんな芝居を書くことだ」
「どんなふうに?」
「本気なら簡単さ。そうじゃないのなら、違うね。とっても難しいね。おそらく不可能だ」
「ほしいものを手に入れられるほかのやり方がある?」
「ないね。自分のほしいものを知らなかったり、はっきりしなかったりなら、要りもせんものを手に入れたり、別の物を手に入れたりする方法はいくらでもあるさ。ただし、自分のほしいものを獲得する道はただ一つ、自分で行ってそれを獲得することだ。君は本当のところ何もほしくはないのかもしれない。とかく、たいていの人がそうなんだよ。それはそれでまた意味もあるんだ」
「わたしのほしいものが百万ドルだったら?」
「自分がいま出てるような芝居を書くことさ。あの芝居は百万ドルを当てこんで書かれてるってさっき言っただろ」
「ほかに百万ドル手に入れられる方法ないの?」
「二百万ドル持ってる男と結婚するんだな」
「ほかには?」
「金持ちの父親を持つこと」
「ほかには?」
「ヒット商品を発明して特許をとることだな」
「ヒット商品って何なの?」
「わからんよ、でもそれを発明してごらんよ、きっと百万ドル手に入るさ」
「飲みましょうよ、うんと」と、ローラ。
「いいや」
(p.310~p.311)
ウィリアム・サローヤン著、今江祥智訳、昭和58年、ブロンズ新社。今回は、新潮文庫版(昭和63年)。