私が3PEの方の病気を見つけてもらう前にも、生活に及ぶ支障は相当なものでした。
とにかく痛くて起きられない、動けない、歩けない、立っていられない、気を失ってしまう。
これらの現象は「仮病」なので、気合いでなんとかしなくてはいけませんでした。
でも、気合ではどうにもこうにも、限界がすぐに訪れてしまいます。
ある日、主人が通勤の途中で「ペインクリニック」という看板広告を見つけたと話し出しました。
早速インターネットで調べてみると、麻酔科の先生のクリニックで、痛みに関していろいろアプローチしていますということでした。
もう藁にもすがる思いで、ダメ元でも(先生!ごめんなさい!)いいから行ってみよう、ということになりました。
しょっちゅう訪れるし、今も私に訪れるのが「病院に行きたくない症候群」です。
はああ、めんどうだなあ、お金もかかるし、みたいなそんな適当な理由ですが、とにかく病院とかクリニックに行くのが嫌です。
今も、病院に行く日の前日から、ため息を漏らし続けています。
夫も娘も、わかるわあ、とここは支持的精神療法でもって、くさくさする私を放っておいてくれます。
そんな私がドクターショッピングをするのですから、それはどういうことか、お察しいただければ幸いです。
決して、働いているみなさんの血税を使い果たしに行っているわけではありません。
ほんとに、なんとか、なんとかしてほしい、なんとかなってほしいという切実な願いでした。
診察を受けましたところ、とても元気な女性の先生でした。
明るくて、思考も明瞭かつ闊達な感じで、看護師やスタッフの皆さんも静かな中にも元気な印象があって、その空間がとっても眩しく感じました。
診断の経緯などは覚えていないのですが、とにかくブロック注射をしてみましょうということになりました。
ブロック注射とは、局所麻酔のことです。
私は星状神経節ブロックというものを試みることになりました。
首の付け根のあたりにですね、ずずずと注射針を刺しまして、そこに麻酔薬を入れてもらうという治療です。
左右に2つありますから、受診1回につきどちらか、交互に打ってもらいます。
打ってもらった後は、最低10分ほど経過を観察して問題がないことを確認できたら帰宅できるので、しばらく処置ベットに横たわっていました。
作用は交感神経に対するアプローチとかで、今考えればリウマチ系疾患の対処療法として非常に有効だったろうと思います。
打ってもらった方の瞼のあたりの筋肉が全く作用しなくなる現象が起こります。ですので、はっきり言って片目を開けられません。フランケンシュタインみたいな?とにかく、これが効いている証でもあるので、よし!と思うのですが、変ではあります。
目をつぶっている状態でてくてく歩きます。時々ふらふらしますが、それは神経系統の問題なのか、はたまた視覚が不自由になっているからなのかは私自身わかりませんでした。
でも、痛くなくなるので、私には大切な治療に思いました。
慣れてきた頃に、ふと処置の準備風景を拝見しましたところ、太い針なんですね。
「おお!こんなに太いのか。」なんて思ったりして。
先生は子供にも寛容に接してくださったので、通院することができました。
「ふといね!」という娘に「そうよお、お母さんは全く痛がらないね、強いわよお。」と励ましてくれました。
娘はいつも「すごいすごい、先生すごい!ママすごい!」と目をキラキラさせていました。
結構痛いらしいです。が、私は全くと言って良いほど痛くありませんでした。
全身が痛かったため、もうそんな注射くらいどうでもよかったのだろうと思います。
効果は長続きしませんので、週に3回とか通っていました。
常連さんのようになった私を不憫に思ったのか、はたまた自然体なのか、看護師さんたちも先生も私に楽しい話をしてくださることもありました。
辛い時も悲しい時も、楽しい時も忙しい時も、どんなときも、私の見つめる風景は病院の天井でした。
病院の天井はジプトーンというあの黒い点々がついた天井の素材です。
ようやく娘が幼稚園に行き始めたころの話でした。
夫が仕事に出かけ、娘を幼稚園に送り届け、その足で病院に向かい、治療を受けて戻るとお昼ご飯を食べる時間を過ぎます。食べ終えて、自分のできる家事をほんの少しやれば、また娘を迎えに行く時間でした。
家の天井と病院の天井。
そればかり見つめる日々。
私は一体なんのために生きているのか、だんだんわからなくなってきました。
あくまでも対処療法であることは私も主人もわかっていましたが、私が動くためには必要な治療でした。
動くことは、私のしたいことをするのではありません。
トイレに行くとか、食事を食べるとか、そういう人間の基本的な行動のためでした。娘の送迎をするのがやっとこさで、育児をやってるなんて偉そうなことは何一つ言えませんでした。
家事は、大方ひとまかせ、機械任せでした。
私は娘を幼稚園に行かせている時間は、治療を受け、痛みに耐え、生き続けるために使われました。
生きること、息をし続けること、そのために生きていました。
私がしたいことややるべきことなんて、考えてはいけません。
ジプトーンを見あげながら、何やってるんだろうと思ってしまう私がいました。
いつか、きっと思い出になる日が本当にくるのだろうかと思いました。
きっと思い出になる日はくる、だから生きているのだと、ただ流れてくる感情を流し続ける、そんな日々でした。