ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

お詫びと訂正。

2016-03-18 13:32:37 | 日記
みなさん、NO875のお詫びと訂正をさせて頂きます。

松ちゃんがスイスへ飛んで今日で3日目ですって書きましたが、3~4週間前に聞いた予定をそのまま鵜呑みにして更新してしまいました。

某大学の研究室で明日と明後日施行する大規模の改装工事のメンテナンスの打ち合わせ中、松ちゃんの友人から松ちゃんは富岡にいるよとメールを頂き真っ青になって一旦戻りました。

只今、お詫びのブログを書かせていただいております。

予定はあくまでも予定なのに、ここ2~3年は毎年海外での活動があった松ちゃんなので、今年も確実に行くと勝手に思い込んでいました。

何週間か前に松ちゃんの予定を聞いた時「15から23は避けるね」と言いながらも、松ちゃんは「行くかもしんねぇ~」って言ったように思います。

記憶が定かでない。
この頃変則的な時間帯で動いているので、更なる連絡不足。
全くだめですね!

松ちゃんを応援して下さっているみなさん、本当に申し訳ありませんでした。
改めて深くお詫び申し上げます。

また富岡に行った時に更新させて頂きますので、どうぞよろしくお願いいたします。










































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未来を目指して。

2016-03-11 07:10:22 | 日記
NO874
みなさん、おはようございます。
みなさまには、日頃のご支援に感謝致しここに厚く御礼を申しあげます。
また、全国各地で今の福島を応援してくださる団体様、個人の方、全ての方々にも感謝申し上げます。

今日は2011年3月11日東日本大震災から5年目を迎える一日です。
ふるさと富岡町は未来を目指して、少しづつ変化しています。

今まであったものが突然消えていることも多く、さすがに寂しさを感じることも沢山ありますが、これも復興への道筋なんだと、自分に言い聞かせています。


駅前通り。
以前、松ちゃんに「駅前は何にもねぇ~ぞ!見る影もなくなったよ」と言われ、恐る恐る先週行って見たら本当に何もかもがなくなっていた。

内のかみさんがパートに出ていた中華料理店もビジネスホテルも本屋さんも理髪店も、スーパーや居酒屋さんなど、自分の記憶にあった駅前の店の姿が全て消えていた。
ほんとにびっくりしたし、さすがにショックでしたね。
こんなに何にもかもきれいに無くなるとは思っていなかったので・・・。


駅のホームから撮った写真。
あったのは大きな白い建物と放射能汚染物の黒い袋のピラミッドだけ。

駅の駐車場に設置されていた東日本大震災の慰霊碑もどこかに移されていて、さすがに離れていると分からないことばかり。

駅前に家を構えていた知人に「帰るの」と聞いたら「もう帰らない、こっちで(避難先)で細々暮らすよ」と。
今まで住民のみんなにも帰りたいという気持ちは心の隅にあったと思う。
だけど5年という月日は長すぎた。

原発事故がなければ町は普通に復興したでしょう。
放射能汚染のため先の見えない避難生活を強いられ、そこから脱出するため生活再建の第一歩を避難先で歩み始めなければならなかった。

今では多くの住民が新しい土地に根付いて暮らしている。
新しいまちづくりを模索する行政もなかなか大変だと思う。

松ちゃんだけは変わらず、ずっと町を見続けて来た。
思い出せばいろんな事があった。
驚いたことや面白かったこと、悔しかった事や悲しいこともたくさんあった。


在りし日のさくらとモモコ。
自分の目の前にダチョウがいるのが本当に信じられなかったが、さくらもモモコもおとなしくていい子だった。

犬や猫に始まり放浪する牛やダチョウに餌を与えて生かしてきた松ちゃんも、あの頃と(強制避難区域に指定)比べれば随分と落ち着いてきたと思う。
あの頃が半端なさすぎなんだよね。
全国のみなさんのご支援もあり、いろんな面で良くなった。

町に取残された動物に対して人間たった一人。
彼は餌と水を与えるのに、毎日朝から晩まで走り続けた。
それは酷暑の夏も厳寒の冬も水も電気も音もない究極の世界で生きた。

松ちゃんは、この5年をある意味無駄な5年と総括したけど、町の住民が一人一人帰還を諦めて行く現実を今も見つめている。
「元通りにならないが、新しい町が出来るよ」と静かに言ったあの日の松ちゃんを思い出す。
これからも殺処分から救った牛の飼養をしながら、町の姿を見続ける松ちゃんです。

松ちゃんとの付き合いのおかげで、僕は縁のなかったイノブタやダチョウや牛までも付き合う事が出来た。
そういう意味では感謝です。


隣の牧場は水たまりの範囲が広く沼のような状態だったので、牛たちは必然的にここにやって来て餌をもらっているようだった。

この先、これからも町はどんどんその姿を変えて行くと思う。
松ちゃんは「国道近くの町場は復興すんべと思うけど、だけど町はずれの所は人がいなければ林になり、10年もすれば森になる」と、いつも富岡町の近未来を危惧している。

正直、僕の家の周りで2軒解体する家がある。
その後、その土地の管理を誰もしなかったら、草が生え柳の木が自生して10年もすれば成長の速い柳の木は森を形成すると思う。

郊外の住宅地は町場の住宅地と比較しても、そうなる可能性は非常に高い。
もちろん住宅地だけでなく田畑は確実にそうなる。

富岡町の9割の住民が帰還せず放置される土地がそのままになれば完全に森と化するだろうと思う。
復興計画の名のもとに行政が手をつけた所だけ町の様相を見せ、その他は森に。

今、除染一辺倒できれいに見える町も、東京オリンピックが開催される頃には、松ちゃんが言うようにあちこちで小さな森の姿を見せているかもしれない。

先の事は分からないですが、町がどんな形になろうとも素直に受け止めたい。
震災5年目を迎え「俺は一生富岡の住民」と言う松ちゃんと共に町の姿を見て行きます

全国の皆さん、これからもNPOがんばる福島と代表松村直登の応援、どうぞ宜しくお願いいたします。































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ある意味、無駄な・・・。

2016-03-06 21:51:55 | 日記
NO873
みなさん、1週間ぶりのご無沙汰です。
やっと松ちゃんの所に行って来ました。

個人的な事で申し訳ないのですが、仕事の都合で思うように休みも取れず苦労しています。

先週の木、金曜日あたりに行こうと計画していたのですが、急きょ仕事が入り断れず2日遅れで松ちゃんの所に行って来ました。


これは今日の松ちゃんです。
今年は4月まで取材が入っているみたいで、明日はチェコソロバキアの取材だそうです。
ノートには取材スケジュールがびっしり書かれてました。

松ちゃんちには朝一番に着いたのだけど、電話で取材の打ち合わせをしていて、写真の画像を送ってくれとか色々な注文に答えていた松ちゃんで、ほんと取りつくしまなかったです。

1時間も取材等の打ち合わせをしていたところに、松ちゃんを訪ねて来た同じ町民の方がやって来て、僕はまた待たされる羽目に。


今日は終始、聞き役に回っていた松ちゃんでした。

いつもこれが当たり前なので、僕はただひたすら付き合うしかなかったです。


今日のシロ。
松ちゃんがシロのために作ってあげたシロの部屋?
完全に家猫になってしまったシロでした。

松ちゃんが言うには「ずっと取材が続いていたけど、今日は中休みで一件も取材が入ってねぇ~日なんだ」そうで、ラッキーな日でした。
もう一つ、近日中に松ちゃんの姿が全国放送のTVニュースで放映されるそうです。

また松ちゃんは「今月の15日から23日までスイスに招待されたので行ってくる」と言い、僕は「さすが、がんばる福島の歩く広告塔!」と感嘆。

僕が「仕事でドイツ行きを決めるから、スイスまで会いに行くか?」と言ったら「近いけど飛行機でスイスまで移動だぞ」と返され「じゃぁ、や~めた」と二人で大笑い。
僕は飛行機があまり好きじゃなくて、海外なんて行きたいと思わない根っからの小心者なんです。汗!


久しぶりに町に出来た大型焼却場の近くまで行ってみた。
以前より放射能汚染物の置き場の黒い袋が少なくなっていたと思う。
処分場でがんがん燃やされ減っているのだろうなぁ?

松ちゃんに「この5年って、松っちゃんにとってどんな5年だった」と、聞いてみた。

松ちゃんは、すかさず「ある意味(いいことも悪い事も含めて)無駄な5年だった」と。

「仕事もなくなり、ご近所さんとの付き合いも何もなくなったべ~。帰還する人も少なく夢見てた復興もなくなった。そう意味では無駄な5年だったと思う」と・・・・
すごーく分かった。
ふるさとを思う気持ちは、町の誰よりも強い松ちゃんだからなぁ~。
町の事、残された動物の事、本当に寝ないで考えてた松ちゃんだったもんなぁ~。


今日、僕の自宅から松ちゃんちに向かう時、解体中の幟のある3軒の家の前を通った。
僕の家より全然新しいのに解体される。
またまた落ち込みました。

僕も家族に帰還するのを大反対され5年目を迎えるにあたって、やっと家を処分すると決めた。
帰れないとは自分でも薄々分かっていたんだけど、なかなか決められずにいた。
僕自身は帰還する気満々だったからね・・・。

家族の希望を最優先しなければならないと納得したつもりでしたが、今、正直言ってポカーンとどこかに穴が開いたような感じです。

家も仕事も友人との付き合いも無くなり、帰れる場所もなくなったのかと思うとやっぱり寂しい・・・・。
複雑でとても長い5年だったと感じています。


お客さんが来たので僕が席を外し玄関のドアを開けて外に出ると、遊んでほしいとやって来たチビ黒の子猫。
この子は本当に懐っこい子猫なんですよ。

あの日からもう少しで5年。
何とも言えない5年でした。
二度と思い出したくない記憶と体験です。

元に戻るまでまだまだ長い時間かかると思います。
町の復興も住民の心の復興も。

事業を起こして失敗して家を失うならともかく、真面目に働いて来たのに東電の原発事故のせいで、家も仕事も何もかも無くなった。
めちゃくちゃになった人生です。

あれだけの事故を起したのに国に守られて潰れない東電。
政治家と財界とつながっているから、どうしようもないしどうにもならない。
ただただ悔しいの一言。

他人は生活再建って簡単に言うけど、県内・外を問わず今でも避難者である人にとっては難しい人がたくさんいます。

そんな元住民の事を心配する松ちゃんと話せて心が少し和んだ僕でした。
あと5日後に東日本大震災と福島第一原発事故から5年の日を迎えます。

今生きる動物たちのために松ちゃんは頑張って行きます。
みなさん、これからもがんばる福島と松ちゃんの応援どうぞ宜しくお願いいたします。

今日もお付き合い下さいまして本当にありがとうございました。
それではまた。






















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