ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

年末年始に。

2012-12-29 08:44:42 | 日記
NO-286
今日から年末年始のお休みに入るみなさんに、帰省するにあたって恒例の高速道路の渋滞や雪などの天候による状況変化などに、充分気を付けて故郷に帰って英気を養ってほしいと思います。


福島県中通り地方はこんな感じです。雪国に帰省する人はスリップ事故に注意して下さい。

懐かしい顔に会える喜びは誰も一緒。家族や兄弟、親戚の人、同級生などなど会いたい人にたくさん会って欲しい。みなさんには良いお正月を迎えて頂きたいです。

今度のお正月は震災後2度目になりますが、僕のお正月は今年も静かに暮らします。以前は広い農家作りのかみさんの実家に、東京や埼玉の兄弟夫婦にその子供たちも集まってにぎやかだった。

今は、義母も仮設住宅に避難しているので、集まることが難しく仮設住宅がとても狭いので泊まることも出来ないので、今年もお正月は家族が集まらない状態です。僕だけ顔を出す感じ。

あの東日本大震災で僕の胸に刻まれたことは、家族のつながりが大事でした。家族のみんなが元気でいられること。それが何よりも嬉しい事で幸せな事。皮肉にも家族っていいなって言えることを教えられた大震災でした。

日頃は何も感じず暮らしていたけど、当たり前の普通の暮らしがどんなに幸せか?温かい食べ物がどれほどありがたいか?家族の無事を知り安堵した日の記憶は今も鮮明に残っています。

だからみなさんにはこの帰省で、充分に家族との時間をとってくつろいでほしいと思います。健康と家族が一番です。

正月が無いといえば被災地で動物を守っている代表も同じで、今年の厳しいこの寒さの中、牛たちには水と餌を与え放浪する犬や猫などにも餌を与える彼の毎日は戦いに近い。


毎日水と餌を与えてもらい生きる牛たち。

電気も水道もない被災地での活動をする代表を、今年も全国のみなさまから応援頂きまして本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。















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総人口の96%が。

2012-12-27 09:17:50 | 日記
NO-285
事故を起こした福島第一原発があった大熊町の総人口の96%を帰還困難区域の被災者で占め、これから5年は帰れない住民がいる事と町の復興を心配するラジオ番組の進行者のしゃべりを高速道路を走っている時に聞いた。

町は震災後そのままの姿なのである。一口に言っても5年は長い。人が住まない家は朽ちていき田畑は荒廃していくだろう。今まで農業だけで生きてきた人に、ほかの土地に行って違う仕事をしなさいと言ったって難しい話である。

大熊町の放射能汚染はかなりのもので、線量計を首から下げて町に入った事が何度もあったが、「ピーピーピーッ」と警戒音が鳴り響くところがとても多く、僕でも尋常じゃない汚染だと思ったことがある。

そんな大熊町の人も避難先で家を買う人や建てる人が多いと聞いた。この事故で広野町や楢葉町そして富岡町の知人や友人の中にも新しい土地で家を購入した人がいる。

大熊町の残り4%にあたる居住制限区域に指定された所に家を構えていた友人から会津身不知柿が届いた。聞いたところによると今年最後の出荷で、見納めになるとのことだった。


有名な会津身不知柿。

友人は先月、大熊町の畜主さんで放し飼いにした牛を捕獲し、保護しようとしている人がいるよと情報をくれた人である。

お礼の電話をした時に、家はどうするの?って僕は聞いてみた。友人は「大熊の家は諦めた。家を買おうか考えたけれど、これから子供たちにお金がかかるから家は・・」という様子だった。

町の総人口の96%が帰還困難区域の人数で占められる町の行政も大変だろうなぁ~。僕らの富岡町の方がかなりましだ。今日は横浜に福島の知人が来てくれるので、同じ事を聞いてみようと思う。

原発はダメだ!事故を起こしたら取り返しがつかない!元に戻るのにいったいどれだけの時間がかかるだろうか?僕はこれからも原発に反対していく。新しいエネルギーの開発を目指して欲しい!と強く願う。







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原爆と原発事故。

2012-12-26 12:25:55 | 日記
NO-284
昨日、漫画家中沢啓治さんの死をTVニュースで知った。僕が中学生の時に読んでいた少年ジャンプの連載漫画「はだしのゲン」の作者である。この頃の日本は経済の成長期で、中学生の僕にとっては戦争で負けた日本を想像出来るものは何もなかった。


はだしのゲンのアンコール重版本。

それでもこの漫画で戦争の惨さや平和と自由のありがたさを教えてもらったように思う。ノーモア・ヒロシマを強烈に植えつけてくれた中沢さんの実体験を知る事が出来る漫画である。



僕はいつも「戦争は嫌だなぁ!怖いなぁ!」とこの漫画を読んでいた。終戦間際の日本はまさに今の北朝鮮そのものだったらしい。食べるものが無く日本国民が飢えに飢え、栄養失調で死んで行った人も多かったと聞いた。

「日本は戦争に負ける」なんて言ったら、即逮捕されて「この非国民!」と殴られ大変だったと漫画には書かれている。とにかく中学生であった僕には強烈な漫画であったことは間違いない。



中沢さんは、この漫画の終わり書きに原爆病院に入院してお亡くなりになった母の火葬の時に、原爆の放射能セシウムが脊髄の入り込み、母の骨をスカスカにしていき焼かれた母の骨が無かったことに、もの凄い怒りを覚え反戦漫画を書き出したとあった。



この頃、中学生の僕には放射能セシウムなんてなじみのないものであり、戦争の怖さの方が先にあっていつしか忘れていたが、まさかこの年になって福島の原発事故で、放射能セシウムを身近に感じる事となるなんて全く思わなかった。皮肉である。

原爆の日に福島県の同じ被災地の浪江町町長の馬場さんが式典に顔を出されていたが、ヒロシマとフクシマは原爆と原発の放射能問題で互いに理解しあえるところがあると思う。

今日、久しぶりに「はだしのゲン」を読んだ。僕が小学生や中学生の頃には、実際戦争に行って過酷な体験をされた元軍人や兵隊さんがいて、その人たちの体験談を聞くこともあったが、今はみなさんお亡くなりになられて話す方がいなくなっている。

戦争もダメだが、原発事故もダメだ!僕より若い年代20代30代の人に是非、中沢啓治さんの「はだしのゲン」を読んで頂きたいと思った。今日はここに中沢啓治さんのご冥福をお祈り致します。











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区域再編に。

2012-12-25 08:42:08 | 日記
NO-283
みなさん、こんにちは。ほんと十何年ぶりに寝込みまして、自分が治ったと思ったらかみさんにうつしちゃったみたいで少しバツが悪いです。二人して散々なクリスマスになりました。

病み上がり後も駆けずり回っていますが、同じ県外避難者から「町が再編されて来年から自由に入れるようになるみたいだよ。」と電話をもらった。

帰宅困難区域は今までのように、許可証を発行してもらって入るのは変わらないが、僕の住んでたところや代表が保護している牛たちの所は居住制限区域なので、許可証なしで自由に行き来出来るようになるらしい。



2か月も3ヶ月も待って一時帰宅をしていた人たちは、これで自由に家に帰れるようになる。自分の家に帰るのにあの面倒な許可証の申請もしなくていいのだから、それはそれでありがたい。

義母は帰りたいを繰り返し口にするが、義母の年代の人たちは「もう年も年だし、死ぬときは家で死にたい。」と言う人たちが多い。今でも水と電気のない町だから、住むことは出来ないが義母たちの年代の人には明るい光がさした話題である。

代表が以前に言った「そうなればそうなったで、また問題が起きるんじゃねえか?一時帰宅で家に戻ったら、今度はもう帰らねえって家に泊まっちゃう人も出て来るだろう。」を思い出した。

自分も今、そう思っている。自分の家に戻ったら、そこから仮設住宅や借り上げ住宅に戻りたくない人が出てきても不思議じゃない。義母が言った事がある。

「水はペットボトルのケースを買って持って行ったらいいでねえか?」と・・・確かに水と食料を持っていけば生活出来るかも?義母にとっては19歳で嫁いで63年も暮らした家だ。さそがし帰りたいだろう。



何かしっくりこない部分を感じている。上下水道や道路のライフラインなどの整備と町の除染のため町は5年帰れないのは決定しているのだが、半分嬉しくて半分面白くないような感覚だ。

来年のいつごろからそうなるのか分からないが、期待と不安とを天秤に掛けたら期待の方が少しだけ大きい僕がいる。








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ダウン。

2012-12-21 14:36:35 | 日記
NO-282
すいません。3日間疲れでがおって(福島語で寝込んだり、体調を崩す)ました。朝起きたら足がくがく、腰も痛いで風邪かと思っていたら、悪友は「それ、ノロウィルスじゃないの?」なんて。

幸いノロでもなく、疲れて胃腸炎をおこし軽い風邪と併発したために、かなり重症になった。久々のノックアウトでしたから。。。それでも福島の先輩から、修業がたらん!とお叱りを受け全くその通りだと・・・

かみさんは、用事で東京の義姉の所に泊まりに行ってるので、小生今の状態は「男やもめに蛆がわく」の世界まっしぐら!この2日間は食べるものも食べられなかったので、かみさんが用意してくれたうどんをこれから毎日食べなくてはならない。

さすがに3日目の今日はうどんを作って食べてみたが、毎日これからうどんかぁ~と少し引いている。

こういう痛い思いをすると、美味しいものを美味しいと感じて食べられる幸せや喜びを改めて知るのだが、目の前の洗濯物や食器などの洗い物がさらに輪をかけて、僕を憂鬱にしてくれる。

今週末はみなさんも楽しみにしているクリスマスだと思うが、風邪などひかないように家族や、恋人と楽しい週末を過ごして欲しい。僕の方はクリスマスどころでない。

来年早々の仕事の準備や、何やらで気の休まることはない。今年はかみさんに「結婚記念日なのにお祝いしてくれなかった。」と文句を言われた。

ケーキでも買ってささやかにお祝いしていたら、文句も言われなかったかも知れない。忙しくてそこまで気が回らなかったは言い訳にしかならないか。。。

強制避難区域に指定されていた富岡町の再編が来年実施されると聞いて、どんな感じになるのだろうかとそこが僕には一番の問題だ。これからも時間を割いて更新しますのでよろしくお願い致します。





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子猫のそら君。

2012-12-19 08:58:44 | 日記
NO-281
みなさん、本当にお久しぶりです。長々とすいませんでした。北へ300km!戻ってからまた西へ東へと走り回って来た10日間でした。おかげさまで用事も済ませることも出来ましたが、持ち込んだ宿題もぎっちりって感じです。

以前に紹介したかみさんの親友の所へも行ってきました。原発事故により避難した時に残して来た猫2匹を未だに探している彼女は、知人に黒猫の子猫を一匹譲ってもらい一緒に暮らしていました。


誰だ!この人たちは?って感じで迎えてくれた名前はそら君。僕らが最初に彼女の部屋に入った時は、小さな口を開けて「カーッ」と声を発し、威嚇してたくせに2時間も猫じゃらしで遊んであげたら変に懐いてくれて笑った。

この子猫のそら君。何て言ったって可愛くて、彼女を励ましに行ったつもりだったが、反対に自分が癒されて帰ってきた。それでも彼女が以前より元気になっていたことで、かみさんは安心した。


生れてまだ2か月くらいで、体はとても小さな黒猫君でした。

彼女の猫好きは以前からかみさんに聞いていたが、とにかくその日の僕は、彼女の話は半分くらいしか聞いてなかったと思う。そら君と猫じゃらしで遊ぶのに一生懸命で、時間が経つのを忘れていた。(笑)

いやぁ~彼女が癒されているのが良く分かった。ご主人が帰って来るまで一人でいるよりは、やんちゃなそら君がいる方が断然にいい。僕は犬派だと公言してきたが、猫も可愛いと思った。

だからこの際、どっちでもいいやと。みなさんの中にもペットを飼っていらっしゃる人が多いのだと思うけれど、ペットっていいね!みんなが癒されているのが良く分かる。


2時間も遊んであげたらお腹をグルルルルと慣らし、肉球を温かくしてそろそろ眠いよのサイン。ちゃっかり胡坐をかいていた僕の所にもぐり込むそら君。

こうして飼われているペットたちは幸せだよなぁ~とつくづく感じた僕だった。そしてこの冬の寒風の中を、動物たちの命を繋ぐために活動している代表の熱いハートを改めて感じた。

伊達じゃない。半端な気持ちじゃ出来ない事を今までして来たし、彼はこれからもやり続けるだろう。全国のみなさんの応援もあり、今日まで来れたことを僕も本当に感謝したい。

あれからもうすぐ2年になる。政権を取った自民党に、震災復興の実現を期待している人は大勢いる。今度こそ政治家にはしっかりとやってもらいたいと思う。







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北へ300km

2012-12-10 13:40:20 | 日記
NO-280
昨日の朝、「こっちは朝から雪が降ってるよ。」と義母から電話が入り、早く顔を出してくれのサイン。雪と聞いて少し怯んでいる僕がいた。スタッドレスタイヤに履き替えチェーンまで車に積んでいるのに、気が進まなかった。

色々と用事を頼まれるのだが、こんな時しか面倒を見てあげられないので行くしかない。義母の避難先は、電車で行くにも大変不便なところなので、いつも足代わりをしている。


高速道路を下りたらアイスバーンで真っ青。中通りはさすがに寒かった。北へ300km走るとこれだけ違うものなのか。本当に別世界に来たような感じだった。

もっとも今回は、選挙の期日前投票とかみさんの親友を訪ねたり、僕も知人と会ったり義母の用事を済ませることやらなにやらで追われている。双葉郡の富岡町ならめったに雪も降らず、全然おっくうに感じないのだが。


探し猫のひめとマリー。

以前、猫を探しているかみさんの親友を紹介したが、今回縁あって黒猫の子猫を一匹ある人から譲られたと報告があった。探している猫が戻って来たら3匹になる。

彼女の病気は完治していないので僕が大丈夫か?って聞いたら「3匹までなら何とか大丈夫です。」と答えが返ってきた。聞いたところによると、今は譲って頂いた子猫に癒されている様子。

僕もどんな子猫か見てみたい。何でもかなりのいたずら子猫らしく手を焼いてるようだ。

犬派と猫派と分かれるが、本当に彼女は猫が好きなのだろう。猫に癒されて病気が良くなればそれに越したことは無い。かみさんも再会を心待ちにしている。

みなさん、色々用事を済ませてから戻りますので、ブログ少し長めにお休みしますのでご了承ください。この寒さの中で、命を繋ぐことを自分の使命として日々、闘っているがんばる福島の松村代表をこれからも応援して下さい。宜しくお願い致します。







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風化。

2012-12-08 09:36:25 | 日記
NO-279
昨日の地震、すごく長く揺れたので何処かで大きな地震が起きていなければと本当に思った。地震はこりごりだし、もうたくさんである。大きな被害が出なくて良かった。

昨日の朝早く浪江町と大熊町の知人が訊ねてくれて色々話が出来た。おかげでブログを更新出来なかったが、大熊町の知人は75歳になる母を連れて来て知人の母の言葉「いつまで、こんな生活しなきゃならねんだべ。」これで始まった。

帰りたいが帰れないのだ。実際に大熊町は放射能汚染がひどく、町の八割が帰還困難区域に設定されている。家や土地の賠償も一向に進まないから他の町に行きたくても行けないし、新しく家を構える事も出来ないと肩を落とす。

福島県には、この時とばかりにあらゆる政党の代表が入り衆議院選挙のための演説をしているが、どの政党も信じがたく自分もどこに投票しようか迷っている。

事故からあと少しで二年を迎えるのだが、避難者の心の隙間に諦めと失意の風が吹いている。だから疲労感を漂わせて語る年寄りの悲哀が辛かった。

今を生きるという映画があったが、果たしてみなさんはこのタイトルの「今を生きる」という自覚や実態を持って生活しているだろうか?している人は素晴らしいと思う。目標や夢に向かってがむしゃらにやっている人だけに当てはまるものだと思うからだ。


NPOがんばる福島の松村代表は、今を生きる人だ。牛たちに藁を与える写真。

そんな目標も夢も持てない被災者が多いのは事実だし、この先何処へ進めばいいのか迷っている人も多い。

昨日ある人に言われた。「もう風化していてそんなこと言っていたらみんなに引かれるぞ!」とも・・・

風化させてたまるか!と日々語る僕の口調が強く、時と場所を選ばず熱くなりすぎて大きな声を出したり、それを自分でもみっともないと感じているし、滑稽だなと思う。本当にどうしようもない。人間まだまだ出来てない。






















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キセキ

2012-12-06 10:02:31 | 日記
NO-278
10月の横須賀で夏に彼が保護した犬の話になった時に、彼はその時の状況を少しだけ話してくれた。

ある牛舎で動くことが出来なくなっていて死の寸前まで追い詰められていた一匹の老犬を保護し、急いで避難区域から出て動物病院へ!

牛舎の中に横たわる牛の死肉を食べて生き延びていたらしく、もう食べれる肉は無くなっていたのだと思う。餌もなく横たわり動かない老犬を抱き抱え病院に連れて行ったら、そこの先生にいきなり怒られたと言った。


死肉で生き延びていた老犬が保護されたある牛舎。

「こんなになるまで、何をしてたんだ!あなた、これは動物虐待だ!」と・・・虐待している飼い主にされてしまった彼だが、「自分は松村直登といいます。インターネットで検索して下さい。自分は悪い事はしていないので・・・。」と言葉を残し、その日は帰宅。

先生がいきなり怒るくらいだから、犬の状態は相当ひどい状況だったのだろう。次に先生の所に行った時は、先生も彼の事を知ったらしく治療費もそこそこに、彼に老犬を引き渡した。

その犬の名前が「キセキ」なのだ。奇跡=キセキ。彼は横たわる老犬を見た瞬間「死」を直感したらしいが、それでも助けようと・・・

今日は何故、この犬の事を書いたかって言うと、大阪の元ブリーダーが161頭のダックスフントに餌をやらず動物虐待で逮捕!とか猫8匹を惨殺!27匹の犬を遺棄などのニュースが多い。

キセキは一命を取り留め今は彼の自宅ではないが、静かなところで保護され少しづつ元の体を取り戻しつつある。「彼の優しさを見習えよ!」って言いたくて書いてしまった。

僕は動物愛護の人間ではないが、強制避難区域で動物の保護をしている彼を見て、自分のご主人の帰りをただひたすら待ちわびている犬の気持ちや今でも自分のペットの行方を心配している人たちの気持ちを知り、こういう類のニュースに憤慨してしまう。

飼い主の気まぐれで捨てられ、捕獲されて保健所で殺処分される犬や猫も多いと聞く。動物を飼う事は最後まで看取ることが飼う事だと思う。こんな当たり前の事が出来ない人にペットを飼う資格は無い。



猫を惨殺して逮捕された奴に「馬鹿野郎!」って言いたいのは僕だけか?・・・原発事故で仮設や借り上げ住宅に住むようになって、自分の犬や猫を引き取れないでいる人たちの苦しみや辛さを少しでいいから知って欲しい。















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信念にゆるぎなし!

2012-12-05 09:36:25 | 日記
NO-277
昨日、福島の友人が松村さんが新聞に出てるよと、新聞(福島民友社)の写真をメールで送ってくれた。友人の実家でも震災後避難した時に、彼がその家の飼い犬2匹に餌を与えてくれたおかげで命を繋ぐことが出来て彼に感謝している。


写真を撮ったカメラマンの方に感謝し、また受賞を祝福したい。

今年の夏の記事の「ここで生きることが闘い」の写真だったが改めて感じるものがあった。人が何を言おうが彼は震災後たった一人で、春夏秋冬、雨の日も風の日も雪の日も動物たちに餌をやり動物たちと共に生きてきた。

彼の今までの一年九か月には、壮絶な暮らしをして来た期間があり僕はそれを目の当たりにして来た。それこそ震災直後はローソクに灯をともし、寒さの中で食料は缶詰めの日々。

彼が講演で良く言う「彼ら(残された動物たち)と約束した。俺がいる限り絶対に餓死させない!」を僕はいつも思い出す。この信念にゆるぎなし!



彼はどれだけ汗を流してきただろうか?それがどんなに大変でも音を上げる男ではない。もう一人の友。同じNPO法人ガッツ福島の遠藤代表とその苦境を笑い飛ばして活動している。そんな二人がいれば安心だ。

今、保護した牛のための餌の備蓄や繁殖を抑える去勢手術に飼育場所の管理。今も残されている犬や猫の保護活動に給餌。何から何まで書けば本当に膨大な仕事量だ。これを毎日続けている。


冬を越すため更に用意すると言っていた。ロールわらの餌。

誰にも出来ることじゃない。ましてや強制避難区域での活動は制限もあるし、なんて言ったって不便極まりない中での活動だ。彼を応援してくれたみなさん。そしてこれからも応援してくれる全国のみなさんに、心から感謝致します。

これからも続く彼の闘い。どうかみなさんこれからも応援よろしくお願いいたします。


































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5年後?

2012-12-04 09:20:25 | 日記
NO-276
昨日は元気な個人ボランティアさんと会う約束があり、静岡県まで行って来ました。会って話をしたけど、刺激を受けた僕にはいい時間になった。


清水港で撮った富士山。静岡は快晴で暖かった。

今までに何度も強制避難区域の双葉郡内に入りペットを保護してきた人で、犬は60匹ほど助けたと聞いた。そんなボラさんが「今の区域内に残された家畜も助けたい!命あるものは何でも助けたい!」と、これで刺激を受けないはずない。


UKCさんには保護した犬を預かってもらったと話してくれ、今も自宅で5匹くらい面倒を見てると言った。写真はUKCさんのシェルターの犬。

それで今の避難区域内の状況などを聞かれたわけだが、個人ボラさんは「松村さんの応援をしたい」と言い出した。これには驚いたが、本当に嬉しい申し出だった。


この牛たちのお手伝いとか放浪している牛を助けたいと言ってくれたのは、本当にありがたかった。

約束の時間より早く着きすぎて気を回しすぎの感はあったが、まさかこんな話になるとは思わず話は弾んだ。

僕らの故郷。強制避難区域の富岡町は、遠藤町長の「除染やインフラ整備を考えたら、とても5年は帰れない」を国が認め、どうやらそのようになるらしい。(11月27日付福島民友新聞より)

今から5年はとても長い5年になると思う。何が起きてもおかしくない5年である。強制避難区域という鉄のカーテンの向こう側の情報は今でも報道されることが少ない。

だから全国のみなさんは、原発事故で被災した町の姿を見ることは少ないはずだ。TVでよく報道される宮城県の津波被害を受けた町もそうだが被災地の復興はまだまだで、放射能に汚染された被災地は3.11のままの状態である。


かみさんの実家とお付き合いのある方の家の土蔵。古い建物は特に損傷が激しい。比較的新しい会社の事務所や店舗などもひどいとこもあるが、そのままの状態である。

どんな5年になるか?全く想像がつかない。残された動物を守る男たちの5年後だけは想像できるが、町がどのように変わっていくか?全く想像がつかない。この悲劇をこれからも書き続けるしかないのだと、今は自分に言い聞かせている。



























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元に戻る日?

2012-12-02 12:21:06 | 日記
NO-275
昨日、かみさんの携帯に船引町に避難した義母から電話が入り「雪が降り外は真っ白だ」と初雪の知らせを受けた。福島の本格的冬の到来である。


仮設住宅の避難者に、また厳しい寒さの冬がやって来た。

16日に衆議院選挙があるため町の街頭も政党の宣伝カーが走り、少しだけ騒がしくなってきた。いきなりの解散から日が浅く、今回の選挙は本当に問題が多い。

原発問題。TPP。安全保障。憲法改正。年金問題。探せばきりがないほどの問題。17にまで分裂した政党の野合?合流?劇を見て何処を選べば良いのか分からなくなるのは僕だけではないだろう。

僕は原発難民の一人として原発反対!再稼働反対!を訴える政党を選びたいが、政治家には今の福島を本当に見て欲しい。仕事を失ってから未だに働けない人がたくさんいることを、本当に知っているのだろうか?

働きたくても仕事が無いのである。好きで被災者になった訳じゃない。こんな状況になることを誰が予想しただろうか?悲痛でしかない。

故郷に帰れずこの先何年も避難生活を強いられ、帰っても放射能に怯えて暮らさねばならない約16万人の苦しみや辛さを、政治家は本当に分かっているだろうか?そして約16万人の被災者の人権は本当に復活するのだろうか?


震災後、たくさんの犬や猫などの動物たちの命を守って来たがんばる福島の松村代表に保護された牛たち。富岡町の第三の柵で。

代表は動物たちも人間と同じ被害を受けた可哀想な生き物だと講演等で訴え続けている。また彼は以前から原発の是非を問うていた。

被曝する事も恐れずに、自分の命をかけて動物を守ろうとする彼の姿に驚いて今日まで来たが、「あんなもの(原発)いらない!人間がやることに絶対はない。」と原発に安心安全なものは無いと話す。

また残された動物たちに「俺がいる限り絶対に餓死させない!」と約束をした彼の孤高の戦いはこれからも続く。

人間だけに留まらず、残された動物たちや誰にも見られず汚染の町で咲き誇る花たちや、昆虫、野鳥など全ての生命に放射能汚染の恐怖が忍び寄っている。


花の名前は分からないが、きれいだったから思わず撮ってしまった。大熊町の友人宅で今年6月撮影。

避難区域を解除された隣町の楢葉町の友人は、「帰ったら除染のため家の樹木を全部伐採する。」と言ったが、事故さえなければその家の樹木たちの命もなくなることは無かっただろう。・・・・

当たり前の普通の暮らしが出来ない。この苦しみをみなさんに知って欲しい。全国のみなさん、福島は今も苦しんでいます。原発立地町村の双葉郡はこれからも・・・この現実を知って下さい。

目に見えない放射能は本当に怖い。今も尚、福島の4号プールの危険性が囁かれていますが、これで避難者が安心して帰れる故郷と言えるでしょうか?

事故が起きたら絶対に元に戻ることは無いと思います。今日も政治家には「原発に依存しない新しい日本」を作って欲しいと強く願う。全国のみなさん、反原発に協力して下さい。未来の日本のために。













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