みなさん、おはようございます。
2011年3月11日の東日本大震災の日から12回目の朝を迎えました。
今日までNPO法人がんばる福島と代表の松村直登をご支援くださいました皆様には心から感謝申し上げます。
個人的には、今までの12年の歳月がとても長かったように感じますが、特に大きな事故もなく今日まで活動して来れたことに感謝しかありません。皆さん本当にありがとうございました。
どうぞこれからも応援よろしくお願い致します。
今日、残念に思うこと。
今では原発事故のことが風化してしまったが、12年も経っているのにまだそんな状態なのかとがっかりしたことを書きます。
地震だけだったなら町民は町に戻り普通に復興したでしょうね。
原発事故が残したのものは大きなものだった。
今も帰還出来ず避難している人がたくさんいますし、復興とはあまりにもかけ離れた町になった。
今、現在、これから除染が始まる地域があるんですよ。あの日から12年が過ぎたというのに。。。。
帰還困難区域では今、長い間、手入れもできずに住めなくなった家やその他の建物の解体が行われている状況です。
そして家や建物の解体後、そのまま放置された土地が草ぼうぼうの荒れた姿を見せています。
住宅地はどんどん解体され寂しい街並みに(夜ノ森駅前の住宅地の写真 令和5年2月16日撮影)
原発事故の傷跡は大きい。
あまりにも大きすぎる。
松ちゃんがいつも気に掛けていることがあるのですが、強制避難区域の解除が始まり数年が経つのに、唯一の国道である6号線沿いの大型店や専門店などが震災直後のまま放置されていることに「復興、復興って、これが復興なのか?これ見て誰が復興してるって思うんだ」と声を荒げます。
震災直後のままの店舗 (令和5年2月16日撮影)
12年も経つのに今もこのような状態です。
「国道は車の往来が特に多いから、こういうところを早く無くさなきゃなんねぇ~べ!いつまでもこのままにしてたら復興したなんて誰も思わねぇだろ」と。。。。
松ちゃんは12年も経つ今、このような店舗や家を見たくないし見られたくないんです。
郷土愛の塊の松ちゃんには、このような事実があるということが看過できないのです。
国道6号線は原発事故被災地のメインストリートですから、そこにこんな姿の店舗が12年も経つのに今もあることに憤っている。
確かに避難指示準備区域と居住制限区域の地区は規模は小さいですが復興を感じられる町並みにはなったけれど、帰還困難区域の整備はこれから。
(令和5年2月16日撮影)
2年前にNHK Eチャンネルで放送された福島モノローグの中で、茨城県から原発作業員として仕事に来た若者が「言い方悪いと思うんですけど、復興、復興って言いますけど全然復興してないですよね?もう、町が死んじゃってますよね!」って、あれが本当なのだと思う。
僕は小さいながらも新しい店や病院などがオープンしただけでも喜んでいたのですが、被災地に初めて来た人は死んでる町にしか見えないのだと思う。
こんな姿の店舗が今でもあるのだから。
(令和5年2月16日撮影)
国道6号線沿いには大型家電量販店、ホームセンターやスーパー、トヨタや日産、ホンダなどのショールームやTVのCMでおなじみの紳士服店、衣料品店、ファミリーレストランなどが店舗を構えてました。
自分も松ちゃんと帰還困難区域の通行制限の解除後、久しぶりに足を踏み込んでこの状態を見て「まだこのままなのかよ~」とガッカリしました。
富岡から北に大熊町、双葉町、浪江町にも同じような姿を見せる店舗が残されているのだろうなぁ~と思うと、げんなりしてしまいます。
帰還困難区域だったところの整備は居住制限区域と避難指示準備区域と同じようにはいかないだろうから、復興はまだまだ先の話!
兎に角、今は帰還困難区域の整備がもっと早く進み、震災直後のこのような姿を見ることが無くなることを強く願う。
これが12回目の朝を迎えた感想です。
最後に今回で6回目の放送になるのですが、本日、松ちゃんのドキュメンタリーが放送されます。
午後0:00~午後1:50 BS1スペシャル「福島モノローグ 完全版」
本当に良い作品になってますので、まだご覧になっていない方はぜひ見てください。
僕は録画して保存をお勧めいたします。あとで何度も見れますから。
またご覧になられました方にはぜひシェアをお願いいたします。
どうぞよろしくお願いします。